長崎原爆被爆者「語り部」

1983年に福岡市の小学校で原爆被爆者としての体験をお話ししたのを皮切りに、福岡市内の小学校・中学校のみならず全国で、これまで400回を超える「語り部」としての役割りをはたしました。1985年には原水爆禁止日本協議会(原水協)の遊説団の一員として米国でも証言し、韓国からも招かれて、爆被爆者としての体験をお話させていただきました。

​<私の願い>

今日の聞き手は明日の語り手という言葉がある。被爆体験を聞いた人たちには、被爆した国の国民として被爆の実相を語り継いでいってほしいと強く願う。私も、亡くなったり体が自由に動かない被爆者に成り代わって活動しているつもり。いつかいなくなる被爆者の言葉を伝え続けてほしい。

吉﨑幸恵さんお話(戦争の語り部の思いは)