このコーナーは、NPO法人NNAAの会員であり、5歳の時、長崎原爆により被曝され、日本原水爆被害者団体協議会の加盟で福岡市原爆被害者の会博多支部に所属して、長年にわたり核兵器の廃絶に向けて活動され、現在83歳の今なお活動されている、吉崎幸恵さんの記録です。
40年間に亘って発行に携わってきた月刊紙「被団協」新聞(博多版)が300号を迎えるにあたって、これまでの集大成としてNPO法人NNAAのホームページにバックナンバーとして保存することになりました。
吉﨑幸恵さんは「被団協」新聞以外にも、核も戦争もない世界平和への取り組みとして、米国での被爆PEACE TOURや小中学校の平和授業で「語り部」、さらに「被曝柿苗」の植樹活動など幅広く活動されています。是非ご覧ください。
項目 | 内容 | |
「被団協」新聞(博多版) |
「被団協」新聞(博多区版) バックナンバー |
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語り部活動 | 長崎原爆被爆者「語り部」 1983年に福岡市の小学校で原爆被爆者としての体験をお話ししたのを皮切りに、福岡市内の小学校・中学校のみならず全国で、これまで400回を超える「語り部」としての役割りをはたしました。1985年には原水爆禁止日本協議会(原水協)の遊説団の一員として米国でも証言し、韓国からも招かれて、爆被爆者としての体験をお話させていただきました。こちらをクリックしてください。 |
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「被曝柿苗」植樹活動 |
「被曝柿の木3世苗」を配布 長崎で被曝した柿の木(1世)を治療した樹木医の蛯名正幸氏が育てた柿の木(2世)を北九州市の苅田小学校が育て、その柿の木(3世)の種をいただいて育てた吉﨑幸恵さんが「被曝柿の木3世苗」を配布する運動です。こちらをクリックしてください。 |
米国PEACE TOUA報告・その他 |
長崎新聞 私の被爆ノート 「痛さと怖さ 泣き続け」 |
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リンク |
原爆の歌 「原爆を許すまじ」 |