慰安婦問題

  • 慰安婦とは?

戦時中、日本軍の関与の下で作られた慰安所で、将兵の性の相手を強いられた女性。日本政府は1993年8月に河野洋平官房長官が発表した談話(河野談話)で「当時の軍の関与の下に多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題」と指摘した。また、1995年8月15日発表の村山富市内閣総理大臣談話(村山談話)の中で、「女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、私はこの機会に、改めて、心からの深い反省とお詫びの気持ちを申し上げたいと思います。我が国としては、このような問題も含め、過去の歴史を直視し、正しくこれを後世に伝えるとともに、関係諸国等との相互理解の一層の増進に努めることが、我が国のお詫びと反省の気持ちを表すことになると考えている」との反省の弁が述べられた。

  • 慰安婦にされた女性たちは

日本本土の日本人のほか、日本の植民地だった朝鮮半島や台湾出身者も慰安婦にされた。日本軍の侵攻に伴い中国、フィリピン、ビルマ(現ミャンマー)、マレーシアなど各地で慰安所が作られ、現地女性も送り込まれた。オランダの植民地だったインドネシアでは現地女性のほか、現地在住のオランダ人も慰安婦とされた。政府は38年、日本女性が慰安婦として中国へ渡る場合は「売春婦である21歳以上の者」を対象とするよう通達した。ただ政府は25年に条約を批准した際、植民地を適用除外とした。このため植民地や占領地では売春婦でない未成年女子も対象となった。朝鮮からは17歳、台湾からは14歳の少女が慰安婦とされたとの記録がある。

  • 慰安婦の人数

総数を示す公式記録はなく、5万~20万人と推計される。韓国や中国ではさらに多い数字をあげる人が多い。

  • 慰安所がつくられた経緯

満州事変の翌年、32年の上海事変で日本兵が中国人女性を強姦する事件が起きたため、反日感情の高まりを防ぐためとして九州から軍人・軍属専用の慰安婦団を招いたとの記録がある。その後、性病蔓延による戦力低下や機密漏洩の防止、軍人の慰安のためなどの理由が加わった。

  • どのようにして集められたのか。

多くの場合、軍の意向を受けた業者がまず日本国内で、さらに植民地の朝鮮や台湾で集めた。「仕事がある」とだまされたり、親に身売りされたりした場合も多いことがわかっている。 一方、フィリピンやインドネシアなど占領地では、日本軍が直接暴力的に連行したとの強制連行の記録もある。フィリピン政府の2002年の報告書によると、同国で日本軍は、現地の女性を暴力的に拉致・連行して日本軍の兵営とされた教会や病院に監禁し、集団で強姦を続けた事例もあったという。

  • 慰安婦の暮らしは?

アジア女性基金のサイトでは「(慰安所で)兵士は代金を直接間接に払っていたのはたしかですが、慰安婦にされた人々にどのように渡されていたかははっきりしません」と記す。戦況や場所により処遇にばらつきもあったことが推定される。政府は93年、河野談話とあわせて調査結果を発表し「戦地では常時軍の管理下で軍とともに行動させられ、自由もない生活を強いられた」と説明している。

  • 慰安婦問題が国内で知られるようになった経緯

戦後まもない時期から兵士の体験談や手記で触れられていた。70年6月、作家の故千田夏光氏が週刊新潮で「慰安婦にさせられた」という女性や旧軍関係者の聞き取りを紹介。73年にルポ「従軍慰安婦」を刊行した。当時はまだ戦時下の秘史という扱いだった。

  • 日韓間の問題として認識された経緯

90年1月、尹貞玉(ユンジョンオク)・梨花女子大教授が韓国ハンギョレ新聞に「挺身(ていしん)隊『怨念の足跡』取材記」の題で慰安婦問題の記事を連載。5月の盧泰愚(ノテウ)大統領訪日をきっかけに、植民地時代の朝鮮半島で日本の軍人・軍属とされた韓国人らから日本に謝罪と補償を求める声が高まった。

  • 女性のためのアジア平和国民基金(アジア女性基金)とは

1995年7月 政府主導で民間の「女性のためのアジア平和国民基金(アジア女性基金)」が発足。国民の寄付という形で「償い金」を元慰安婦に支給するなどの「償い事業」を実施、運営経費や活動資金を負担した。

1996年に橋本龍太郎内閣総理大臣が元慰安婦に対しておわびの手紙を出す。同時に、サンフランシスコ講和条約、二国間の平和条約及び諸条約(日韓基本条約など)で法的に解決済みであることを明らかにし、また河野・村山いずれの談話も慰安婦という職業の存在を認め名誉を傷つけたとはしているが強制連行などをしたとの見解は表明していないともコメントした。また橋本は女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であるとの認識のもと、道義的責任の観点から、アジア女性基金の事業への協力、日本人女性を除く元慰安婦に対する医療・福祉支援事業に対し資金拠出などを行った。

1997年1月よりアジア女性基金は、韓国人・台湾人・オランダ人・フィリピン人女性など計285名の元慰安婦に対し、一人当たり200万円の「償い金」を支給した。元慰安婦の認定が行われていないオランダに対しては現地の慰安婦関係者に対する生活改善支援事業に、元慰安婦の特定が困難なインドネシアに対しては高齢者社会福祉事業を援助した。

しかし、韓国や台湾では日本政府に対し「法的責任を認め、国家補償を行なえ」という主張を掲げる運動が起こり、アジア女性基金を受け取ろうとする元慰安婦に対して、受け取るべきでないと圧力が加えられる。

特に韓国では、韓国政府や民間団体が「基金を受け取らないと誓約すれば300万円・200万円を支給する」ことを表明したため、韓国では半数以上の元慰安婦が受け取りを拒否した。1997年に11名の元慰安婦が償い金を受領したが、1998年に韓国政府はアジア女性基金の償い金の受け取りは認めない方針を示した。これに対して日本側は医療施設建設など事業転換を提案したが、1999年6月に韓国政府は改めて拒否を通告した。

これにより、韓国政府はアジア女性基金による償い金受けとらないと誓約した元日本軍慰安婦には生活支援金を支給することとし、韓国政府認定日本軍慰安婦207人のうち、アジア女性基金から受給した元慰安婦や既に亡くなったものを除く142人に生活支援金の支給を実施した。

  • 慰安婦像について

2011年にソウル特別市にある在大韓民国日本国大使館前の歩道上に市民団体により設置された高さ約130cm、重さ120kgのブロンズ像。慰安婦像を行政の許可なく(現在は保護対象)設置したのが始まりで、その後韓国内および世界各地に設置されている。

日本国政府は像の日本大使館前からの撤去を韓国政府に要求し、2015年の慰安婦問題日韓合意では、韓国政府が「適切に解決されるよう努力する」とされたが、ソウル市議会が像の撤去阻止を目的とする条例を制定した他、撤去に反対する学生グループが像の周辺で座り込みの活動が続いている。

2017年9月22日、サンフランシスコ市内の公園に像が設置。一方、大阪市は、サンフランシスコ市と60年前から姉妹都市の関係にあったが、吉村洋文大阪市長は、慰安婦像を設置により姉妹都市の関係を解消した。

  • 日韓合意の共同記者会見、元慰安婦を支援するための財団への日本政府から約10億円を拠出

2015年12月28日岸田文雄外務大臣を通じ「当時の軍の関与のもとに多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、日本政府は責任を痛感している」と強調、「安倍晋三首相は日本国の首相として、改めて慰安婦としてあまたの苦痛を経験され心身にわたり癒やしがたい傷を負われた全ての方々に心からおわびと反省の気持ちを表明する」と語り、元慰安婦支援のため設立する財団に日本政府が10億円拠出することとした。朴槿恵政権の 尹外相は「両国が受け入れうる合意に達することができた。これまで至難だった交渉にピリオドを打ち、この場で交渉の妥結宣言ができることを大変うれしく思う」と述べ、慰安婦問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認した。また、日本に抗議するために市民団体が設置したソウルの日本大使館前の慰安婦像については「関連団体と話し合いを行い、適切なかたちで解決するよう努力する。」とした。この合意の内容については、日韓で公式な文書を交わすことは行わず、日韓の両外務大臣が共同記者会見を開いて発表するという形式で行った。

しかし、この合意について破棄を求める韓国の市民団体などが、一年後に釜山の日本総領事館前にソウルの日本大使館と同じ慰安婦像を設置。日本政府は合意に反するとして日本大使を帰国させ日韓関係が再び悪化している。

  • 文在寅(ムン・ジェイン)大統領による更なる謝罪要求

2018年1月、文在寅大統領が、日本の植民地支配に抵抗した「三・一独立運動」(1919年)の記念式典での演説で、従軍慰安婦問題に言及。文大統領は「加害者である日本政府が『終わった』と言ってはいけない」と発言。これに対し、菅義偉官房長官は「絶対に受け入れられない」と反発。これらの応酬の背景には、従軍慰安婦問題の「最終的・不可逆的な解決」とした日韓合意(2015年12月)の欠陥がある。

  • 2017年日韓合意の問題点

①当事者である被害者達やその支援者らの頭越しで、安倍政権側と、朴槿恵(パク・クネ)政権の間で、半ば談合のように決められた合意が、日本の「法的責任」を問わないものであったため、当初から当事者達や韓国世論の反発が大きかった。

日本軍「慰安婦」問題の「正義の解決」のために、日本政府は「日本の犯罪」であったという事実を認め。この犯罪に対し国家的次元で謝罪し賠償しなければならない。関連資料を余すところなく公開し、現在と未来の世代に歴史の正しい教育を行い、そして責任者を探し出し処罰する必要がある。そうすることではじめて、日本の「法的責任」が終わることになる。 口先だけでの謝罪は、謝罪にならない。被害者が「分かった。真摯な謝罪を受け止めるので、もうこれ以上謝罪を求めない」というまで謝罪し続ける必要がある。

②安倍政権としては、従軍慰安婦問題を蒸し返されたくない、日本側が謝罪し続けることを終わらせたい、ということ求めて、「不可逆的」といった。安倍首相は「私たちの子や孫、その先の世代の子供たちに謝罪し続ける宿命を背負わせるわけにはいかない。今回、その決意を実行に移すための合意でした」 と述べている。

韓国側としては、日本側が従軍慰安婦問題について謝罪しても、またすぐに日本の政治家達が、また日本の内閣そのものが、慰安婦とされた人々の被害を否定するような歴史修正主義的な言動を繰り返すということに終止符を打つことを求めて、「不可逆的」という言葉を使っているようにみえる。

従軍慰安婦問題への旧日本軍の直接的・間接的関与を認め、「反省とお詫び」を表明した、「河野談話」について、第一次安倍政権は、「政府が発見した資料の中には、軍や官憲による強制連行を直接示すような記述はみあたらなかった」とする政府答弁書を閣議決定している。

*実際には、日本軍による強制連行の関与に関する資料はいくつも存在するし、日本の裁判でも強制連行があったことが事実認定されている。

③日韓合意の共同記者会見は、日韓外相間の合意事項であり、条約ではない。もちろん国同士の約束だから、尊重する必要がある。しかしながら、韓国では政権交代があり、日韓合意を行った朴槿恵大統領から、文在寅大統領に変わったので、合意内容の見直しを検討することは、国際社会の常識である。あまり良い例とは言えないが、米国のトランプ大統領など、大統領に就任すると早々にTPPから離脱し、今になってまた加盟しようとしてのだ。

  慰安婦問題の主な経緯(肩書は当時)

1991年

8月 韓国で元慰安婦が初めて名乗り出る

12月 元慰安婦が日本政府を提訴。政府が調査開始

1992年

1月 宮沢喜一首相が日韓首脳会談で謝罪

7月 政府が調査結果発表。政府の関与を認める

1993年

8月 河野洋平官房長官が談話で慰安婦の募集、移送、管理に強制性を認め「お詫びと反省」を表明(河野談話

1994年

8月 村山富市首相が談話で慰安婦問題の解決策について「幅広い国民参加の道を探求したい」と表明

1995年

7月 政府主導で民間の「女性のためのアジア平和国民基金(アジア女性基金)」が発足。

2006年

9月13日に米上院外交委員会に提出された日本軍慰安婦問題に関し日本政府に謝罪を求める決議案 (H.Res.759) は「日本政府は性奴隷にする目的で慰安婦を組織的に誘拐、隷属させた」とし可決。

2007年

3月 アジア女性基金が解散

7月 米下院で、「日本政府は帝国軍への性行為という唯一の目的のために若い女性を職務として連行した」とし対日謝罪要求決議を満場一致で採択。

2011年

12月 ソウルの日本大使館前の歩道に慰安婦像設置。

2012年

8月 李明博大統領によって天皇に謝罪を求める発言が行われた。

2014年

6月 政府が河野談話作成過程の検証結果を公表

日本政府による幾たびもの謝罪やアジア女性基金の給付によっても解決しない日韓関係を修復するため、韓国との協議により日本政府は

2015年

12月 日韓合意、元慰安婦を支援するための財団への日本政府から約10億円を拠出

2018年

1月 文在寅(ムン・ジェイン)大統領による更なる謝罪要求