第21回平和学習会

「平和憲法とこの国の自立を考える」輪読&勉強会 第21回

日時:2019年4月20日 14:00~17:00
場所:大阪南YMCA
講師:澤野義一先生(大阪経済法科大学法学部教授)

1.最近の話題
(1)天皇代替わりに伴う問題
代替わり問題のどこに憲法問題があるのか。
改憲の問題関係からいうと、天皇の代替わりを利用した新しい改憲の世論つくりが始まりつつあるのではないかというふうに見たらどうか。安保政策や原発政策、この天皇代替わり、要するに令和は、平成以上に危険な動きになるのではないか。つまり平成で安倍政権が出来なかったことを、令和というものを基軸として新たな気持ちで危険な条項を加速させるのではないか。天皇の代替わりを利用した新たな世論作りというのは、象徴天皇制を利用した一種のマインドコントロールなのですが、安倍首相が改憲を絡ませたいというのは、既に昨年の10月の臨時国会の所信表明演説に出ている。「歴史的な皇位継承まで残り、半年余りとなりました。国民がこぞって寿(ことほ)ぎ、世界の人々から祝福されるよう、内閣を挙げて準備を進めてまいります。まさに歴史の転換点にあって、平成の、その先の時代に向かって、日本の新たな国創りを、皆さん、共に、進めていこうではありませんか。国の理想を語るものは憲法です。憲法審査会において、政党が具体的な改正案を示すことで、国民の皆様の理解を深める努力を重ねていく。そうした中から、与党、野党といった政治的立場を超え、できるだけ幅広い合意が得られると確信しています。そのあるべき姿を最終的に決めるのは、国民の皆様です。制定から70年以上を経た今、国民の皆様とともに議論を深め、私たち国会議員の責任を、共に、果たしていこうではありませんか。」と述べている。これは明らかに令和の時代に向けての改憲ですが、具体的には憲法審査会を動かしてやろうという意気込みを、首相という立場でありながら国会で改憲を煽っているという憲法違反を行っている。改憲発議は憲法96条、99条で内閣は発議できないのです。国会ないし国会議員しか公的には出来ないのですが、首相という立場で国会で改憲を煽るといのは、明らかに憲法違反である。99条では憲法尊重義務があるし、96条の改正手続きでは、国会の3分の2の多数で国会が発議し、国民投票にかけるということで、内閣は関与してはいけないということは、憲法学の通説です。安倍首相は天皇代替わりを利用して、改憲をやろうとしていると思われる。
11月頃まで一連の儀式があるし、さらに元号問題がある。天皇代替わりについては即位とか大嘗祭などがあるが、政府としては従来通り、30年前にやった通りに行おうとしている。そうなると30年前の時にもあったが、憲法訴訟が起きる。30年前は最高裁で結論がでたが、このような神道儀式を国事行為ないし公的行為として公的費用を使ってやることについて、これは憲法違反ではないかと、あるいは宗教者にとっては信教の自由に違反するし、宗教行為であるから、国家と宗教の分離の憲法原則に反するということで、訴訟が起こされたことがありますが、最高裁としては日本における習俗的行為なので宗教性は、ほぼないと判断し、問題ないとしている。但し、大阪高裁では憲法違反性はあると指摘したのがあるが、それは無視して行う動きです。自民党の今回の4項目の改憲案にはでていないが、2012年の自民党改憲草案には、明らかに天皇代替わりについて、はっきり憲法上書いてある。皇位継承に伴って元号を制定するという条文があり、皇室儀式は社会的儀礼の範囲内で宗教性はなくできると憲法改正草案にはっきり書いてある。従って、現在の進行はその案に沿っており、どんどんこのような儀式を定着させて、国民を巻き込んだ改憲の下地つくりと、天皇代替わり儀式をやろうとしていると見た方が良いのではないか。
新元号の決定については、どのように決めたかが話題になっているが、それはともかくとして、安倍首相は説明でいたらぬ事を喋っている。彼流の私的な世界観というか思想を込めた解釈をしている訳ですが、そんな事をしていいのか問題である。記者会見で安倍首相が述べた事は、かなり違和感があり、安倍首相の元号に込められた解釈にはかなり疑問がある。新元号の令和は、外国語でどのように翻訳するかということですが、外務省は美しい調和(beautiful harmony)としている。令和には安倍首相の相当な政治的なニュアンスが込められている。何故、令和が選ばれたかということについて、安倍首相の説明から、一億総活躍社会を作り上げるにはもっともぴったしだということが受け止められる。記者会見で、「働き改革が丁度本日(4月1日)からスタートします。70年振りの労働基準法の大改革で、次の世代を担う若者たちがそれぞれの夢や希望に向かって頑張っていける社会、一億総活躍社会を作り上げることができれば、日本の未来は明るい。この新しい元号の下、一人一人の日本人が明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる。そういう時代を国民の皆様と共に築き上げていきたいと思います。」と述べている。つまり新元号の下で一億総活躍社会を作り上げるんだといっているが、戦前でいえば国家総動員体制というものがあり、それに似ており、これはまずいのではないか。これが令和に込められた安倍首相の政治的メッセージのようである。
これをどのように評価するかということになると、例えば、一億総活躍社会を作り上げるための前提として、「日本の悠久の伝統や文化や、美しい自然の上に、日本国民の精神的な一体感を支えるために新しい元号として令和が相応しい。」という政治的メッセージを発している。アメリカの政治学者ケネス・ルオフさんは、「これはソフトなナショナリズムではないかと」(日本版「ニューズウィーク」4月16日)と述べている。澤野先生も同じ考えであり、特に「日本国民の精神的な一体感を支える元号」という使い方は、ナショナリズムの使い方ではないかと思う。安倍首相のように元号にそれだけの政治的メッセージを込めるのであれば、批判する我々は政治的意味を込めて解釈しても良いのではないか。令和の令は、律令制度の律令で、今でいえば政令で、命令するということです。令には美しい、令嬢だとかありますが、これは後の意味で、もともとは漢字の意味からすると命令するということ。律令制度の律は刑法で、令は行政法で、今でいうと政令、命令するということです。和は、憲法でいう平和主義の和が入っているのかというと、それはないのでは。仮にあるとしても安倍首相の積極的平和主義、それは自衛隊増強と日米安保強化をどんどん推し進めてきた安倍流積極的平和主義で、これは武力による平和の意味しかとれない。自民党改憲草案は、天皇中心の国家であるといわれていますが、天皇を元首にするし、しかも前文に和を尊びという言葉は入っている。何故その言葉が入っているかというと、自民党改憲草案のQ&Aで、それは聖徳太子の十七条の「和の精神」からきており、自民党の議員たちの多数が主張するので入れていると書かれている。だから和という意味は、天皇を中心とする国体、国民は君主に逆らうな、「和を以って貴しとなす」を意味する。だから憲法9条の必須の和は、ここにはないと解釈してもいいのでは。そうすると天皇を中心とする和と、軍事力、武力によって平和を維持するという方針を安倍政権が、権力的に命令しますよと、強制しますよという意味にとれる。安倍首相が、一億総活躍社会という意味を込めるのであれば、こちらは批判的に解釈してもよいのでは。
安倍首相は現行憲法をみっともない憲法といったりしているが、それに対して平成天皇は、即位した時から日本憲法を守りますと、一応一貫として言ってきた。その意味で平成天皇を評価する意見が強いのですが、しかし、南スーダンとかイラクとかに海外派兵され帰国した自衛隊員について、天皇、皇后も含めて慰労の懇談を200人程度で3回行っている。安倍政権が行い、国会でも非常に政治的に問題になった派遣について、慰労の行為をやっている。違憲性のあるものについて慰労行為を行っている。これはある種の公的行為で、平成天皇はこれを拡張してきており、これを次の天皇に引き継ぎさせたいということになっている。公的行為は国事行為でないもので、憲法に書いてないもので、これを平成天皇は新たに開拓してきた訳で、我々としては違憲性が強いと思っています。
安倍首相としては、平成天皇は少し厄介もので護憲的で少しうっとうしいと思ってたと思いますが、次の天皇は非常に懐柔しやすいと思っているようで、元号の内奏という形で2回ほど会っている。あれは懐柔しに行っているのではないか。小和田さんは、皇室外交のために政略的に結婚させられたということもあるから、安倍首相はこれを活用するのではないか。一方、秋篠宮は極めて抵抗的で、大嘗祭について公費の支出に疑問を投げかけています。新しい天皇は、記者会見でこれについて質問されていましたが、内閣の方針でやりますと言っていますし、安倍政権としては、この令和の元号は、天皇家との関係において若干やりやすくなって、改憲もやりやすくなるかもしれない。

(2)安倍政権の原発政策の問題点
ニュースであまりも大きく取り上げていない問題があって、福島原発事故以降は国内の原発はストップしていたはずであるが、国内の原発再稼働が進みつつある。海外における原発輸出政策を安倍政権は積極的にやってきたが、海外輸出は相手国と原子力協定を結んで進めるのであるが、ほとんど破綻した。しかし、安倍政権としては依然として原発輸出政策を諦めていないし、国内でも原発再稼働を進めている。これは何故なのかというと、原発の技術能力を依然として確保しておこうということと、核政策で、日米核同盟という核の傘を前提としており、前から問題になっている核兵器製造能力を維持し続けるという方針が背景にある。核兵器禁止条約に署名も批准もしないというのは、日本の核政策の背景がある。非核三原則も建前と実体は異なる。
昨年、日米原子力協定が自動延長しました。これは極めて重大な問題で、米国から輸入する濃縮ウラン、プルトニウム、そして核燃料サイクルを進めることも吟味されますし、同時に昨年国会で原賠法の改正法が審議され、これは我々の裁判でも問題にしたが、この法律の目的規定に「原子力事業の健全な発達に資する」と入っているが、被害者の立場からすると国会で議論するのであれば、この規定は除去して欲しいと、もっぱら被害者保護、損害賠償に徹した法律に改めるべきだという意見がありました。しかしこれは無視された。基本的には、現状維持で原発推進政策に適した原賠法になった。
原発メーカーの賠償責任ですが、現行法では東電は一定の賠償責任があるのですが、メーカー責任は問われないという法律になっている。これもおかしいのではないかという意見もあったが、これも結局現行通りになった。結局ほぼ現状維持の原賠法になった。被害者の損害賠償は極めて限定された形になった。

(3)日米2プラス2
現在2プラス2が行われていますが、日本の安保政策が極めて質的に問題になりそうである。宇宙防衛軍というものを創設するという動きがでてきている。これ自体が安倍政権の下で数年前に出された国家安全保障政策の基本的なベースに入っているが、それらが具体化してきている。

2.「非武装中立と平和保障」―憲法9条の国際化に向けて-(澤野義一先生著)
第二部 日本国憲法9条と非武装永世中立
 第4章 日本の「国連中心主義」と非武装永世中立論
非武装永世中立という考え方が戦後から日本に登場してくる。1951年にサンフランシスコ講和条約を締結して、一応独立して占領軍が撤退すると、同時に日米安保条約を締結した。その後、連合国が撤退した後、1956年に国連に加盟することになる。国連に加盟することになることは、一つの安全保障のあり方、国連を中心とした安全保障体制に日本は入り、その方向に進んでいくとなる。その一方で日米安保条約もあるので、日本は非武装を前提とした永世中立という考え方は維持できるのか、それは矛盾するのではないか。国連に入って且つ永世中立というものが両立できるのかという疑問もあった。スイスは国連ができた時に永世中立国として加盟しなかった。加盟したのは2002年になってからである。国連に加盟してしまうと集団的安全保障、これは集団的自衛権とは別の概念のものですが、全世界が国連という一つの平和機構に加盟して侵略した国については、国連全体として制裁を加えるもので、これは特定の国の間で防衛しようとする集団的自衛権とは異なる。国連の集団的安全保障というと、建前的には集団的自衛権に否定的な概念です。国連憲章51条に国連中心の安全保障の例外の例外として、国連安保が制裁を加えるまでに期間があるので、国連が制裁に出てくるまでは、緊急に同盟国間で防衛しあってもいいという集団的自衛権というのを、国連憲章51条に置いてある。しかしそれは極めて例外的ですが、大きい枠としては国連の集団安全保障がある。そこに永世中立国が参加した場合、例えば国連軍ができた場合に、軍隊がない国はどのように協力できるのか。軍事制裁を国連がやった場合に、永世中立国、非武装国とは矛盾するのではないかという考え方が、当時非常に強かった。それで日本も国連に加盟することになった場合、永世中立という主張ができるのかということが問題になってきていた。

Ⅰ 国連加盟までの国連と非武装永世中立論
1946年の明治憲法改正の帝国議会で、日本国憲法を修正する論議をやっていた訳ですが、いろんな安全保障論がでてきて、その中で中立を主張する議員達もいた。日本は、これから中立国としてやっていったらいいのではという意見が展開されていた。これについて、国会の中で将来日本が国連に加盟するということになると、中立というのは難しいという意見を、吉田首相が言った時に、当時国務大臣であった幣原喜重郎は、必ずしもそうではないと述べた。中立を批判する方は、中立は過去の遺物のようなもので、国連ができてからは、それは時代遅れであり、これからは国連ができて加盟することになると、永世中立というような例外的な制度では国連に協力することできないのでダメであり、孤立主義であるという意見が国会にでてきた。幣原は必ずしもそうではないということを当時言っていた。幣原は、国連憲章の「武力で紛争を解決してはならないというのは、基本的には9条と同じである。」とか、「国連から制裁せよと国連からの命令がきたら、それはできないと留保したらよいので、その方が世界は注目するのではないか。」とか、「国連が言えば何でもその通りにするのはおかしいのでは。」と述べている。
マッカーサーもそのようなことを言っていて、1949年の前半ぐらいまでは東洋のスイスたれとしきりに言っており、憲法9条こそ世界の方が見習うべきものだと言っている。マッカーサーと天皇との4回目の会談で、天皇は9条に不信感を持っていて、9条では日本の安全は危ういと言ったが、マッカーサーはアメリカが守っているから大丈夫ですよとたしなめている。天皇は、できるだけアメリカに日本をずーっと占領して欲しく、特に沖縄は50年以上占領して欲しいと。そしてマッカーサーは、日本本土は軍隊がなくても安泰ですよと言っている。だから中立でもいいですよと言っている。
1946年頃に、北昤吉議員は「日本は中立国としてやっていったらどうか」とはっきり国会で言っている。この当時、外務省はいずれ国連に加盟するようなことになった場合に備えて、どのような方針を立てるかについての文章があり、日本の非武装永世中立構想があった。但し、これは実現しなくて、1955年に吉田茂は、天皇の影響もあり、永世中立構想は放棄して日米安保体制の方向にいく。
1950年ぐらいまで、社会党議員は結構影響力を持っていたが、非武装がいいとして中立政策を唱えることには、社会党議員達は極めて否定的であった。鈴木義男(社会党議員)は永世中立については消極的で、国連中心でいくべきであると主張しているし、連立内閣の片山首相も「日本を永世中立国という古い型に入れないで、われわれは積極的に世界平和のための貢献をし、・・・・その意味において、進んで国際連合に参加し、・・・大いなる貢献をしたい。」と述べている。
1949年に中華人民共和国ができて、それから朝鮮戦争が勃発してくると、アメリカが占領政策を転換し、日米安保路線の方に舵を切っていく。そうなると益々永世中立という考え方が矛盾するということで、国連中心主義が全面にでてきて、日米安保路線が非常に重要になってくる。集団的自衛権体制、日米安保体制は、国連憲章51条では極めて例外的なものですが、これが表面化してくる。国際法学者の横田喜三郎は、日米安保条約を合憲と解釈をし始めます。結局、政府としては二つの路線、日米集団的自衛権体制と国連中心体制の2本柱を取る方針になっていく。従って、永世中立というのは益々意味のないものとして取り扱われることになった。
関西の方では、日米安保体制は憲法違反であるという論客がかなりいたので、京大の田岡教授とか社会党左派などは、日米安保体制よりも軍事同盟でない、つまり永世中立に路線を日本は取るべきであるという主張がでてくる。社会党の内部がこれで分かれていく。結局、社会党右派系は永世中立に否定的で、国連中心主義で行こうということで、この立場は自衛力の合憲論になっていく日米安保容認論に展開していく。社会党は、50年代には永世中立論で相当頑張っていた時代があったが、冷戦後は社会党全体(村山富市)が永世中立を放棄する方向に行った
1950年の自衛隊ができて本来的な武力を正当化するのですが、それまでは警察予備隊で、ちょっとごまかしの状態で明快な軍事力ではなかった。その時は、吉田首相や一部の憲法学者は、「武力によらない自衛権」という言い方をしていた。自衛隊という軍事力はありませんと。自衛隊ができるまでは、日本は一種の非武装化状態です。国家としては自衛権があるはずであるから「武力によらない自衛権」はあるという言い方をしていた。しかし、この自衛権というのは、実は独立の軍事力を意味するというよりは、むしろ日米安保体制という、集団的自衛権の方を意味していたのではないかと、今から思うと考えられる。日本は自衛隊がないので米軍と共同で防衛できなく、本来の集団的自衛権の行使はできません。そして片務条約ということで、軍事基地だけは貸していた訳です。非武装であるが故に非武装による自衛権という概念で「武力によらない自衛権」ということを考えていたと見ていい。自衛隊ができてはっきり武力による自衛権、自衛力による自衛権、自衛隊を正当化する武力による自衛権というのが明快にでるのは、1954年からです。この間は、日本は軍事力では提供できないので、軍事基地を貸し、武力によらないで自衛するという日米の集団的自衛権だったのではないか。だから永世中立は合わないということになる。
日本政府は国連加盟までどう言ってきたかというと、国連に加盟するに当たっても日本は9条があるので、軍事力によらないで参加するという方針で国連に加盟しますと言っていた。国連が軍事制裁をするから軍事力をだせといっても軍事力がないから、その状態で協力するしかありませんと留保して加盟しますと、つまり日本ができないことはしませんと。だから軍事力以外の協力で参加するという条件で国連に加盟する。国連はこれで容認した訳です。国連軍を提供する必要はないし、実際国連憲章では軍事制裁については強制力ありません。経済制裁については協力する義務がありますが、国連軍をつくる時に、各国が軍隊を差し出せという協定を、各国が国連と結んで国連軍を出します。だから軍隊のない国は協力する義務は、国連憲章上ないので、矛盾しない訳です。軍隊のない国が国連に加盟したからといって軍事協力は法的に負わないというのが、規定上も法解釈上もそうなっているので、永世中立国が国連に加盟することについて問題ない。ただ、スイスについては2002年まで加盟しなかったのは、古い考え方をとっていたためですが、その後加盟していますし、コスタリカも加盟しています。オーストリアは1955年に永世中立国として国連に加盟しました。コスタリカは軍隊のない形で米州機構(OSA)という国連の地域版に加盟していますが、加盟する時に非武装の憲法があるから、軍事協力をしませんという形で承認受けて入っている。だから日本は軍隊がないといって国連に入ったからといって、何ら不都合はないというのが正しい政府解釈です。

Ⅱ 国連加盟後の非武装永世中立否定論
   1 「国連中心主義のイデオロギー」
国連に加盟してからは、より国連中心主義というのがはっきり打ち出されて、永世中立に益々否定的な方向になった。国連中心主義という言葉は、1956年頃の「外交青書」で三原則(「国連中心主義」、「自由主義諸国との協調」、「アジアの一員としての立場の堅持」)の中で掲げられた。ただ国連中心主義はかなり建前的なもので、「自由主義諸国との協調」、つまり日米同盟を中心とするというのが実態である。このような考え方が強くなってくると、1956年から1964年にかけて内閣を中心とする改憲をするための「憲法調査会」がつくられ活動した。近年は国会の「憲法調査会」ですが、当時は内閣を中心とした「憲法調査会」が8年間、外国の憲法はどうなっているのか、いろいろ細々と識者を集めて調査活動をしていた。これは改憲を目的としやっていたのですが、実際は改憲論が下火になり、調査記録だけ膨大なものを残して棚上げになり「憲法調査会」は終了した。

2 憲法調査会における見解
8年間の「憲法調査会」の委員の中でいろんな発言がでてきます。
「その中で「国連中心主義」でやっていくのであれば、憲法9条というのは合わないということで、改憲論がでてきます。「国連中心主義」からいうと憲法9条は変えてしまわないといけないという論調と、永世中立というものは国連に合わないので、そういうものはダメですねという論調が強くでてきた。

3 「国際的安全保障」論
冷戦後になると「国連中心主義」という表現が、別の表現としてでてきます。「国際的安全保障」論だとか、別の表現でいろいろ提案されてくる。小沢一郎は1991年に自民党調査会を立ち上げて、従来の自民党が言っていなかったことをかなり大胆に提言することになった。彼は「積極的・能動的平和主義」という言い方を1991年にやっています。その中身は、非軍事平和主義や非武装中立などは、一国平和主義であり、小国平和主義なので、国際共同で安全保障を維持するという考え方からいくとこれは合わない。それで小沢調査会は、結局あらゆる形の海外派兵は全てすべきであると、国連の要請の下のも、あるいは、国連と無関係なものでも。国連軍、多国籍軍、平和執行部隊(武力行使できるもの)、平和維持部隊、そのほか今後国連の決議により定められる組織、あるいは集団的自衛権制度に参加できるまで踏み込んで小沢調査会は提言している。小沢氏は過去にこんなことを言っていたが、今はここまでは言わなく、集団的自衛権の行使については否定的です。

4 「平和保障基本法」論
冷戦後、9名の学者(古関彰一、高橋進、前田哲男、山口二郎ら)が雑誌「世界」で「平和保障基本法」を1993年に提言している。これはかなり現実論的な提言で、直ちに自衛隊は廃止にはできないので、最小限の防衛力は合憲として扱うものとする。小沢調査会のようなものはダメであるが、最小限の防衛力の合憲論的なもの、9条は変えないけれど「平和保障基本法」いうものでレベルをつくって、明確にしてはどうかと言っている。国連中心主義で国連軍ができれば、そこに参加することもありうるし、我々は憲法9条から非武装中立を導きだすような解釈論はとりませんと。この9名の識者の考え方は、当時の社会党に相当影響を与えと思われる。

5 「普遍的安全保障」論
旧社会党は、1993年に「政権への挑戦―93年宣言」で「普遍的安全保障」を提案した。国連中心主義で国連の軍事制裁およびPKOには参加していこうという提言をしますし、地域においては「全欧安保協力会議」(CSCE)に類似したアジア安保が指向されている。CSCEは、東西冷戦下のヨーロッパで社会主義国も含め軍事訓練をする場合は事前に通告してからやりましょうとか、そのような事を地域でやろうとしていたり、そこではヨーロッパの中立国も軍隊を持っている国も協力してやっていた。各国の人権が侵されないように監視する機能も持っていて、それなりに評価できるCSCEであった。しかし、冷戦が終わると集団的自衛権体制のNATO軍と協力するような形で運用されようになっていった。当時社会党はそのようなものをアジアでもやったらどうかと提言していたが、これはおかしいのでは。
旧社会党としては、安保体制がそれなりに確立していけば、自衛隊というものが縮小できる。国際的な、あるいは地域的な安全保障ができていけば、そのことで日米安保を吸収していき小さくしていくことができるとか、あるいは過渡的には自衛隊の再編・縮小過程において、「自衛権行使を領土・領海・領空に限定」した攻撃能力のない自衛力を合憲としてもよいという発想で、それに必要な立法を制定することもいいのではという発表をしている。結局、この中で非武装中立という方針を放棄する流れで、どんどん加速していくようになった。最小限の自衛力を認めて、即ちその自衛権を認めて、それに必要な立法を制定することもかまわない。これは現在の立憲民主党の言っている立憲的改憲論とほぼ同じである。

Ⅲ 「国連中心主義」の安全保障論から非武装永世中立論へ
「国連中心主義」を唱える人は、永世中立とか非武装中立とかに懐疑的というか批判的な傾向が見られる。何故、そのようになってしまうのかというと、国連万能論、国連に対する幻想というか実態を見ない所に問題がある。国連の現実の姿というもの、あるいは国連憲章自体が制裁戦争を肯定していているし、国連自体がまだ完成もしてないし、不完全なものになっている。それをより良い方向に改革する一つの方法は、憲法9条もそうだし、原則は集団的自衛権そのものを認めない永世中立という観点を国連憲章の中に生かす方法もありうる。永世中立は、国内的永世中立の意味はあるが、国際的にもそういう使い方がある。
国連は実態としては、5大国が帝国主義国であり、これらが国連を牛耳っているのが実態です。だから国連制裁の名の下で結局イラクとかアフガンとか、国家を消滅させてしまうぐらいのことを、国連の名でやっている訳です。ある種、怖ろしいホッブス的なリヴァイアサンという怪物、国家というのは怪物だとしてリヴァイアサンという言い方をしていますが、場合によっては非常に恐ろしい集権的な権力になる。国際連盟もそうであったし、国連も運用された時にそういう恐れがあると、従来からそのように批判する考え方はあった。
海兵隊でベトナム戦争に参加し、その後政治学者で、沖縄にも住んだことがあるダグラス・ラミスは、国連も含めた権力組織の非暴力化を提言し、国家の交戦権を認めない憲法9条が21世紀の紛争解決のモデルになると指摘している。
1920年代のアメリカ合衆国で、合衆国憲法を日本の憲法9条のもののように改正しようと運動が起きてきた。国際連盟ができ、1928年に世界で建前上戦争を禁止する不戦条約ができ、戦争を一般的に禁止することになるが、自衛戦争は実際認められることになった。一切の戦争は放棄して且つ国連のような所に戦争をさせないという徹底した平和主義が1920年代にアメリカに起きてきた。国際連盟とか国連に軍事力を集中させるということに対する違う考え方である。
鈴木安蔵は、1945年、46年段階では憲法9条を提言していなく、自衛力がいるという前提に立っていた。だから憲法研究会の草案には9条のような考えは入っていない。人権条項などは非常に素晴らしかったのですが、その後1950年代半ばから非武装中立論者に明確に変わった。この非武装中立の観点で、国連憲章も本来の国連憲章に完成させる必要があるという提言、そして田畑忍は、1960年ぐらいから世界に9条の条文を取り入れるということとか、日本は国連総会で提案すべきで、永世中立も国連で認めてもよいのではとの提言をしている。これは実際実現します。1983年にコスタリカで非武装永世中立が実現し、トルクメニスタンは永世中立国として国連総会で満場一致で認められて、憲法改正して非同盟永世中立国と定めた。アフガン戦争が起きた時はアメリカ軍が軍事基地を貸せと言った事に対してトルクメニスタンは拒否した。トルクメニスタン国内は一種の独裁政治に近いのですが、澤野先生は、北朝鮮はこれを見習ったらどうかと考えている。中立国として朝鮮半島でもいいですが、南北おのおのの国家でもいいですが、永世中立国を宣言し、世界が承認を与えるという形で、内政をどうするかは後で考えるとして対外的にはそのような形でやったらどうかと考えている。

以上
2019年5月2日 井上浩氏記載