第20回平和学習会

「平和憲法とこの国の自立を考える」輪読&勉強会 第20回

日時:2019年3月16日 14:00~17:00
場所:大阪南YMCA
講師:澤野義一先生(大阪経済法科大学法学部教授)

1.象徴天皇と平和憲法および天皇の代替わり
4月から5月にかけて代替わりの儀式、11月ごろに大嘗祭が行われる。これについて昨年の12月にキリスト教関係者、仏教徒、一般市民、約400名が原告になって代替わりの儀式を差止める裁判を東京地裁に提訴した。宗教者にとっては宗教の自由が侵されると、一般市民にとっては思想良心の自由が侵されるということで、いわゆる精神的損害を被るということで、国に対して国家賠償請求を行った。代替わりの儀式を差止めと損害賠償請求をしたのですが、 東京地裁は2月5日付けで、「即位の礼・大嘗祭違憲訴訟」のうち、一連の天皇「代替わり」儀式に対する国費支出の差し止めを求めた部分について、ただの一度も口頭弁論を開かないままに、「訴えを却下する」との決定を下した。損害賠償請求については、2月25日(月)に1回目の口頭弁論が開かれる予定であるが、それに先立ち、今回東京地裁は、行政事件部分に関して請求却下の決定を下した。その理由としては、法律は、原告らが主張するような「納税者基本権」などの権利を保障していない、また、国費支出の違法性を理由として支出差し止めを求める訴訟を認める規定も存在していないので、本件訴えは不適法であり、「口頭弁論を経ないでこれを却下する」ことにしたというのだ。
戦後、昭和天皇と平成天皇は、平和憲法についてどのような考え方をしていたかという事ですが、今度交代する平成天皇については、平和主義的であると、あるいは護憲的であるということで、安倍改憲に対して批判的な人からいうと期待値が高い。他方昭和天皇については戦前から連続しているが、戦後マッカーサーとの取引で、象徴天皇として残った訳です。平和憲法をつくるということと天皇を残すという妥協のかたちで残った。実際はどうだったかというと、結局1950年ごろサンフランシスコ講和条約を結んで独立するのですが、その間事実上、内閣を飛び越えて裕仁天皇はマッカーサーと11回会談している。その中で、天皇は憲法9条をあまり信用しなく、このままでは日本の安全保障は危ないということが前提で、是非アメリカに日本を守って欲しいということで日米安保体制を擁護した。それから沖縄については20年から50年、あるいはそれ以上に亘って統治して欲しいと要望した。結局昭和天皇は日米安保体制と沖縄占領を基本的に決定する行為を行った。徐々に平和憲法に否定的に、象徴天皇の憲法上の地位を超えてかなり政治的な行為をやっていた。これに比べると昭仁天皇は日本国憲法を守ることを即位してから一貫して言っていることで評価が高い。リベラルな識者、あるいは左翼的な学者が天皇制に批判的なはずなのに、かなり共感している現状があり、しかしそれで良いのかという疑問がある。
自民党の改憲草案(2012年)では、天皇が中心となる国家を目指すという完全な非常に強い君主制国家を目指しており、天皇の宗教儀式については宗教性がなく文化・伝統であり、政教分離に反しないという内容になっており、いろいろ問題がある。
昭和天皇は今の自民党の安全保障のベースを事実上築いた。全く象徴天皇ではなく、非常に政治的な憲法違反の行為を後ろでやっていたことになる。それに比べると昭仁天皇は憲法を守ると即位してから言い続けてきているということで、護憲派は期待値が高いが、果たしてそれで良いのか。実際、慰霊の旅とかいって戦地に行っていますが、日本兵に対してしか言っていない。外国兵の死亡に対しては責任を感じるとかの発言、そのような場所には行っていない。結局安倍内閣が重点を置いている外国を回っていることになり、イラク派兵、約400名を皇居に呼んで賛辞の発言をしたりしていて、意外と平和憲法に反する言動がある。しかしこれらのことをマスコミは一切報道しない。慰問したりするプラスのイメージは報道されているので、非常に平和主義的な天皇であると、知識人もリベラルの学者もそのように評価をしている。そもそも天皇制に問題があるのであるが、天皇に期待するというのは、226事件もそうですが、天皇に期待して政権を代えようとして結局天皇に裏切られ、とんでもないことになった戦前の例がある。代替わりに当たってこれからどうなるかを考えておく必要があるのでは。

2.辺野古新基地建設の違法・違憲性
この基地建設は、中国等の軍事的脅威を念頭にした北東アジアにおける日米の軍事的抑制力を維持するため、米軍の基地機能強化だけでなく、自衛隊の今後の海外派兵出撃のための基地使用も意図するものである。これは憲法の観点からは、まずは平和主義に違反する。日米両政府は、日米安保条約・地位協定・駐留軍用地特別措置法により、米軍が日本国内のどの地域でも軍事基地を設置することが自由にできる権利であるとの解釈で、新基地建設を正当化しているが、これは問題である。日米安保条約では、米軍が日本の地域を使用するのは権利でなく、使用が「許される」にすぎないと規定されている。日本政府に、憲法9条を中心とする平和憲法擁護の意思があれば、米軍の基地建設を制限ないし拒否することができる。一切の戦争と、戦争準備のための軍隊の保有を禁止する憲法9条の下では、日米安保条約と関連の協定や法律等は元来違憲なのである。

3.日米安保条約
米軍は北海道から九州、沖縄のどこでも自由に基地建設ができる権利があると日本政府は解釈している。大阪なら八尾空港に米軍基地をつくりますと言ってきたらこれはなかなか拒否できない話になる。日米安保条約と地位協定を読むと権利なんか書いてない。使用することが許されるとしか書いてない。だから権利ではないのですから日本政府としては拒否できる。
日米安保条約の6条の条文は、「日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するために、アメリカ合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することが許される」となっており、アメリカに権利はない。日本の意思によって「許さんぞ」と言えばそれまでである。所がアメリカに権利があって、日本中どこでも基地がつくれるというように、どうも思われている節があって、日本政府もそのようなかたちで認めている。これは全く条約をみていないことになる。この6条が、日本の基地を使って米軍が海外に展開できる根拠になっている。
第5条は、日本の領土が攻撃された場合、日米共同で戦うことが書いてある。日本国の領域内において、米軍基地や日本の領土が攻撃された場合、日米軍共同で防衛するものである。
第10条では、この条約では10年間の効力があって、それ以降はいずれも一方的な終了通告ができるとなっているが、日本政府は黙認しているので、ずーっと続いている。

4.自衛隊法の変質的運用
朝鮮戦争を背景として1950年8月に創設された警察予備隊は、52年に保安隊、54年に自衛隊へと発展した。戦力に至らない合憲の実力・自衛力として位置づけられ、自衛隊法では、防衛出動、治安出動、災害派遣の任務を与えられている。1954年に国会で自衛隊法ができたのですが、この時防衛出動については、自衛(専守防衛)の範囲を超える海外出動(派兵)は禁止するという参議院本会議決議がなされた。これは全員一致です。自衛隊法はつくるけれど、国内の防衛に限定するもので、一切海外への派遣はしませんという合意の下でつくられたのが現実です。しかし自衛隊の実力は年々増大し、さらに海外派遣に使うという流れになってきている。大きく変化したのは、1990年代以降、国際平和貢献論や日米安保の地球規模への拡大適用論が強調され、海外派兵が自衛隊の重大任務となりつつある。そのために自衛隊法をどんどん改正してきた。1950年の原点を全く無視してどんどん改正してきている。

5.積極的平和主義による安保法制整備
安倍政権による安保法制整備は、2014年7月1日の閣議決定の方針に基づき2015年3月20日の自公合意共同文書において、自衛隊活動の5分野の概要が提示され、現在は法案が成立し具体的に運用が進んでいる。これは一般法で、いかなる場合でもほぼいちいちい特措法を
つくらなくても対応できるものが出来上がっている。
基本は、従来集団的自衛権の行使はできないというように歴代内閣は言ってきたが、安倍政権は政府見解を変更して集団的自衛権はできると変更した。これに基づいていろんなものを修正した。
①武力攻撃に至らない「グレーゾーン」では自衛隊法を改正して、日本防衛に資する活動中の米軍や他国軍を防衛するため自衛隊による武器防護の対象を拡大する。
②「日本の平和と安全」では周辺事態法を改正して、日本周辺の地理的制約を撤廃し、米軍以外の他国軍支援として武器・弾薬提供も可能とする。以前は武器・弾薬を運ぶことはできたが、今回の改正で自衛隊の持っている武器・弾薬を提供できるようになった。
③「国際社会の平和と安全」では、国連外の機関要請の場合でも、従来の個々の特別措置法等に代わる恒久派兵法を新設して多国籍軍支援を行う。また国連PKO協力法を改正して、PKO活動を拡大し(他国部隊への警護等)、PKO以外の国連が統括しない有志国による治安維持活動等にも参加する。
④「集団的自衛権」では、自衛隊法・武力攻撃事態法等を改正して、日本と密接な関係国に対する武力攻撃が生じ、日本国の存立と国民の幸福追求権等が根底から覆される明白な危険がある場合、国と国民を守るために必要最小限の武力行使を可能にする。
⑤その他として、船舶検査については、船舶検査活動法等を改正し、日本周辺以外のシーレーンにおいても臨検を可能にする。船舶検査は一種の軍事行動であり非常に問題があり、これまでは日本周辺だけであったが範囲を拡大した。他国軍への物品・役務の提供(ACSA)については自衛隊法等を改正し、米軍以外への提供や海賊対処等にも拡大する。これまでは米軍だけであったが、米軍以外にも拡大した。邦人救出では自衛隊法を改正し、領域国の受け入れ同意がある場合、武器使用を伴う派兵を可能にする。

集団的自衛権は自国が攻撃されていないのに他国を防衛する先制攻撃で、かつ同盟国が本当に自衛のための支援を要請しているか不明のまま(侵略戦争をしている場合も)参戦してきた米国やソ連などの歴史的事例からすると、戦争や交戦権を放棄している9条と抵触するとの批判がある。

6.「非武装中立と平和保障」―憲法9条の国際化に向けて-(澤野義一先生著)
第2部 日本国憲法9条と非武装永世中立
 第1章 日本国憲法の平和主義
 第2章 日米安保体制と自衛隊の海外派兵
  Ⅰ 日米安保体制
   1 日米安保体制の動向
ここでは日米安保体制がどのように最初できあがったかを述べている。
旧安保条約(1951年)は、10年後の1960年に改訂され、これは現在も続いている。安保条約は10か条しかない短い。これの具体的なものは日米地位協定というかたちで細かいところは定めている。
1960年の安保条約以降、これをもっと具体化するために日米間で防衛協力のガイドライン、これは政府間レベルで国会にもかけないで事実上日米軍事同盟を強化するいろいろな取極めが日米間でなされていくという流れになっている。1978年のガイドライン以降、だんだんとこれが強化されている。
日米安保条約は、東西冷戦の下で生まれてきたものです。、所が1990年前後から東西冷戦が崩壊するが、そうなると日米安保体制の存在理由がなくなったのではという考え方もありえたし、そのような主張もあった。日米間では日米安保条約の存在理由の新しい考え方として、いわゆる「再定義」が行われた。東西冷戦下の場合は極東ぐらいまででしたが、冷戦崩壊以降は地球規模において日米安保を拡大適用するという考え方なった。このような方針は、その当時の防衛大綱に取り入れられた。
さらに日米共同防衛が強化されていく一連のものが決定された。日米物品役務相互提供協定で、弾薬を除く燃料・武器部品などの物品と輸送・修理などの役務を平時に相互提供しあうとされている。

2 日米安保条約に関する憲法問題
    (1) 駐留米軍合憲論
日米安保条約というものを、政府側はどのような理屈で正当化しているのか、裁判所がどのような理屈で正当化したのかということです。憲法学者は大体この日米安保条約は憲法違反性が強いという主張していたが、最高裁、政府は合憲であるという考え方をしている。その理屈は幾つかの考え方があり、ここでは特に砂川事件の判決で最高裁が述べた理屈は、駐留米軍合憲論というかたちで、日米安保条約については憲法に違反するかどうかは直接述べないというかたちで、駐留米軍が合憲かどうかを扱うという論法です。そして日米安保条約は高度の政治的問題であるので、それ自体が憲法に違反するかどうかは積極的に論じないという、統治行為で逃げた。

砂川事件の判決について(1959年12月16日)
・事実
被告は、米軍が使用する飛行場の測量に対して、飛行場内に立ち入った。この行為が、旧日米安保条約3条に基づく行政協定に伴う刑事特別法2条に該当するとして、起訴された。一般にいうと他人の家に不法侵入したという刑罰ですが、これを日米安保条約を具体化した、当時地位協定ではなく行政協定ですが、この行政協定を特別刑罰として国内法として刑事特別法をつくっていて、これに違反するということで、被告が起訴された。事件としては刑事事件で、有罪か無罪を決める裁判になる。無罪にするには、日米安保条約とか駐留米軍が憲法違反であることが証明されれば無罪になる訳です。そうでなくて駐留米軍が違憲かどうかは良く分からないと黙認してしまうと結果的には有罪になる。
・東京地裁判決(1959年3月30日)
米軍の駐留は9条2項に違反し、従って刑事特別法2条は憲法31条に違反し無効であるとして無罪判決を下した。しかし、検察官が飛躍上告した。飛躍上告というのは、高裁を飛び越えていきなり最高裁に上告することです。これは最高裁が非常に重要視したことを意味する。しかも結論を早くださないといけないという状況であった。最高裁の判決日をみると1959年12月で翌年1960年は日米安保条約を更新する年です。だから日米安保条約が憲法違反でないということ早く結論をださないといけないという政治的要請が極めて高かった。だから飛躍上告した訳です。
・当時の田中耕太郎裁判長官は、外務省の高官、それから駐日大使とかに事前に会って、このような判決をだすと口約束をしていたという文章が最近明らかになっている。これは司法権の独立を侵しているとんでもない判決である。従ってこの最高裁判決はそもそも無効ではないかと思われる。
・最高裁判決(1959年12月)
判旨 (破棄差戻)
最高裁自身は有罪か無罪かの結論をださなかったけれど、理屈だけ示して下級審に差戻した。
①自衛権に基づき外国に安全保障を求めることができる。
*日本は主権国家として自衛権があるので、その必要な自衛のためには外国に安全保障を求める、つまり日米安保条約を締結しても何ら問題はない。
②外国の軍隊は憲法9条2項の戦力に該当しない。9条2項がその保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体なってこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力を指し、外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、ここにいう戦力には該当しない。
・統治行為論
安保条約が違憲かどうかの判断は、「一見極めて明白に違憲無効」でない限り、司法裁判所の審査になじまない」とすると言っている。安保条約そのものの憲法適合性に関する正式の実体的判断は示されていない。つまり高度に政治的な外交問題については裁判所は不偏公正の立場であり政治的な論点については違憲か合憲かは述べないというのが、統治行為論です。述べないということは、日米安保条約を黙認する訳で、事実上は合憲としてしまう。統治行為論は高度に政治的な問題はどうするかと言えば、選挙の時に有権者に意見を問いなさいということで、司法権は答えをださないと、民主主義の社会では選挙の時に有権者が判断すべきものであるということです。日本憲法の81条(違憲審査権)に、最高裁は、法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有すると書いてある。勝手に政治的な問題であると認定すれば判断回避できてしまう。例えば、人権問題についても考え方によっては非常に政治的な問題で、外国人の参政権などとか、ヘイトスピーチが良いか悪いとか、男女平等とか、考えてみればこれらは非常に政治的な問題ですが、人権問題といえば判断しないということは基本的にはない。だから安保条約が高度で政治的問題であるから判断しないというのは、非常に恣意的なものであり、統治行為論は非常に問題があると思う。
*駐留米軍については、9条2項の陸海空軍その他の戦力を保持しないというものは、日本の管理権が及んでいるものだけで米軍は及ばないので、9条2項に該当しないで、それは知らないという非常に無責任な言い方である。しかし駐留米軍が日本に居るということは、日本政府の国家意思で認めている以上、これは日本政府が関与している訳ですから、これを知らないという訳には常識的に言ってもいかないと思う。
・控訴審判決(東京高裁、1962年2月)
最高裁は判断しなく下級審に差戻して最高裁の理屈を前提として有罪判決になる。

 (2)  日米安保条約=統治行為論
大田知事の時は、地主が持っている土地を米軍に提供するかどうかについて知事の意向で決定できたので、その時知事が代理署名を拒否した。これに対して政府が訴えた沖縄米軍基地代理署名拒否事件判決において、沖縄県側は、駐留米軍用地強制収用の根拠法である米軍用地特別措置法(特措法)およびこの特措法の沖縄への差別的適用の違憲性(適用違憲)を争った。但し、この時の沖縄県は日米安保条約そのものが憲法違反かどうかはという論点はださなかった。日米安保条約を争っても最高裁判決があるから無視されるのが分かっているから、この論点は置いといて適用される法律の問題で違憲性を争った事件です。
この時の最高裁判決は、適用違憲論をしりぞけたが、背後には日米安保条約の合憲論というのが前提にあってしりぞけたのだろうと思う。

 Ⅱ 自衛隊の海外派兵
    1 国連軍参加
    2 多国籍軍参加
    3 掃海艇派遣
    4 避難民・在外邦人救助

自衛隊の海外派兵は、国連の要請に基づく場合と、集団的自衛権に基づく場合とが考えられる。前者には国連軍やPKO(国際平和維持活動)の派遣が、後者には自衛隊法に基づく掃海艇派遣、日米ガイドラインを具体化した周辺事態法による米軍への後方支援のほか、テロ対策特別措置法やイラク復興支援特別措置法による外国軍(米軍中心)への後方支援という海外派兵(多国籍軍参加)が含まれる。
周辺事態法は、法律はできたが実際にはまだ発動されていないが、日本周辺地域において米軍の軍事行動に自治体、民間人、自衛隊に後方支援を要請するものである。これは日本が直接武力攻撃を受けていなくても日本領域を超えて武器・弾薬などを輸送したりするもので、朝鮮半島で米軍が戦闘行為をした場合、日本はこれに後方支援をするという中身です。この法律では、例えば、米軍の軍艦が日本の自治体に入ってくると公務員を使って水とかを運ばせるということになる。実際訓練としては、小樽港では公務員を使ったり、民間人に対して協力要請があり、アメリカの人はこの病院を使えというマップがつくられている。
周辺事態にさいして国連安保理決議か船舶国の同意に基づいて、自衛隊が船舶検査ができることになった。これまでは船舶検査は武力行使になるのでダメであるとなっていたが、これを可能にする船舶検査法も制定されている。
テロ対策特別措置法は、テロの防止と根絶のため国際社会の取り組みに寄与することを目的に、外国軍に自衛隊が軍事的後方支援をするものである。現実には米軍などによるアフガニスタンにおける軍事活動をインド洋上で自衛隊が給油活動などを通じて支援している。当初はアフガニスタン本土まで自衛権をだせという要請であったが、それは難しいので給油活動になった。これは間接的ながら米軍との軍事行動をする訳ですから、一種の集団的自衛権行使に当たることになるので違憲と言わざるを得ない。これは特措法なので事件ごとに法律をつくるので今は終了している。
イラク復興支援特別措置法は、米英によるイラク先制攻撃による占領後のイラクの人道・復興と安全確保支援を目的に、自衛隊をイラク本土に派遣するものである。アフガニスタンの場合は、本土は非常に危険であったので、派遣はしなかったが、イラクの場合はアメリカの要請で本土に派遣することになった。この特措法は非戦闘地域に限定した自衛隊派遣になっていたが、実際は航空自衛隊が行ってからは米軍を運んだり、実質上戦闘地域で活動していたのではないかということで、裁判が起こされた。

イラク派遣違憲裁判
イラク派兵に対して違憲訴訟が北海道から九州まで11か所で裁判が起こされた。大坂では2件の裁判ありました。名古屋高裁の判決(2008年4月17日)で唯一、イラク派遣は違憲判断であると示された。この判決を書いた判事は、判決後すぐに止めて、ロースクールの先生になった。この判決は若い判事では書けない。書けば左遷されるから。
・争点
①自衛隊のイラク派遣は憲法9条1項に違反するかどうか、②平和的生存権は具体的な権利かどうか。
・事実
国がイラク特措法に基づき自衛隊をイラクに派遣したことは憲法9条に違反すると原告は考えた。そこで、派遣によって平和的生存権が侵害されたとして、国賠法1条1項に基づき各自1万円の損害賠償を請求した。また派遣の差止請求をし、さらに派遣が違憲であることの確認を請求した。
第一審判決(名古屋地裁、2006年4月)は、差止請求と違憲確認請求を却下し、損害賠償請求を破棄した。それに対して控訴した。
・名古屋高裁
結論は控訴棄却です。つまり損害賠償とか差止とかは認めないという意味で退けた。但し、判決の中で自衛隊のイラク派遣は憲法違反であることを明確に示した。
自衛隊のイラク派遣は憲法9条1項に違反する。「現在のイラクにおいては、・・・国際的な武力紛争が行われているものということができる。とりわけ、首都バクダットは、・・・イラク特措法にいう『戦闘地域』に該当するものと認められる。」「航空自衛隊の空輸活動のうち、少なくとも多国籍軍の武装兵員をバクダットへ空輸するものについては、・・・他国による武力行使と一体化した行動である。」「よって、現在イラクにおいて行われている航空自衛隊の空輸活動は、政府と同じ憲法解釈に立ち、イラク特措法を合憲とした場合であっても、武力行使を禁止したイラク特措法2条2項、活動地域を非戦闘地域に限定した同条3項に違反し、かつ、憲法9条1項に違反する活動を含んでいることが認められる。」
結局イラクで行っていることは、武力行使をしたということになるので、武力行使を禁止している憲法9条に違反するという判決を中身で述べた。
・平和的生存権が侵されたかどうかという点ですが、これは侵される可能性があるというように述べている。「平和的生存権は、憲法上の法的な権利として認められるべきである。この平和的生存権は、局面に応じて自由権的、社会権的又は参政権的な態様をもって表される複合的な権利ということができ、裁判所に対してその保護・救済を求め法的強制措置の発動を請求し得るという意味における具体的権利性が肯定される場合があるということができる。」
具体的に権利を請求する、例えば日本政府が徴兵法をつくった場合、平和に生きる権利が具体的に侵される訳なので、その場合は平和的生存権が侵されると言っている。但し、イラク派遣のような場合について、日本国内にいる市民が、自分が精神的苦痛を受けたからと言って直ちに権利が侵されたというようには言えないであろうと言っている。だからこれは棄却される訳です。一般論としては平和的生存権が侵されて裁判で争う場合がありうると述べたのですが、これだけでも価値がある。但し、日本国内において直接派遣された本人でもない、家族でもない人が訴えることになると、その具体的な権利侵害があったとは言えないので、そこは棄却するという話になる。
この判決は高裁ですが、結果は国が勝訴したのですが、つまり原告の訴えは退けられて敗訴した訳です。裁判では敗訴した方の原告が最高裁に控訴する資格があったのですが、中身で勝ってしまったので、原告は控訴せず、勝訴した国は上告する権利がなく控訴することができなく裁判は終了し確定した。

政府としては事件ごとに特措法をつくって対応してきたのですが、それは事件が過ぎるとその法律は使えなくなるので、いかなる事件にも一般的に対応できる包括的な方法をつくる必要がずーっと課題としてあった。それを可能にしたのが、安倍内閣での新安保関連法案、集団的自衛権の解釈を変えた方法です。

Ⅲ 国連平和維持活動(PKO)
     1 PKO協力法制定に至るPKO論議
    2 PKO協力法の運用問題
    3 PKO参加に関する憲法論

PKOはこれまで5原則、①紛争当事者間の停戦合意の成立②紛争当事者の受け入れ同意③中立性の厳守④上記の原則が満たされない場合の撤収⑤武器の使用は必要最小限、があって、PKO協力法をつくって、武力紛争が終わって停戦監視のようなかたちで派遣されていた。しかし自衛隊が全く軍事的活動をしなかったかというと、日報などが隠されておりPKO法律に違反したかたちで活動をしていたのではないかといろいろ言われており、問題が残っている所へもってきて、新しい安保法制ではPKO活動はさらに拡大活動が可能になった。今回もPKOの原則に従うが、政府は、エジプトのシナイ半島でイスラエル、エジプト両軍の停戦を監視する多国籍軍・監視団(MFO)に、司令部要員として自衛官を派遣する方針を固めました。着々と新しい安保法制に基づいた日米合同軍事演習とか、尖閣諸島の奪還のための軍事演習とかがされている。
PKOについては国連のためにやるので自衛隊を派遣したからと言って何ら問題がないという意見もあるのですが、澤野先生は自衛隊派遣のPKOは全て紛争地域であり、今国連がやっているPKOは大分変わってきており、相当強引で、PKOが派遣されるのは、政府軍と反政府軍と戦っている国内の戦争で、A国とB国の戦争の後に入り込むというのはほとんどない。一国の中で政府と反政府軍が戦って内戦状態があってそれが終結してその政府の要請で派遣するという形態です。ほとんど民族問題なのです。だからこれらは外交問題で自衛隊を派遣したからといってどうにかなるという話でもないし、今国連としてはPKOにかなり軍事活動をさせる方向に変わってきていて、そこへ自衛隊を派遣することは前よりももっと危険な状態なるであろうと言われている。だからPKOで行ったからと言っても内戦に巻き込まれて軍事行動しておそらく自隊員に命が危なくなる。

以上

{井上浩氏記載)