第12回平和学習会

「平和憲法とこの国の自立を考える」輪読&勉強会 第12回

日時:2018年5月19日 14:00~17:00
場所:大阪南YMCA
講師:澤野義一先生(大阪経済法科大学法学部教授)

要点
1.自民党改憲案
自民党が改憲発議をめざす具体的な案として4項目を提示。
①9条に自衛隊を明記する提案
今の9条はそのままにしておいて9条に自衛隊を明記する。実体的には個別的自衛権、集団的自衛権が可能なるものであるが、戦力を保持しない条項は残るので、いくら自衛隊を明記しても自衛隊の実力が戦力に該当するかどうかの議論の余地は残る。
②緊急事態条項を新たに憲法にもうける
元の改憲草案では、あらゆる緊急事態、武力攻撃・内乱・大規模自然災害、つまり戦争にも対応できるような包括的な緊急事態において、国民の権利を制限するという内容であったが、今回は武力攻撃の際にとか内乱の際にという表現は外して、単に大規模災害という言葉に置き換えた。しかし、大規模災害には武力攻撃災害ということが含まれる。
③参議院選の合区解消規定の導入
必ず各都道府県から一人だすという選挙制度は、参議院は半分交代なので、一人の選挙区が一杯でてきて、一種の小選挙区制になる。
④教育の充実を規定の追加
本来は高等教育を無償化するというはずであったが、これで選挙をやって終わったら憲法改正案ではその文言は何処かへいってしまい、教育の充実ということで「教育は国の未来を切り拓く」文言とか「教育環境の整備に努める」文言を追加するものになっている

2.改憲国民投票法の問題点
①広告規制なし、②公務員・教員の投票運動の禁止、③投票運動期間が非常に短い、
④最低投票率の規定がない、⑤国民投票の過半数の問題。

3.野党の九条改正案について
安倍改憲の反対している野党の改正案は、実は自民党とあまり変わらない。
野党全体をみると、これは護憲的改憲です。これは皆国家の自衛権というものを当然のごとく認め、しかも何らかの武力で自衛することを意味するという解釈を示している。理屈としては、自民党の提案している改憲案に反論はできない。ただ実践的には自民党の改憲案に反対するということであるが、それはそれで良いのですが、理屈としてどうかという問題が残る。

4.自衛権の政府見解
自衛権に関する政府の回答は、自然権としては説明していない。国家として自然権として自衛権があるというのではなく、憲法13条、つまり生命、自由幸福追求する国民の権利を国が守る義務あり、ここに国家の自衛権を根拠付けると政府は答弁している。
澤野先生の解釈では、これらの議論は、9条との関係性なしに自衛権を説明している。9条⊕は戦争放棄と武力放棄をしており、その条文抜きに国家の自衛権を書いたりするのは全くおかしい。
5.自然権
澤野先生は、あまり自然権という言い方はしないようにしている。自然権思想は一つの考え方なので、あまりこれを強調しても、若い人には意味が分からないし、イメージできないし、相当研究しないと認識できないし、一般人に自然権思想を言ってもピンとこない。

6.自民党憲法改正草案の検討
(1)国民の権利と義務に関する問題
①人類の総則的規定
現行の「公共の福祉」というのは、一般的には全ての人権にかかわることで、経済活動の件、職業選択や個人財産権の行使などの経済活動の所について制限が可能であるが、表現の自由とか信教の自由など、精神活動に関するものについては「公共の福祉」で制限できるという条文はついていない。所が、自民党の改憲草案の「公益及び公の秩序」は、精神的自由権の方をより強く制限しようという国家主義的な考え方が全面に出てきている。他方、経済活動の方はどちらかといえば野放しにしようと、規制はあまりかぶせない。

(2)個別的人権規定
①外国人参政権の否定、②奴隷的拘束禁止規定の削除、③政教分離原則緩和による信教の自由制限、④全体の奉仕者論による公務員労働基本権の制限、⑤拷問・残虐刑禁止規定の緩和、⑥抵抗権と将来の国民の権利保障規定の削減、⑦新自由主義による権利の保障と制限、⑧「新しい人権」規定。
(3)国民の義務の増設
①前文:いきなり天皇を戴く国家であるとの規定がでてきて、「国と郷土を守る義務」、「和を尊ぶ」、「家族や社会が互いに助け合う義務」が定められている。
②9条の3:9条の自衛権に関連して国民の領土保全協力義務が導入されている。
③3条2項:国民の国旗・国家尊重義務を定めている。これは元号に関する規定の導入と一体化のもの。
④19条の2:プライバシー権の保護の規定もでてきますが、これは必ずしも権利があるという表現で書いてない。そして国民に対してのみ個人情報の不当取得や利用を禁止しているのも問題である。
⑤24条の1:憲法で「家族はお互いに助け合わねばならない」という非常に道徳的な義務規定を敢えて導入。家族に自己責任を負わせようと、新自由主義的な思想、先ずは家族で責任を負ってもらおうということ。
⑥25条の2:国民の協力の下に国が環境保全に努めることを規定しているが、国民の環境権は明記されていない。
⑦92条の2:地方自治体における住民の協力義務、権利というより義務が沢山でてきているのが特徴である。例えば有事法制・国民保護法が運用されるような場合には協力義務を負うことになる。
⑧99条3項:緊急事態条項を発した場合の、国民が指示に従う義務があるというものが新たに提起している。
⑨102条1項:、擁護する義務があるという規定から先ず天皇を外し、そして公務員が憲法を守るに先立って先ず国民が守るという事を条文として書き込む変更を加える。
3.国民主義に関する問題
(1)憲法前文との関連
天皇を戴く国家が前面にでてくる。天皇と国民は一体であるという天皇制共同体、国体です。これが前面にでてきた関係で日本は社会契約的国家ではないとの改正草案になっている。
(2)統治制度との関連
①天皇との関連
天皇の元首化に伴う、従来の国事行為以外の公的行為の容認規定や天皇の憲法尊重擁護義務の削除は、国民主権の形骸化である。
②国会との関連
選挙区は人口を基本としつつも地勢等を総合的に勘案するという趣旨の規定が明記。政党の活動の公正確保と健全なる発展に努めることが義務づけられ、また「公益及び公の秩序を害することを目的とした活動」を行うような「結社」は認められない規定。
③内閣との関連
行政各部の指揮監督・総合調整権、国防軍の最高指揮権、衆議院の解散決定権を設けた。
④司法権との関連
最高裁判事の国民審査の時期が法事事項に委ねられ、国民審査の回数が法律で減らすことが可能になる。
⑤地方自治との関連
国と自治体が「法律の定める役割分担を踏まえ、協力しなければならない」という規定。住民が地方自治の「役務の負担を公正に分担する義務を負う」という規定。
福祉の関連では、地方自治体の「自主的な財源をもって充てること」が求められ、これは国民・住民主権の否定を意味する。
(3)憲法改正手続きとの関連
改憲草案における憲法改正手続きは、国会の改憲発議要件を現行憲法の3分の2から過半数に緩和しようとするものである。

4.平和主義に関する問題
 (1)憲法前文との関連
「国政が国民の信託によるものであり、その権威は国民に由来し、その権力は国民代表が行使し、福利は国民が享受する」という、自然権と社会契約思想をルーツとする国民主権に基づく民主主義を述べた現行憲法の記述を削除している。
   (2)憲法9条との関連
 (3)憲法9条関連規定―国家緊急事態権を中心に

 5.改憲論議と立憲主義に関する若干の問題―むすびによせて
自民党改憲草案は、「権力を縛る憲法」から「国民を縛る憲法」に改悪するもので、本来的には保守主義的性格を有する立憲主義をも否定する「革命的」内容を提案している。日本国憲法では、憲法の基本原理に沿った改正は可能だが、とりわけ歴史に逆行するような改悪は許されない(憲法改正の法的限界)。

詳細
1.自民党改憲案
自民党憲法改憲草案は2010年に自民党が野党の時に公表したもので、これが本来の考えているものである。これを全部国民投票に掛ける訳にはいかない。全文改正で、百何か条を一挙に国民投票にかけることは非常に難しい。中身も国民が簡単に賛成しそうにないものが結構含まれているので、国民投票にかける場合にどの項目を順序的に選ぶかは自民党にとって悩ましい。これまで毎年、どこかのテーマ、例えば、緊急事態条項を変えようとか、憲法改正手続きを簡単にするような改正を提案してみたり、いくつか試みて、どれもお試し改憲として打ち上げてきたが、世論は国民投票には乗ってこなかった。
今年の3月25日の自民党の党大会で2018年度の運動方針として、改憲発議をめざすというかなり具体的な案を初めてだしてきた。とりあえず4項目を国民投票にかける。
①9条に自衛隊を明記する提案
②緊急事態条項を新たに憲法にもうける
③参議院選の合区解消規定の導入、
④教育の充実を規定の追加
①と②は自民 党改憲草案をそのままやろうとするとかなりハードルが高いので、ハードルを下げ第一段階のお試し改憲として提案しています。これであれば国民の承諾をえられるのではないかと。③は参議院の選挙区の合区を解消するための規定として改憲を提案する。④は高等教育の無償化をしようということを最初自民党は言っていたが、これは止めて別の形でだしてきているのが現状です。

・改憲4項目の問題点
①の9条への自衛隊の明記の問題点
元の自民党案は9条の2項を削除し、戦力を保有しないを削除する案ですが、今回はそこには触れない。今の9条はそのままにしておいて9条の2を追加する案だけですよと。安倍さんは、これは何も新しいことを言うわけではないと言っていますが、実は自衛隊を明記するということは、自民党政権がこれまでやってきたことを全て可能にすることになる。実体的には個別的自衛権、集団的自衛権が可能なるものである。ただ、戦力を保持しない条項は残りますので、いくら自衛隊を明記しても自衛隊の実力が戦力に該当するかどうかの余地は残ります。そのような問題点を抱えているので、結局元の自民党改憲草案のように戦力不保持の項を削除しないと野党からその曖昧さを追及されるという余地は残っている。しかし自民党としては戦力不保持をいうと、国民は反対することが見えているので、それは今置いておいて、ただ自衛隊を明記するだけですよという形で出してきている。
②の緊急事態条項
元の改憲草案では、あらゆる緊急事態、武力攻撃・内乱・大規模自然災害、つまり戦争にも対応できるような包括的な緊急事態において、国民の権利を制限するという内容になった。所が、これについてもナチスがやった緊急事態条項とほとんど変わらないという批判が出て、今回は武力攻撃の際にとか内乱の際にという表現は外して、単に大規模災害という言葉に置き換えた。これからは戦争はイメージできません。イメージしているのは自然災害において緊急事態を発動するという意味にとれます。所が自然災害という表現ではなく、大規模災害という表現を言っていて、実は大規模災害には武力攻撃災害ということが含まれます。有事法制という法律がありますが、そこには武力攻撃災害に対する緊急対処が可能であると書いてある。敢えて大規模災害という形で、自然災害という表現に限定しなかったことで、自衛隊が出動できる武力攻撃災害ということを含まれる余地があり、欺瞞性が隠されている。
緊急事態の時は選挙が出来ないので議員任期を延長ができるよう延長特例を憲法に書き入れたいという訳ですが、所が、議員の任期は延長しなくても参議院は何時も半分は残っているので、緊急事態に備えて参議院の緊急集会が開かれることは憲法は想定しており、敢えて議員の任期延長をして、その間緊急権の発動を持続させるのは、一種の内閣の独裁を容認するのではないかということで、実は問題がある。
③の参議選の合区解消規定の導入。
これは2016年の参議院選挙で、徳島県と香川県、鳥取県と島根県が合区になって一つの選挙区にして選挙を実施した。そうすると合区された地域の県の人は、何故自分たちはこれまで各都道府県から選出できたのにおかしいのではないかとの批判でてきた。そこで自民党は各都道府県には必ず一人以上を選出できる選挙区制にするように憲法に書き込もうという改憲案です。これの問題点は何かというと、必ず各都道府県から一人だすという選挙制度は、実は参議院は半分交代なので、一人の選挙区が一杯でてくる。そうすると一種の小選挙区制になる。小選挙区制になるということは圧倒的に自民党に有利になる訳です。今の憲法は、国会議員は全国民を代表とすると書いているのですが、選挙区を代表するというシステムは矛盾するのではないかということも言われています。各都道府県から一人づつだすような選挙区の改正を何故憲法に書き込むのか、こんなもの選挙法を改正すればできるようことなのに、何故憲法を改正してまでするのかが批判する観点です。
④の教育の充実規定の追加
現行憲法26条に「国民は等しく教育を受ける権利がある」と書いてあるのですが、これに「教育は国の未来を切り拓く」文言とか「教育環境の整備に努める」文言を追加する。これを普通にみれば何ら問題ないように見えますが、本来は高等教育を無償化するというはずであったが、自民党は授業料を無償化する国家予算はない、これは教育のバラマキだから止めようということになった。既に民主党の時に高校の授業料無償化を憲法改正なしでやった訳ですから出来る。それから国連を中心として高等教育は漸次的無償化するようにという国際人権条約を日本政府は批准していますが、大学教育無償化を自民党は無視してきた。それが突然高等教育を無償化するなんて自民党が言いだして、これで選挙をやった訳です。所が選挙が終わったら憲法改正案ではその文言は何処かへいってしまい、今はこの程度のものになっている。
実は「教育は国の未来を切り拓く」という文言の意味は、安倍第二次政権の時に教育基本法の一部を改悪しました。その中にこの文言がある。この文言の意図しているものは実は愛国心教育、即ち国家が教育に介入するという国家教育を行うという意味です。単なる一般的な意味ではありません。「教育環境の整備に努める」というのは政府が努力しますということで、やってもやらなくてもいいという努力義務規定として定めましたので、結局今の憲法26条の教育を受ける権利というものを逆に弱めてしまうことになる。従って、これは国民をカモフラージュするお試し改憲ということで批判すべきである。

そうなるとこの改憲4項目の内、③と④はどうでもいい改憲案で、何故わざわざ改正するのか分からない。本当にやりたいのは9条改正と国家緊急権で、この2つはセットもので自民党がもっともやりたいもの。9条の自衛隊明記は後々の第二段階、第三段階の改憲案として取っておいたものですが、今回初めて国民投票の課題として9条改憲を正面にだしてきて訳です。これは初めてです。但し、このように今の9条はそのままにして自衛隊を明記するだけですよという形で柔らかいソフトな形でだしてきた。お試し改憲で、これが上手くいけば、第二段階の国民投票を行ってその時は9条2項を削除するという改正が待っている。
④はこれまで高校の授業料無償化する改憲を言っていたが、かなりトーンダウンし、教育の充実ということになり、かなり違う内容になって提案されている。

この改憲案が提案できるかどうかは、今の通常国会に早ければやる予定であったが、6月で終わりますから、難しい。次の臨時国会で提案するかどうかというスケジュールになってくる。来年になってしまうと天皇の代替わりや参議院選挙があり改憲の提案は難しくなるので、自民党としては今年中にやりたいということでいろいろ考えている。これは安倍首相の唯一の課題ですからやるのではないか。この改憲の草案の中身についてまだ国会の憲法審査会すらかかっていない。とりあえず、憲法審査会を開いて審議に入ることが自民党の意向である。
国民投票法について問題点を是正するために開こうとしていますが、下に述べた問題点については、自民党としてはおそらくこの話はしなく、別の非常に形式的な、投票所をどうするとか、海外在住の日本人をどうするか等のことだけで、審査会を開くことを考えている。野党がこれに乗ってしまうと、自民党の改憲原案策定論議に巻き込まれる恐れがある。
このような動きを阻止するために3000万署名運動を成功させることば重要である。3000万という数字は、投票者数の過半数、即ち国民投票に至った場合に国民の過半数が反対すれば阻止できる。

2.改憲国民投票法の問題点
①広告規制なし
広告は野放し状態になっていて、改憲派に非常に有利で、TVコマーシャルも無制限にできる。市民の方では金銭的には難しいので、問題になってくる。
②公務員・教員の投票運動の禁止
地位利用ということで処罰はないが禁止している。事実上、公務員法のかかわりでは処分される可能性があって、非常に問題である。
③投票運動期間が非常に短い
期間は、60日から180日以内で、果たして国民が内容を周知できるのかという問題がある。
④最低投票率の規定がない
投票率が低い場合でも、過半数で成立するので、例えば、40%の投票率で過半数の20%の賛成で国の最高峰の憲法が変えられてしまうことになる。最低投票率を明記していないこの法律はどうかという問題がある。
⑤国民投票の過半数の問題
過半数で成立することになるが、そのカウントの仕方が、棄権とか無効投票を含めないので、実質上、有効投票の過半数ということで分母が小さくなるので、改憲を推進する側の勢力の方に有利になるという問題がある。

3.野党の九条改正案について
安倍改憲の反対している野党の改正案は、実は自民党とあまり変わらない。
・自由党の小沢一郎氏の改正案
現行の九条の一項と二項の後に、「ただし、前二項の規定は、平和創出のために活動する自衛隊を保有すること、また、・・・国連の指揮下で活動するための国連待機軍を保有すること・・・を妨げない。」という三項を追加の案を早くから提案している。
・立憲民主党の枝野幸雄の民主党時代の改正案
現行の九条の一項と二項を残し、九条の二として、「①我が国に対して急迫不正の武力攻撃がなされ、これを排除するために他に適当な手段がない場合においては、必要最小限の範囲内で、我が国単独で、あるいは国際法規に基づき我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を守るために行動する他国と共同して、自衛隊を行使することができる。・・・③内閣総理大臣は、前二項の自衛権に基づく実行行使のための組織の最高指揮官として、これを統括する。」の条文を二項に追加する案を提案している。
専守防衛、即ち、個別的自衛権と制限付き集団的自衛権を認める憲法改正で自衛隊は当然認める。
・希望の党の長島昭久氏ら
九条の一項と二項に続けて、「前二項の規定は、我が国にとって急迫不正の侵害が発生し、これを排除するために他の適当な手段がない場合において、必要最小限の範囲内で、自衛権を行使することを妨げるものと解釈してはならない。」の文言を追加する案を提案している。
自民党の一項と二項を残して、自衛隊を明記する案と変わらない。現在は安倍さんがしようとしているから反対だと言っている。自民党の自衛隊を三項に明記する案は、このような野党を動揺させるためのものである。反対する理由はないじゃないですかといことを示すために一項と二項を残して、自衛隊を明記するだけですよ。大部分の国民は自衛隊を認めているし、野党も自衛隊の明記を提案しているし、何が問題ですかと?これが自民党の意図です。
・共産党
自衛隊を明記する九条を変えることには反対なのですが、専守防衛の個別的自衛権を認めている立場を取っている。
元共産党議員の筆坂秀世氏は、自衛隊を憲法違反とするなら、立憲主義的には自衛隊を違憲のまま放置しないで解体を主張すべきではないか。しかし、それが非現実的なことなので、「共産党ですら、自衛隊の解散などを主張しません。そうであるなら、自衛隊をきちんと憲法の中に位置づけましょうよ、というのが安倍首相の主張」であると、述べている。
・日本会議の識者
「日本共産党は自衛隊は憲法違反だとか段階的に解消していくとか言いながら、民進党と連携するために、便宜的に自衛隊解消は凍結するとか、今は自衛隊を活用するといったことを言っている。その一方で、『立憲主義を守れ』と訴えているわけですが、これほど立憲主義を愚弄した態度もないと思います。まさにご都合主義的立憲主義以外の何物でもない。」と主張している。
日本会議は、共産党は自衛隊を明記する九条を変えることには反対なのですが、専守防衛の個別的自衛権を認めている立場を取っているから、自民党がだしている憲法改正に反対する理由はないじゃないですかと言っている。これは野党を分断するために、このようなカードをだしてきた。

野党全体をみると、これは護憲的改憲です。社会党がかつて非武装中立を言っていたが、村山富市の頃から放棄し、自衛隊を認めます、日米安保も容認しますと。自衛隊は違憲ですが、合法的に存在していまと、分かりにくい言い方をしてみたり、憲法を守るための憲法改正はありえますという護憲的改憲論を言いだしてきた。実は憲法学者の中でもこのように考える人が増えてきている。有名な長谷部恭男さんもそうです。小林節さんとか、木村草太さんとか有名になっている人たちは皆そうです。集団的自衛権は反対するが、個別的自衛権は認めるということを言うわけです。これは皆国家の自衛権というものを当然のごとく認め、しかも何らかの武力で自衛することを意味するという解釈を示している。理屈としては、自民党の提案している改憲案に反論はできないと思います。ただ実践的には自民党の改憲案に反対するということであるが、それはそれで良いのですが、理屈としてどうかという問題が残る。

4.自衛権の政府見解
自衛権に関する政府の回答は、自然権としては説明していない。国家として自然権として自衛権があるというのではなく、憲法13条、つまり生命、自由幸福追求する国民の権利を国が守る義務ある。従って、ここに国家の自衛権を根拠付けると政府は答弁している。自民党は自然権という形で説明しますが、政府はさすがにそのようには言っていない。ここは憲法学者の木村草太さんも政府見解と同じように言っている。
澤野先生の解釈では、自民党の国家は当然自衛権を持っているのも間違いであるし、政府説明の13条を根拠にするものを間違いである。これらの議論は、9条との関係性なしに自衛権を説明している。9条は戦争放棄と武力放棄をしており、その条文抜きに国家の自衛権を書いたりするのは全くおかしい。政府見解は、人権との関わりしかみていない。

5.自然権
澤野先生は、あまり自然権という言い方はしないようにしている。ただそれは歴史上、ある代に生まれてきた概念です。前近代から近代に移行する時に初めて人権というものを主張する論拠として必要性が当時あった。歴史的なある条件下でどうしても必要なキーワードとして「生まれながら自由・平等」というフィクションですが、そのように考えたらいいんじゃないかという一つの考え方です。イデオロギーです。
原理的に人は「生まれながら自由平等」と言われたら証明しようがない。ロックやルソーが亡くなった後、功利主義思想が生まれてきます。所謂、実証主義で、科学的に証明できないものは存在しない、フィクションである。それなりに証明できるものをのみ正しいとする功利主義哲学、実証的哲学が生まれてきてそこで自然権という概念が消滅します。そこから功利主義的な権利論というのが、哲学者で言うと、ベンサムやJ.S.ミルなどの思想が流行っていて、19世紀では世界的に自然権思想が消えていきます。
それが復活するのは、ファシズムが出てからです。1945年の第二次世界大戦後に自然権が復活します。人権はやはり経験則的に必要だと思う時代時代において獲得してきたというものが憲法に書き込まれている。例えば環境権という権利が必要になれば憲法にそれを定めるとか、障がい者の権利とか、それ以前はなかった訳ですが、今は障がい者の権利とか高齢者の権利とか。アメリカ合衆国憲法にしてもフランスの人権宣言にしても、女性の権利が入っていない。人は生まれながら自由平等の人は非常に抽象的で、全ての人なんですが、実際は、これは男の権利なのです。女性は入っていないので、選挙権は20世紀になるまでなかったのです。男女平等ではなかった。歴史的に人々が必要な権利を闘い取ってきて、それを憲法の中に書き込んできた。
自然権思想は一つの考え方なので、あまりこれを強調しても、若い人には意味が分からないし、イメージできないし、相当研究しないと認識できないし、一般人に自然権思想を言ってもピンとこない。

5 「脱原発と平和の憲法理論」
 第7章 自民党憲法改正草案の検討
  Ⅰ 憲法改正をめぐる問題状況
  Ⅱ 国民の権利と義務に関する問題
   1 人類の総則的規定
自民党の憲法草案の人権の章をみると、現行は「公共の福祉」によって人権が制限できるという一般規定になっているが、自民党草案では「公益及び公の秩序」による人権制限に変更されている。その意図は、今の憲法が考える人権とは逆の考え方をしようということです。現行憲法での「公共の福祉」というのは、一般的には全ての人権にかかわることです。具体的には経済活動の件、職業選択や個人財産権の行使などの経済活動の所について制限が可能であるが、表現の自由とか信教の自由など、精神活動に関するものについては「公共の福祉」で制限できるという条文はついていない。これは古典的な資本主義経済の財産権の所が、少し社会主義的な所を取り入れて福祉国家的にしようとしたので、経済活動の方を大幅に抑制しようというのが現代憲法の特色になっている。精神活動の方は、できるだけ制限しないでおこうというのが現代の「公共の福祉」の考え方です。所が、自民党の改憲草案はこれを逆転して、精神的自由権の方をより強く制限しようという国家主義的な考え方が全面に出てきているのが「公益及び公の秩序」の表現で、字かみてイメージできる。他方、経済活動の方はどちらかといえば野放しにしようと、規制はあまりかぶせないという、所謂、新自由主義政策のもとでの規制緩和、即ち「公共の福祉」の規制をかぶせない方法を取るという逆の二重基準にしようとするのが、自民党の改憲草案です。
現行憲法の「公共の福祉」という考え方を180度逆転しようというが自民党の改憲草案です。そうなると「個人」の権利と表現されているのを抽象的な単なる人の権利にして、抽象的な人にして軽く人権を扱うという、個々人の具体的な存在を重視する現代憲法ではそうなってきたものを、抽象的な人に置き換えて制限を容易にするものである。

Q:「公益」という言葉は非常にあいまいで、自分勝手に解釈してしまうような言葉では
A:「公益及び公の秩序」という言葉は国家的利益を全面的にだしている。「公共の福祉」という概念は、近代憲法として、アメリカの人権宣言とかフランスの人権宣言だとか200年前からある概念です。「公共の福祉」は、最初から国家的利益のために人権を制限するという趣旨ではない。Aという人権と、Bという人権が衝突する場合、それを調整するという趣旨で「公共の福祉」は調整原理というようにも使われている。そうすると「公益」という言葉がでてくると先ずは人権よりも先に公益を重視するようにイメージされている。自民党が敢えて「公共の福祉」を使わない理由は、人権をより制限したいという意図で「公益及び公の秩序」を持ち出してきた。

Q:「公共の福祉」の解釈は最高裁の判例から?
A:必ずしも判例からではないが、判例はどちらかと言えば「公益」を重視する傾向が強い。特に「公共の福祉」は、表現、言論の自由を制限する最高裁判決をみると、明らかに最初から公益を重視の観点から、実質上自民党の改憲草案に似たような解釈になっている。

2 個別的人権規定
①外国人参政権の否定
15条の普通選挙権を保障する規定であるが、改憲草案では同条項に「日本国籍」保有者に限定する文言を追加。
②奴隷的拘束禁止規定の削除
18条が規定している奴隷的拘束禁止に関する部分は削除し、代わりに「身体拘束」に関する規定が設けられ、禁止の条件として「社会的又は経済的関係において」の文言が入ったが、「政治的関係」の文言がない。
③政教分離原則緩和による信教の自由制限
日の丸君が代の強制は、教員個人の思想良心の自由が、強制されると侵されると普通は考えているが、最高裁の判決では、日の丸君が代は社会的儀礼的に行われているので、必ずしも個人の思想や宗教の自由を侵すものではないとの判断である。一般的な意味での思想良心の自由とか歴史観とかを最高裁では非常に軽く扱っている。日本では社会的には慣習的に、一般的にこれまでずうっと行われてきた。学校でも行事として日の丸君が代は行われてきたし、問題ないと簡単に切り捨てる判決になっている。
ここで想定しているのは、自治体が神主を呼んできて、神道式の地鎮祭を執り行い、そこに公金を支出するということについて、何故神道式でやるのかということで、無信仰の人とかキリスト教の人とかがいるのに何故そのような式を特定の神道でやるのかとの批判がある。特定の宗教に対して公金を支出するということは政教分離、特定の宗教と自治体が関わりを持つことになるが、これについては習俗的行為であり問題ないと裁判所は認めてきている。自民党の改憲草案では条文でそれを定めてしまおうと、最高裁で出た判決を条文で定めてしまおうということです。
日本の場合、政教分離で問題になっているのは神道なのです。裁判で争われるのは、大臣の靖国参拝とか、自治体の地鎮祭とか、神社関係に関わるもので、結局は天皇制との関わりです。戦前の国家神道です。本来は国家神道を否定するために憲法20条は厳格な宗教と政治の分離規定を定めた。分離することによって個々人の宗教を自由にするという関係性がある所を、神道の関わりでその関係性を容認するという形になってくると他の様々な宗教のある人ない人を含めていろんな制約を生み出すという問題なる。
欧米の憲法でみる政教分離規定と日本の憲法20条とはかなり違っていて、日本の20条は分離の仕方は非常に厳密である。欧米は相対分離といって国家と宗教、宗教といっても教会だとかになるのであるが、特にイタリアのバチカンとか、ドイツでもそうであるが、ある程度特定の宗教に対して一定容認するという、イタリア政府とバチカン市とは一種の協定を結んでいて特別の対応を容認するということを憲法で定めている。歴史をある程度考慮した条文になっている。ドイツの場合は、地元の協会から教会税を取られたりしていて、日本と異なる。日本の場合は戦前の国家神道という非常に特殊な歴史を反省して国家と神道をはっきり分けたという特殊な意味をもっている。所が現実には靖国とか事件がいろいろ起きてきて裁判とかでもはっきりしなくなっている。そこにこのような自民党の改憲草案がでてきており、さらに問題である。
④全体の奉仕者論による公務員労働基本権の制限
28条には団結権、団体交渉権、争議権の労働基本権を保障し、何ら制限規定がない。自民党の改憲草案は、「全体の奉仕者であることに鑑み」、法律で制限できるとしている。
⑤拷問・残虐刑禁止規定の緩和
36条では拷問と残虐刑は「絶対に」禁止するとされているが、改憲草案では「禁止する」にとどまる。これは死刑合憲論と死刑執行を正当化する意図がある。
⑥抵抗権と将来の国民の権利保障規定の削減
日本はどちらかと言えば自然権思想というのが非常に弱い。欧米では中世から近代に移行する過程で啓蒙思想とか自然権思想をベースにして宗教的には、そういうものと絡んで登場している。個人の存在を重視するとか、人権とかという発想で、国家とか社会とかが存在する以前に個々人は生まれながら不可侵の権利を持っているのであり、それが先ずあって、それを守るために国家や政府があるのですが、そこには契約が成り立つ訳です。国家と個人の社会契約思想というものがあって、人々が集まって契約、憲法を結んでその契約に反する政府は抵抗権によって倒すことができる。その思想でできたのがアメリカ合衆国です。ロックの自然権思想、ロックはイギリス人ですが、イギリスの絶対王政からメイフラワー号で新天地アメリカ合衆国に逃れていった人たちが、イギリス政府と戦って合衆国という新天地に建国した。
アメリカの最初の憲法はバージニア州の方からできたもので、合衆国は後で州のものを寄せ集めたものが合衆国憲法です。それまでに各州人権宣言という形で憲法が出来上がっている。1976年のバージニア州憲法が世界で一番早い。フランスの憲法より早い。その条文にははっきりと生まれながら自由平等という表現があり思想が憲法の条文になっている。少し後の1789年のフランスの人権宣言、これはルソーの自然権思想がほぼそのまま憲法の条文の中に現れている。人権の本質は、抵抗権、即ち、圧制に対する抵抗権である。
日本の場合は、近代的な意味の自然権というのは明治以降で、先ずは「学問のすすめ」を書いた福沢諭吉です。「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」。彼は欧米の自由などを勉強したが、彼はポリシーが徹底しない所があって結局天皇制を認め、それから脱亜入欧という朝鮮半島の植民地支配を正当化する方向に変わっていった。明治初めは自由というものを非常に尊重し、一種自然権思想的な主張をした。日本では自然権思想は天賦人権説との表現になるが、彼は早くに主張していたが、但し、彼の人権思想が徹底していなかった所があって、権力よりに変わっていった。
自由民権運動の時は、自然権思想が結構流行った。東洋のルソーと言われた中江兆民(土佐の高知出身)が思想の基礎を支えた。同じ土佐出身の植木枝盛は今の日本国憲法とほぼ同じ感じの憲法草案を個人で書いた。これが鈴木安蔵を通じてマッカーサー草案に影響した。鈴木安蔵の研究は植木枝盛の憲法草案です。中江兆民は役人としてフランスに留学して、官僚の勉強に行ったはずが、ルソーなどのフランスの哲学を勉強して帰ってきて、日本にルソーの社会契約論を翻訳して初めて紹介した。植木枝盛の憲法草案は、アメリカ合衆国憲法とかを勉強した上で書いたもので、自然権思想が条文に現れている。これが自由民権運動という明治憲法ができる前段階においての憲法観である。
明治政府の伊藤博文を中心にする君主制憲法、人権は自然権ではない、国家が上から与えたものであるという国家有機体説、国家というものは最初から実在して個人はそこで生まれて死んでいくだけで、人権などはありませんと。一方自然権思想でいくと国家というのは契約でつくって初めてでき上がり、人工的なもの。所が明治政府の国家感はこれを全く否定してしまって政府は恩恵的に個人に人権ではなく権利を与えますよと、奪う事もできますという国家実在説、人間より先に実在しているという憲法観です。だから明治憲法は自由民権運動を抑圧し弾圧して出来上がった。明治憲法にはほとんど自然権思想というものは取り入れられなかった。
権利、英語ではrightsですが、人権はhuman rights。このrightsは今は権利と訳されますが、これは利益なんです。権利の利は利益という意味を持っています。所が、明治初年はrightsを訳すのに理性の理を当て権理としていました。つまりrightsは正しいという意味で、日本に訳すときにどの漢字を当てるかという時に、利益を使っています。これは哲学で功利主義哲学、何が正しいかというよりも利益があるかないか、損得で考える方を使った。イギリス流の功利主義哲学、社会ダーウィニズムという功利主義哲学が強く入ってきた影響を受けて、結局理性の理を使う権理は定着しなかった。だから今の権利とか人権の発想は、自然権思想というよりは功利主義的な権利観によっている点と同時に、国家実在説、国家有機体説ともいうものが強くて自然権思想はほとんど定着しなかった。
今の憲法はアメリカ憲法の影響を受けたので表現は自然権思想に合うような表現形態なっている。そこが自民党は気に食わない。今の憲法の人権の表現、11条、97条とかに書かれている表現形態は、自然権思想の名残であるとのことで書き換えたいと自民党は考えている。人権は、伝統とか、聖徳太子の17条の憲法のようなものでないといけなく、共同体の憲法であることを重視したいと自民党は考えている。このことは自民党の改憲草案のQ&Aにはっきりと書いてある。聖徳太子の17条の精神が日本には相応しいので、自然権思想は日本に合わないので書き換えたいと言っている。
⑦新自由主義による権利の保障と制限
改憲草案では、前文に「教育や科学技術を振興し、活力ある経済活動を通じて国を成長させる」という文言が導入されている。これは経済成長国家を目指す新自由主義に基づき、能力や競争に主眼をおく「未来志向的」教育を指向する意図が含まれている。
⑧「新しい人権」規定
新しい人権として、個人情報の不当取得の禁止、環境保全の責務等を規定したと説明されているが、国民の権利として明記されておらず、国の責務ないし配慮義務とされているに過ぎない。

 3 国民の義務の増設
①前文
現行憲法に比べると国民の義務の規定が増えてきている。前文の所で、いきなり天皇を戴く国家であるとの規定がでてきているということで、「国と郷土を守る義務」、「和を尊ぶ」、「家族や社会が互いに助け合う義務」が定められている。
②9条の3
9条の自衛権に関連して国民の領土保全協力義務が導入されている。                               ③3条2項
国民の国旗・国家尊重義務を定めている。これは元号に関する規定の導入と一体化のもの。
④19条の2
プライバシー権の保護の規定もでてきますが、これは必ずしも権利があるという表現で書いてない。そして国民に対してのみ個人情報の不当取得や利用を禁止しているのも問題である。
⑤24条の1
憲法で家族規定を定めている。「家族はお互いに助け合わねばならない」という非常に道徳的な義務規定を敢えて導入しようというのは一体何のためかが疑問視される。戦前のような家族道徳、家父長制の封建的な家族感そのものではないが、伝統的な家族感を強調したいということで、個人主義的な家族感を否定しようと、あるいは男女平等を否定しようとしている。そして家族に自己責任を負わせようと、新自由主義的な思想、先ずは家族で責任を負ってもらおうということで、今回も社会主義的な家族を保護するという考え方を否定するものである。これを特に重視するのは日本会議で、9条改正と24条改正に拘っている。
⑥25条の2
国民の協力の下に国が環境保全に努めることを規定しているが、国民の環境権は明記されていない。
⑦92条の2
地方自治体における住民の協力義務、権利というより義務が沢山でてきているのが特徴である。例えば有事法制・国民保護法が運用されるような場合には協力義務を負うことになる。
⑧99条3項
緊急事態条項を発した場合の、国民が指示に従う義務があるというものが新たに提起している。
⑨102条1項
天皇始め大臣、国会議員全て公務員は憲法を尊重し、擁護する義務があるという規定を、ここから先ず天皇を外し、そして公務員が憲法を守るに先立って先ず国民が守るという事を条文として書き込む変更を加えるというのが自民党の改憲草案です。

Ⅲ 国民主義に関する問題
   1 憲法前文との関連
天皇を戴く国家が前面にでてくる。天皇と国民は一体であるという天皇制共同体、国体です。これが前面にでてきた関係で日本は社会契約的国家ではないとの改正草案になっている。それから民主主義の発想も否定するので、国民主権の原理も否定する。「国政が国民の信託によるものであり、その権威は国民に由来し、その権力は国民代表が行使し、福利は国民が享受する」という国民の国民による国民のための政治というリンカーンのデモクラシーの精神が現行の憲法の前文に入っているおり、これは国民主権の発想ですが、自民党の改憲草案はこれ削除し、国民主権が読み取れる情報は全く消え去りました。

2 統治制度との関連
①天皇との関連
天皇の元首化に伴う、従来の国事行為以外の公的行為の容認規定や天皇の憲法尊重擁護義務の削除は、国民主権の形骸化である。
②国会との関連
選挙区は人口を基本としつつも地勢等を総合的に勘案するという趣旨の規定が明記され、選挙区割りの人口比例原則の緩和を認める余地を与える。他の問題として、政党の活動の公正確保と健全なる発展に努めることが義務づけられ、また「公益及び公の秩序を害することを目的とした活動」を行うような「結社」は認められない規定からすると、政党法による政党規制が行われる危険性がある。
③内閣との関連
行政各部の指揮監督・総合調整権、国防軍の最高指揮権、衆議院の解散決定権を設けたことは、首相の権力を強化し、国会に対して内閣が連帯責任を負うという議員内閣制的国民主権の否定になる。
④司法権との関連
最高裁判事の国民審査の時期が法事事項に委ねられ、国民審査の回数が法律で減らすことが可能になる。
⑤地方自治との関連
国と自治体が「法律の定める役割分担を踏まえ、協力しなければならない」という規定には、軍事や外交などは国が行い、福祉などは自治体が行うという、自民党政府が推進してきた新中央集権主義と新自由主義の両面をもっており、住民が地方自治の「役務の負担を公正に分担する義務を負う」という規定から、有事法制・国民保護法などとの関連では、国の防衛行政への住民の協力義務が求められることになる。また、福祉の関連では、地方自治体の「自主的な財源をもって充てること」が求められ、これは国民・住民主権の否定を意味する。

3 憲法改正手続きとの関連
改憲草案における憲法改正手続きは、国会の改憲発議要件を現行憲法の3分の2から過半数に緩和しようとするものである。
立憲主義との関連で、憲法改正手続き規定の緩和に関する問題点として、憲法は国の根本を定める法であるため、一定の永続性が想定され、政権交代のたびに権力者に好都合なように変更されないようにしている。
憲法改憲論者が主張するのとは異なり、外国に比べ日本の改正手続きが特別に困難というわけではない。議会の改憲議決を3分の2にしている国は結構多い。さらに国民投票を改憲要件にしている国(韓国など)もある。また、外国憲法は頻繁に改憲をしているが、日本憲法は1回も改正されていないとの主張もある。ドイツでは戦後59回も改憲しているが、ドイツは国民投票が改憲要件になっていないので改憲しやすいといえるが、実は憲法の基本的価値を変更する全面改正は禁止され、基本的には憲法の枠内の改憲に留めており、日本の改憲論は基本的原理を侵害するような全面改正を企図しているのとは決定的に異なる。スイスなどは毎年のように憲法改正しているが、それは法律で定められるような条項を含む憲法であることに起因している。

Ⅳ 平和主義に関する問題
   1 憲法前文との関連
「国政が国民の信託によるものであり、その権威は国民に由来し、その権力は国民代表が行使し、福利は国民が享受する」という、自然権と社会契約思想をルーツとする国民主権に基づく民主主義を述べた現行憲法の記述を削除している。これは保守主義の世界観から、君民一体の天皇共同体である「国体」観に基づいて「天皇を戴く国家」を前文の基本に据え、日本が社会契約国家ではなく、長い歴史や伝統と「和を尊び」、家族や社会全体が互いに助け合う国家であることを確認するものである。

2 憲法9条との関連
   3 憲法9条関連規定―国家緊急事態権を中心に

Ⅴ 改憲論議と立憲主義に関する若干の問題―むすびによせて
自民党改憲草案は、「権力を縛る憲法」から「国民を縛る憲法」に改悪するもので、本来的には保守主義的性格を有する立憲主義をも否定する「革命的」内容を提案している。
日本国憲法では、憲法の基本原理に沿った改正は可能だが、とりわけ歴史に逆行するような改悪は許されない(憲法改正の法的限界)。この場合、憲法の基本原理を内包する前文や憲法96条の改悪も、現行憲法の立憲主義に反するといえる。自民党改憲草案は、無原則的改憲(改正無限界論)論に立脚しており、立憲主義を国民主義(ナショナリズム)や民主主義(多数決)を名目にして否定しようとしている、この様な改憲草案は、新憲法の制定であり、現行憲法の改正憲法とはいえない。

                       以上

(井上浩氏記)