第18回平和学習会

「平和憲法とこの国の自立を考える」輪読&勉強会 第18回

日時:2019年1月19日 14:00~17:00
場所:大阪南YMCA
講師:澤野義一先生(大阪経済法科大学法学部教授)

1.映画「日本の青空」(ダイジェスト版)
GHQの憲法を作成した人たちの中で、ベアテ・シロタさんは、法の下の平等(14条)、家庭生活における男女平等(24条)など人権の基本的な所を書いている。ベースはマッカーサーノートの3原則、①天皇を残す、②自衛のための戦争放棄、③日本の封建制度の廃止、が示されて、それに合うように条文の形で民生局のスタッフが英文の条文を作成した。日本側としては幣原内閣の憲法担当大臣の松本烝治を中心として新しい憲法を作ろうと準備していたが、これは明治憲法とあまり変わらないと言う案で、毎日新聞で一部暴露されてしまった。それを知ったGHQは、それでは通用しないということで、マッカーサーの3原則に基づいてGHQは徹夜して9日間ほどで草案を作成し、日本に渡した。日本政府が、それを日本語に翻訳してGHQが突合せをして日本政府案を4月ぐらいに作成して、最後の帝国議会で6ケ月ぐらいかけて、国会議員たちが修正を加えながら完成するという流れになっていった。
象徴天皇制や、生存権、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利(25条)などは、鈴木安蔵を中心とした7名の民間の憲法研究会が、マッカーサーノートが出る前の1945年12月末に作成され、それが直ぐ英語に翻訳され、GHQと日本政府に渡された。日本政府は多分無視したと思いますが、GHQの方は、鈴木安蔵の憲法研究会案を種本にして僅か1週間ぐらいで作成できたのです。憲法研究会案になかったのが一つあり、それは9条です。9条については実は憲法研究会案の草案にはなかった。結局、憲法9条は日本側から出てこなかったと考えられる。やはりこれはアメリカ側から出てきた。文章的にはっきりしているのはマッカーサーノートで、自衛のための戦争も放棄し、陸海空軍は廃止すると書かれている。マッカーサーの背後にあったのは、連合国の意思があり、1945年8月のポツダム宣言では日本を武装解除すると書いてある。ドイツや日本は、侵略戦争を行った事に対して国際軍事法廷で裁かれる訳で、一種の制裁ですが、軍隊を持たせないということになる。連合国の国連憲章の基になった大西洋憲章の中に、ドイツや日本の軍隊を廃止するということが書いてある。マッカーサーは、そこの所を書いたのではないか。
鈴木安蔵らの憲法研究会案は、基本的人権部分と象徴天皇制の部分は僅か7名の民間人によるものである。憲法研究会案では、戦争放棄とか非武装とかは、あまり議論がなかったと言われている。鈴木安蔵も完全な非武装論者ではなく、当時は徹底した戦争放棄にはなっていなかったと自身で言っている。鈴木安蔵が非武装中立論者になるのは1950年の後半ぐらいからである。
当時の共産党も憲法ができた時は、9条については、反対的な立場で自衛戦争はありえると考えており、鈴木安蔵も同じような考えであった。鈴木安蔵は戦争末期には、大東亜共栄圏を正当化する民族理論に傾いていったが、戦後はあまりそのことは言わない。

2.世界の平和憲法と9条の意義(憲法9条の会・関西、澤野儀一教授)
9条の源泉はどこから来たのかという問題ですが、9条で全ての戦争を放棄することは、1946年2月のマッカーサーノートで出てきたものである。自衛のための戦争も放棄するものである。マッカーサーの憲法草案に基づいて、ケーディ(弁護士)らが条文化するのですが、その基になったのは、1928年の不戦条約です。第一次世界大戦後に成立し、国際社会で戦争を一般的に禁止・違法化したとされ、紛争解決のための戦争を禁止すると一般的に書いてある。これが9条の源流になっている。この不戦条約の条文を見ると、侵略戦争だけがだめで、自衛戦争はいいとかという条件は一切ない。つまり戦争一般的に禁止すると書いてあるだけです。従って、侵略も自衛も制裁も全て禁止しているという解釈が可能である。但し、この条約を締結したアメリカとかフランスとか日本政府も、国家の自衛権はあると留保して締結した。
その当時アメリカで出てきた徹底した平和主義者たちが、戦争非合法化論の考え方、侵略も自衛も制裁もそれらは区別が付かないものであって、この条約は全て禁止すると解釈すべきであるという平和論がでてきた。その中からアメリカが合衆国憲法を修正して9条の原型になるような案がでてくる。その案は、「いかなる目的でも戦争は違法である。アメリカ合衆国またはその法域内のいかなる州、領土、結社、個人も、国内および国外において、戦争およびいかなる武力による戦いや遠征、侵略、企てについての準備、宣戦、参戦、遂行もしてはならない。そのような目的のための、資金の調達、充当、支出は一切してはならない。」で、この案は提出されて(1929年)、合衆国憲法を修正するという非常に広範な運動がアメリカ全土にでてくる。実はこれが直接9条に繋がったかは別ですが、これはかなり9条の原型で、ここに着目したのが、9条の会をつくったチャールズ・オーバビー博士で、日本の9条をみて、これは世界に広める価値があると思ったが、それはアメリカに源流があり、これは繋がっていると直感した。
1920年代、30年代には、ヒットラーが出てくるまでは、世界は国際協調時代で、国際連盟もでき国際平和を維持する流れの中で、このような戦略ができている訳です。丁度この頃、幣原喜重郎が駐米大使で、彼はおそらくこのようなアメリカの動きを知っていた訳です。不戦条約の条文は知っているし、外務大臣も務めたぐらいですから英語も外人よりできたというし、戦後77歳で総理大臣に指名されるというのは、丁度ぴったりなのです。ここで問題になってくるのはマッカーサーが自衛のための戦争を放棄すると言ったことについて、幣原がサジェスチョンしたという説、即ち9条の発案者は幣原だという説と、いやマッカーサーが、もともとそのような案を持っていたのだという説、あるいは合作説、どちらかというと意気投合してつくったのだという説など、いくつかの説があって決まっていない。文章上残っているものとしては、幣原は回顧録で自分が提案したと書いているし、マッカーサーは回想録でこれは幣原が提案したので自分は腰が抜けるほど驚いたと書いてあり、どちらも幣原説ですが、ただ文章だけで日付がないとかで歴史的に立証できるものでないということで、あまり信頼性がない。客観的にみる限りは戦争の放棄についてだったら幣原は不戦条約を知っていので、賛成したのですが、それを憲法に書き込むというところの決断はできなかっただろうと思います。戦争放棄については幣原もマッカーサーもそこでは一致したかも知れないが、これを憲法ではっきり条文として書き入れることを決断したのは、マッカーサーではないかと考える。最初は条文を見て幣原も戸惑うのです。天皇に会いに行って、説明をしたら天皇はそれでも構わないと言ったということです。
憲法9条が生まれた時は、大変素晴らしい普遍性があるのでしたが、残念ながら歴代の自民党の日本政府は、9条の具体化が全く図られなかった。そういう中で、その後9条ができた後の世界の平和憲法をみると、9条の下で考えられてきた具体的な平和政策の憲法条文として登場してくる例がある。常備軍を持たない憲法が4カ国ある、コスタリカとかキリバスとか。核兵器を禁止する憲法が増えてきており、核兵器のみならず同時に原発も禁止するオーストリアのような憲法もある。外国の軍事基地を設置しないということを憲法で明記する国もいくつかある。集団的自衛権を認めない永世中立を明記した憲法もある。これらは日本の9条の下で護憲派の政策として徐々に軍隊をなくして、さらに常備軍をなくして、コスタリカなどは条文化している。核兵器禁止条約ができたが、憲法で核兵器を禁止している国がいくつかある。原発を禁止する憲法は3つほどある。外国の軍事基地は設置しないということを明記している国もいくつかある。平和的生存権、日本憲法の前文に「恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有する」とありますが、最近そのものではないが、国民は平和に生きる権利を条文として導入したのが7ヵ国あります。
上記のように海外では9条の具体化を実践している外国憲法があるが、日本政府は憲法無視の姿勢で、憲法9条の具体化が全く遅れている。9条は建前のようなものになっている。

3.「非武装中立と平和保障」―憲法9条の国際化に向けて-
第4章 新たな永世中立(論)の課題
東西冷戦崩壊後、新しい永世中立国が登場してきたが、どのようなタイプが考えられるかということを議論する。
1950年代からソ連の崩壊までの東西冷戦下には、実は非同盟中立というものがあり、ソビエトに対して、それからアメリカのどちらにも加担しないという非同盟が、国連の2/3程度あった。スイスのような永世中立国も東西冷戦下でも存在していた。非同盟は中立とも言うのですが、厳密には永世中立と異なって、非同国同士には実際上軍事同盟を結んでいる場合もあり、この点が永世中立とは不透明な所がある。
東西冷戦が崩壊した時に、冷戦がなくなったからもう中立国である必要はないのではという論調が、世界的にでてくる。一部、非同盟中立国の中では、やめる国が出てきたし、中立国でも、スイスやオーストリアの中で永世中立国でなくてもいいのではという意見がでてきて、動揺しだす。日本ですと社会党が、結局冷戦下で主張していた非武装中立路線を村山富市が首相になると非武装中立を放棄し、自衛隊も認め、安保も認めるとことになり、その結果社会党も消滅する。一般的には中立国は減っていくのでは、時代遅れではと言う論調がでてきた。その時に澤野先生は、それは違うと、中立国は逆に増える可能性があると考えていた。その後は、澤野先生の主張した通りに歴史が動いていった。

Ⅰ 憲法保障型永世中立
永世中立というのは、憲法で書いてあろうが、なかろうが、国家として対外的に永世中立を宣言して守っていけば、それは認められる。しかし、憲法ではっきり書いた方が、さらに安定的なものになると考えられる。憲法で保障される永世中立国には、①「伝統的永世中立国」は、純粋なものでスイスやオーストリアで憲法で永世中立国ですと書いてあり、かつ国際的にも承認されているもの。②「非同盟・永世中立国」(非同盟永世中立型)であると憲法に書いてある国として、マルタという小さな島の国が80年代に採用したが、90年代になってカンボジア、アフガニスタンが加わった。1995年にトルグメニスタンは、非同盟・永世中立を憲法で明記し、且つ国連で満場一致で承認された。③「憲法解釈的要請・永世中立国」(非武装永世中立型)は、上記①、②とは異なって非武装永世中立で、コスタリカが採用している。
1990年代に入って永世中立というものは時代遅れだと言われたが、所がモルドヴァ、カンボジア、アフガニスタンが増えた。
憲法で永世中立国だと書き込んでも、国際社会からみて国際法上の保障される永世中立国であるかとは別である。国際社会からみても永世中立国として承認を得るためには、国際法上も一定の手続き踏んで行う必要がある。国際社会で中立国の承認を得る手続きというのは、第一としては、国際会議を開いて承認したのがスイスで、条約型である。第二としては、オーストリアやコスタリカは、第二次大戦後ですが、各国に永世中立国になると通知し、承認をえた。第三としては、トルグメニスタンは1995年に国連総会に満場一致で永世中立国として承認された。これはこれまでなかった新しいタイプです。トルグメニスタンは湾岸戦争の時に、米軍が基地を貸して欲しいと要望したが、永世中立国であるから貸せませんと堂々と拒否した。人道的な場合の時は、例外的に貸すこともあるが、通常戦争的なものには貸しませんというかたちになる。このトルグメニスタンと言う国は、国内政治をみるとかなり独裁制です。しかし中立国になってからは、独裁制が薄れてきて国際協調的な部分がでてきている。澤野先生の考えとしては、北朝鮮はこの型でいったら良いのではと思っている。北朝鮮が永世中立国になり、それを国連の承認を得れば堂々と核兵器も廃止できるし、生存できる条件もでてくるのでは。

Ⅱ 非同盟と永世中立の併存
永世中立国と非同盟中立国があって、この二つは中立という言葉は同じであるが、冷戦下では全く異質のもので、中身が異なる。しかし、中立と言っている以上は共通点がある。出来るだけ軍事同盟を避ける、外国に基地を提供しないというのが共通している。これらは永世中立国は厳格に守らなくてはいけないが、非同盟は厳格に守っていない点がある。非同盟諸国は、非同盟諸国会議といって国連の3分の2ぐらいが加盟し、民族独立を支援するとか、核兵器の反対とかをスローガンとして団結していた。ユーゴスラビア、キューバ、インドなどの途上国が協力しあって活動していた。米ソからは等距離を保つのですが、中立国同士では軍隊を派遣しあったりすることができるということになり、部分的に集団的自衛権行使を認めている。国際法上の中立ではそれは認められないので、そこは少し違うが、この非同盟中立を良い意味で進めて行けば良いのではと思われる。

Ⅲ 非武装永世中立(論)による平和保障
非武装永世中立論が仮に妥当だとすると、どのような具体的な安全保障とか平和構想が可能であるかという問題に関して、ヨーロッパでどのような議論があるかを調べた。これまでは永世中立国といえばスイスとかオーストリアとかで、戦争には積極的に加担はしないけれども、軍隊や徴兵制も持っており、武器も生産し輸出もしているというのが、一般の永世中立国のイメージでした。
しかし、スイスやオーストリアの中にも、これまでの武装された永世中立では良くないのではということで、武装永世中立を非武装永世中立に切り替える必要があるのではという運動が起きてきた。彼らは、1980年代の初めに非武装永世中立というスローガンを掲げて実践している国が登場してきたので、それがかなり刺激になった。ヨーロッパの伝統的な中立国も非武装永世中立政策で考え直したらどうかという運動が起きてきた。
スイスの中では、A.グロスは、ローザ・ルクセンブルグの研究者であり、国会議員にもなりますが、「軍隊のないスイスを目指すグループ」という組織を立ち上げて、「軍隊のないスイス」を争点に10万人の署名を集めて国民投票に持ち込んだ。二つの州では賛成が過半数を超えたが、全体では過半数に行かなかったので、実現はしなかったのですが、その時に憲法9条を翻訳し運動に使用した。政策としては、スイスの軍隊廃止、兵役拒否、市民的不服従(武装して侵略軍と戦うのではなくガンジーのような抵抗)、ヨーロッパ統合(当時はEC)の中央集権的会議でない超国家的民主制、あるいは戦争の原因となる構造的暴力(貧困、病気、差別等)の解消であった。このグループは、スイスのこれまでの中立政策は必ずしも素晴らしいものではなく、不透明な部分があった、例えば、ナチスの侵略を避けられたのは、必ずしも永世中立国だったからという単純なものでなく、ナチスドイツへの金融面での協力をしていたという面もあったと、批判している。
オーストリアの中で、非武装永世中立をすべきであると唱えるグループがでてきた。グループは幾つかあるが、ここでは「中立・非同盟平和イニシアチブ調整」(CONNPI)について述べる。彼らの主張はスイスのA・グロスらの主張と似ているが、積極的中立政策、本来の軍事的な協力するかたちの参加はダメであるということである。オーストリアの「緑の党」は、ユーロ・ミリタリズム化している部分について正さなければいけないと言ったり、ヨーロッパの非核地帯をつくる、難民問題には積極的に寄与する、武器輸出は直ぐに停止、連邦軍の段階的廃止、などを提言している。
永世中立と国連憲章の関係として、永世中立国は国連の補完物のような、消極的な役割しかないのではというのがこれまでの理解であった。これに対して、国連の集団安全保障のシステムを変更させるために、永世中立国のメリットを活かす観点から、現代世界政治の民主化と非軍事化に向けた国際システムの段階的な転換のための指示器として位置付けることが提案されている。これは憲法9条の平和構想から我々が一部主張する部分と、永世中立と非武装ではかなり共通する政策がでている

Ⅳ 永世中立と非武装防衛(論)の結合
永世中立と非武装の例としては、コスタリカは1983年以降「中立宣言」をして、非武装を実践している。
武装永世中立国のオーストリアの中で、非武装永世中立論を主張している人たちは、具体的にどのような政策を考えているのか。ヴェチェラが書いた本「社会的防衛・市民的抵抗・永世中立」(1978年)では、チェコスロバキアの事例が取り上げられている。そこで紹介されているエーベルの「社会的防衛」論は、中立国の防衛として、外交手腕と市民的抵抗(プロテスト、座り込み、ボイコット、ストライキ、土地・工場の占拠など)しかないのではと提言している。今日の戦争形態が前提にあり、軍事力で防衛するというものは、もう意味をなさないのではということである。侵略された場合は、非暴力抵抗で対処すれば十分ではなかろうかいうことです。それから外交的には中立政策でいくしかないということです。
スイスは「民間防衛」という発想があり、これと「非武装」論者が提言しているものは異なる。
ヨーロッパの市民的抵抗、社会的防衛論とほぼ匹敵する考え方として、クリスチャンの宮田光男の「非武装国民抵抗の思想」(1971年)では、非暴力抵抗に基づく「市民的防衛」を提言している。宮田さんは、侵略者の国土からの撤収を物理的に強制できない以上、外交的には中立政策をとる以外はないのでは。何らかのかたちで軍事的な防衛を必要と発想すると、軍事力による何らかの体系を考えなければならなくなるので、9条的な発想とは違う方向に行く。別の本では、軍事力なしで何故防衛が可能であるかを説明している。現在の核兵器を前提とした時代では、領土の軍事的防衛とか国境不可侵性とか、そのような防衛は意味がなくなっている。領土防衛に基づいて一般民衆の生命、経済的潜在力に安全を保障するということは不可能である。高度に工業化された国家間戦争では生活空間での領土の占領ないし獲得はもはや戦争目的たりえず、従って軍事的侵略に対して国境での防衛が無条件に求められるか、いなかを考えなくてはいけない。さらに現代戦争では軍隊よりも一般民衆の損失が大きくなることが、軍事的防衛よりも市民的防衛の有効性を示すことになる。
侵略国家からみると長期に軍事支配をすることは国際的に許さなくなっているし、仮に侵略される国からみれば、高度化した軍事力の下では軍事力によって領土防衛を考えても不可能ではないか。むしろ非武装非暴力抵抗で無法占領とか支配の不当性を訴えていくことで占領とか支配を終了させることも可能なので、国境を守るという伝統的な考え方に立つ安全保障というのはもう時代遅れであると宮田さんは言っている。
もし日本が侵略された場合に軍事力で実際防衛できるのかという点からすると、国民を戦闘地域から避難させる必要があるが、それには避難用のバスが何台要って、何日かかるかという問題がある。大都市で戦争状態になった場合、一体市民は何処へ逃げるのか、逃げ場所がないという問題があり、今日の大都市では戦争ができる構成になっていない。よく考えれば軍事力で防衛するということは極めて意味がないというシミュレーションも実際だされている。澤野先生がこの本を書いた時は、有事法制ができた時で、攻撃を受けた場合、避難誘導するのに何日かかるかのシミュレーションをつくっている自治体がでてきた。鳥取県は、朝鮮半島から近いから仮に戦争になった時に、人口10万人の鳥取市民を隣の県に避難誘導させるとすると、約90台のバスで約11日かかる。それでは果たして避難誘導になるのか。避難するバスと自衛隊の進行がぶつかり混乱がおきる。有事法制では国民保護法というのは機能しないというシミュレーションが幾つもある。従って武力で防衛するというのは必ずしも有効性がなく、それよりも非暴力、武装されていないかたちで、どうやって防衛するかを考えた方がよい。
日本的なものとしては、軍隊のない平和都市をつくって、これを国際社会で承認させておくということです。「無防備都市」という条例でつくる。それを国際的に宣伝しておくと、「無防備都市」を武力攻撃することは国際犯罪になるので、「無防備都市」を準備したらどうかといのが、澤野先生の提案です。

以上

(井上浩氏記載)