第17回平和学習会

「平和憲法とこの国の自立を考える」輪読&勉強会 第17回

日時:2018年12月22日 14:00~17:00
場所:大阪南YMCA
講師:澤野義一先生(大阪経済法科大学法学部教授)

1.コスタリカについて
(1)最近の平和政策
①イラク戦争
ブッシュのイラク戦争に、当時の保守的なコスタリカの政権が、支持をする大統領声明を出したことに対して、市民がそれは憲法違反ではないかということで、最高裁に訴えた事件で、最高裁は憲法違反であると言う判決が下された。
ノーベル平和賞を貰ったアリアス大統領(1986-90年)の後に出てくるアベル・パチェコ大統領(2002-2006)は少し保守的な傾向の大統領で、2003年のアメリカのイラク攻撃にコスタリカ政府が賛成をした。コスタリカは軍隊がないので、派遣はしなかったが、政治的に支持をするという声明を発した。それに対して、コスタリカ大学の3回生の法学部の学生が、自分が習ってきた憲法の非武装中立に違反するということで最高裁に訴えて、最高裁は政府の態度は憲法違反であるという判決が確定した(2004年)。
②原発は憲法違反
コスタリカ政府が、ウラニウムやトリウムの抽出、核燃料の製造および核反応機の製造を認める政令を制定したことに対して、市民が違憲訴訟を起こし、同国の最高裁憲法法廷が2008年に、当法法令を違憲無効とした。判決は、核反応器の製造を可能とすること(政令)も違憲としています。したがって、原発の製造や稼働が違憲となる。そこから、判決は原発違憲論を導き出している。判決自体は、原発は違憲というものではありませんが。

(2)憲法
1848年にコスタリカ共和国として独立し、最初はスペイン憲法の影響を受けた憲法がつくられます。その後アメリカの影響が強くでてきて、そのアメリカ憲法の影響を受けた憲法に改正された。憲法がコロコロと改正され、1871年頃までに約10回改正されている。当時ラテンアメリカに共通していたのは、良い憲法をつくるけれど、全然実行されないで、次の憲法をつくってしまうという傾向がみられたのですが、重要な条文が安定したのは、1871年憲法です。この1871年憲法の下で、かなり憲法を守る政治が行われた。例えば、義務教育の無償化、死刑廃止、公衆衛生の向上などが行われた。1871年憲法は、1941年憲法まで継続している。その中で部分改正が行われ、その中で重要なものは、1940年代の労働法、社会福祉制度の改革が憲法の中に入ったことである。ドイルのワイマール憲法の影響を一部受けた形ですが、人権でいうと、社会権、働く権利とか教育を受ける権利とかが憲法にはっきりと書かれた。能力に応じた人間に値する生存を要求する権利も明記している。同一労働同一賃金の原則も憲法に明記されている。日本の戦後の労働基準法に書いてあるようなことが、この段階で憲法に明記されている。8時間労働とか、50%の超過労働割り増し賃金というような細かいことも書いてある。
何故この様な憲法ができたかというと、一つは1930年代から世界恐慌が起って、これに対して社会福祉国家のようなものをつくらないといけないと考えられたし、さらに1940年代の反ファシズム連合という形の政権ができて、穏健なコスタリカ共産党とカトリック教会正義論と社会主義的な人権関連が合わさって福祉国家の憲法がつくられた。これは世界的にみてもこの段階で憲法をつくったのはかなり早い。この福祉国家的なものが1949年憲法にもそのまま継続されている。
1948年に軍隊を廃止します。コスタリカで小規模な内戦が起きて、その時に権力を取った方の大統領が、権力を取った途端に軍隊を廃止するという宣言を自ら行った。これを憲法に書き込んだ。コスタリカの憲法の特色を一言でいうと、非軍事福祉国家と言える。軍事予算を全て福祉とか環境保護とかに使うことになっている。

2.「非武装中立と平和保障」―憲法9条の国際化に向けて-
第3章 非武装永世中立国の平和保障政策
    - コスタリカの場合 -
Ⅰ 非武装憲法に基づく永世中立
1949年のコスタリカ憲法12条に、「①常設制度としての軍隊は、廃止される。②警備および公共秩序の維持のためには、必要な警察隊を置く。③大陸協定によるか、もしくは国の防衛のためのみ、軍隊を組織できる。」と規定されている。軍隊を廃止した後にどのように安全を担保するのかということで、これは警備力で対処する。これは軍事力としての役割ではないが、一応法体系としては警察法で、日本の自衛隊法とは違う。但し③で再軍備の規定になっており、国防のためとか、大陸協定という国連の地方版、地域の集団安全保障で全米の機構の要請が軍隊を必要とするという場合は、再軍備もありうるという規定である。だから自衛権は、憲法上は留保されていることになる。但し実際問題、軍隊を持っていないままできていますので、日本政府の9条の扱いと全く異なる。

Ⅱ 永世中立宣言の背景と反響
憲法に永世中立の宣言が加わるのは、1983年で、何故永世中立の宣言をしたというと、隣国のニカアグラ、社会主義政権でしたが、アメリカが軍事介入して内乱が起こり、国境を接したコスタリカに波及してくるという恐れがでてきて、再軍備して防衛するかという議論が起こり、結局軍事力でなくて国際的に中立宣言して対処したらどうかということで宣言をした。この時はモンヘ大統領で、モンヘ大統領は何故このような中立を発想したかということですが、モンヘ大統領は一時期スイスに居たと言われています。だからスイスがやっていた中立をイメージして、コスタリカで中立をやろうという発想に繋がったようで、それで中立宣言をするということになった。但し、ただ宣言しただけでは、外国が無視するかもしれないので、支持を得るために積極的に宣言をアピールするために世界を回った。各国から支持とか賛成するとか歓迎をするとかいうことでほぼ事実上賛成を得た。唯一アメリカが不快感を示した。但しアメリカも事実上認めることになった。

Ⅲ 永世中立宣言の法的性格
コスタリカは永世中立を対外的に宣言した訳ですが、その中立宣言が国際法的に拘束力があるものと見なされるかどうかが論点になる。これまでの永世中立国はスイスとオーストリアがあって、それが何故国際法的に永世中立国として見られているかと言うと、手続きですが、スイスは国際か会議を開いてそこで承認を受けて慣習的にこれまできているし、オーストリアは戦後1955年に4ヵ国占領から独立した時に永世中立国の宣言をした。この場合は、外交を結んでいる国に一方的に承認を求める外交文書を出して、承認をもらった。一方的に宣言するのであるが、一応承認して貰うという手続きを踏んで国際法的に拘束力がある永世中立国となった。法的拘束力があるという事は、これは一旦認められると、勝手に止めることができないという意味になる。コスタリカの場合はオーストリアに似ており、一方的に宣言し外交文書を出しているが、その内容はオーストリアのようにはっきり承認を求めるものではなかった。そこが少し曖昧ではっきりした承認を貰った上でやっていない。賛成とか歓迎とかと言う返答は貰っているが、これは国際法的に言うと厳密なものでないので、事実上永世中立国として扱われているだけで、オーストリアのような形で国際法的に承認されたとは認定できないのではないかという論争がある。
多くの国際法学者は中立主義を宣言しているだけであるとの認識をしている。所が、コスタリカの法学者で人権裁判所の判事であるエスピェールは、一方的宣言であっても自ら守る意思を持っていて、実践している場合には拘束力が発生するのであると理解している。実際そのような判決が、「核実験事件」(フランスの核実験で被害を受けたオーストリア、ニュージーランドが訴えた)で、国際司法裁判所の判決は、一方的に守るという宣言をしている国は拘束力が発生することがあると言っている。それを根拠にしてエスピェールは、コスタリカの場合はそれに該当するという説を述べている。コスタリカ政府、あるいはコスタリカの最高裁判所は拘束力が発生するとの説を取っているように思える。この辺りを積極的に論じている学者は日本にほとんどいないが、澤野先生の見解は、法的な拘束力を生じると理解をしている。但しヨーロッパ系の学者の中にはまだ確定していないとの説を取る人もいる。

Ⅳ 永世中立の内容 - 永世的、積極的、非武装的中立
   1 永世的中立
第一に、「中立の信頼性化」で、次のように述べている。「領空および領海を含め、わが国家領域が、戦争に巻き込まれた当事者のための軍事作戦基地として使用されることを阻止するため、我々は可能な努力をする義務がある。すなわち、紛争状態にある当事者に対するあらゆる支持と援助を禁ずる義務、軍隊や弾薬あるいは補給部隊輸送のわが国領土通過を容認しない義務、交戦当事者との公衆用でない通信用無線施設の維持ないし設置を容認しない義務、交戦当事者のために戦闘部隊を編制することや徴募用事務所を開設することを阻止する義務、わが国領土に侵入してくる戦闘員を武装解除し、戦場からできるだけ隔離して留置する義務である。」
この「中立の信頼強化」は永世中立の第一次中立義務に相当し、この義務を規定している戦時中立法は、「陸戦の場合に於ける中立国及び中立人の能力の権利義務に関する条約」(陸戦中立条約、1907年)や「海戦中立条約」(同年)などを根拠法としている。
第二に、「中立の義務」で、次のように述べている。「戦争を絶対に開始しない義務、武力の行使、威嚇、あるいは軍事的報復をしない義務、第三国間の戦争に参加しない義務、わが国が自由に使える物質的、法的、政治的、および道徳的なあらゆる手段で、わが国の中立と独立を十分効果的に擁護する義務、軍事的紛争に現実的にあるいは外見的にも巻き込まれないように、中立に基づく外交を追求する義務である。さらに、永世中立国としての我々の義務を、諸国家内の武力競争にも拡張して適用することが、我々の義務である。」
以上の諸義務は、スイスやオーストリアの国際法上の永世中立を手本として義務を列挙したものである。

2 積極的中立 
第一に、積極的中立の定義的な説明は、次のように述べている。「コスタリカの中立は積極的である。それは、イデオロギーおよび政治の領域で不偏不党であることを意味しない。・・・・この積極的中立は、国連、米州機構、ならびに米州相互援助条約の構成員としてコスタリカが有する、次のような問題に関する権利と完全に両立する。その問題は、国際の平和と安全の維持、紛争の平和的解決に向けての諸活動、より公正な経済的・社会的秩序の達成、ならびに人権および基本的な自由の促進と尊重に関する問題である」
第二に、国際的な紛争や平和問題へのコスタリカの立場ないし具体的な対応については、「中立宣言」の「仲介・調停・人道的見地」という項目でも言及されているが、中立宣言の「コミュニケ」では、「我々の国際的姿勢」という項目で、次のように述べている。「わが国は一度も侵略者にならなかった。我々のすべての国境紛争は、我々が常に尊重してきた直接的な協議もしくは国際的な仲裁裁定により、いつも解決されてきた。我々は、自国が調印している国際条約の中に、我々の主権的同盟の尊重と保護を求める。というのは、我々は、一方的かつ永世的に非武装になる形で、武力の使用を放棄したからである。我々は、敵対的な目的をもつ軍事的、政治的あるいは経済的同盟に自らを義務づけたことは一度もない。全く逆である。コスタリカは、人間の進歩と福祉のために戦っている国際的な機関やフォーラムについても参加してきたからである」。
第三に、コスタリカの人権主義について、「国民の魂の中に深く根づいている平和に対する使命は、軍隊の廃止により、非常に大きくなった。1922年既に、わが国の創設者の一人、リカルド・ヒメネスは、『学校が軍国主義をやめさせないならば、軍国主義は、共和国を破滅させるであろう。』と述べていた。学校が勝利し、軍国主義がなくなったことにより、共和国は強固になった。教育、文化、健康管理および社会福祉のために、すなわち、人間の全面発展としての平和のために軍隊の予算を当てることが、我々コスタリカ人にとっては、価値があった」。「コスタリカ社会には、・・・平和を強く愛好し、軍事的伝統を率直に拒否する共和国の安定をはかり、死刑は100年以上も前から、常設制度としての軍事は30年以上も前から廃止している」
第四に、人権の国際的保障に関して、「人権は、人間の基本的価値の表明であり、それにふさわしい保護が与えられるためは、国際社会の連帯した、注意深い態度が要求される。我々は、世界の貧困を除去するために闘う。また、政治的武器としての暴力とテロによる圧迫に反対し、イデオロギー的、人種的、宗教的迫害、あるいは何か別の形で人間的自由を圧殺するものを除去するために闘う。」
第五に、コスタリカの中立は軍事的中立を意味し、イデオロギーや政治的中立を意味しない。コスタリカが選択してきた体制的イデオロギーは、西欧的自由民主主義ないし社会民主主義であり、共産主義に対して寛容とはいえない。

3 非武装的中立
コスタリカ憲法12条でいう非武装は、常設制度としての軍隊をもたないということである。軍隊に代わるものとしては、治安と国境警備用に市民警備隊が設置されている。憲法12条で留意しなければならない点は、その第3項では、軍隊の保持は完全には禁止されていないということである。つまり、地域的集団的安全保障制度である米州機構や米州相互援助条約(リオ条約)といった「大陸協定」の要請、もしくは自国防衛の必要性がある場合、常設でない軍隊ならば、保持が可能とされている。したがって憲法上は、海外派兵の権利や個別的自衛権をもっていることを意味する。しかし、現実的政策としては、武力による自衛よりも、米州の地域的集団的安全保障機構に中にあって、武力によらない安全保障を選択してきている。

Ⅴ 非武装主義による平和保障の提言
アリアス大統領(1985~90年)は、ニカラグア内戦を中心とした中米紛争を終結させるために世界中を奔走し、その成果でノーベル平和賞を受賞した。ノーベル平和賞受賞演説(1987年)で、「私の国は兵器のない国・・・子供達が一度も戦闘機・戦車・戦艦をみたことのない国です。対話を信じ・・・合意を見いだすことを信じています。暴力は拒否します」。「(中米の暴威が波及してくるのを防ぐため)あるコスタリカ人達は・・・軍隊をつくらねばならないのではないかという恐怖にとらえられたのです。なんという意味のない弱さなのでしょうか」。「1000の軍隊よりコスタリカを強くするその力は、自由と・・・私達の文明の偉大な理想に力なのです」。
アリアス大統領は、退任後も積極的に平和のための提言をしている。冷戦後の課題が南北問題(健康や教育よりも軍事への投資が重視されている問題など)の解決にあり、そのためには軍備撤廃(軍縮)が必要だということを、コスタリカの非軍事化の経験と成果をふまえて強調している。そして、戦争や日常生活の軍事化の口実となってきた「安全保障」や「共同防衛」の観念を批判したり、武器売買や新たな戦争を推進し、軍備撤廃を妨害している先進国の産軍複合体を批判したりする。国家や民族主義中心の安全保障ではなく、人間と命を尊重する「人間のための安全保障」ないしは「人類的安全保障」論を展開している。その目標を達成するために、次のような非軍事化が提言されている。たとえば、兵役解除、兵器の廃棄、兵器売買・軍事援助の削減のほか、暴力の文化を民主主義とコンセンサスの文化につくり替えること、防衛目的のための資源を人間開発の事業にふり向けることができる国家からなる新しい多角的集団的安全保障の検討、削減した軍事費を平和目的に配当する地球規模の非軍事化基金の創設などである」。                                     以上
(井上浩氏記載)