第16回平和学習会

「平和憲法とこの国の自立を考える」輪読&勉強会 第16回

日時:2018年11月17日 14:00~17:00
場所:大阪南YMCA
講師:澤野義一先生(大阪経済法科大学法学部教授)

1.マクロン仏大統領、国家主義を批判 第1次大戦終戦100年式典で
1918年に第一次世界大戦が終結し、パリ講和会議が開かれて、今年はそれから100年周年にあたる。マクロン大統領は、「現在の世界は非常に保護主義というか一国主義的に、ナショナリズムとか人種差別主義が台頭してきている。」と発言。これは第一次世界大戦終結後、とりわけ1930年代にナチスが台頭するが、そのようなナショナリズムが台頭してくる時期と似た状況が現在に出てきているので注意が必要であるということです。

・マクロン大統領の発言
「第1次大戦後、我々の先達は国際協調による平和をめざしたが、復讐心や経済危機がその後のナショナリズムと全体主義を生んでしまった」
「自国の利益が第一で、他国は構わないというナショナリズムに陥るのは背信行為だ。いま一度、平和を最優先にすると誓おう」
「愛国主義は、ナショナリズムとは真反対にある」、「ナショナリズムは愛国主義の裏切り者だ。自分たちの利益が第一だと言い、他者を尊重すると言いながら、国家がもっとも大切にし、命を育み、国家を偉大にする、本質的な道徳的価値観をかき消してしまう」

第一次世界大戦が1918年に終結し、2年後に国際連盟が発足し、歴史上はじめての世界の平和機構ができた。1920年代、世界は協調主義の時代に入り,軍縮も進み平和思想も活発に登場してきた。1928年にパリ不戦条約、国際紛争を解決する手段として戦争を放棄するという、所謂戦争放棄が締結される。これは憲法9条の一つの源流をなしている。国際法上戦争を禁止するという戦争違法化条約の最初のものと言われていて、国際社会では一般的に戦争は止めようということが定められた。この不戦条約を条文でみる限り、自衛戦争ができるとか、集団的自衛権が行使できるとかという文言はない。素直に条文をみる限り、憲法9条によく似ていて、「国際紛争を解決するための戦争を放棄する」、「平和的に解決する義務を各国が負う」とかいう条文です。素直に読む限りは、既に1928年に戦争一般を放棄すると読める訳です。その通りに解釈してやるべきだという、自衛の戦争も侵略の戦争も放棄するべきだという非常に徹底した解釈した平和運動が、巻き起こってきます。所が実際の大国は、この条約に対して戦争放棄しているけれど自衛権は放棄していないのだという解釈をした上で、条約を締結したと言われている。従って、実際の不戦条約の運用は悪用され、自衛の戦争が出来るということで、自衛を名目として第二次世界大戦に突入していったことになる。その意味で不戦条約は守れなかったし、日本も不戦条約は締結したけれど、直ちに1931年に満州事変というかたちから事実上侵略していく訳ですが、満州戦争とは言わないで事変という言い方でごまかしていきました。戦争という言い方は公的には言えないので、事変という言い方で進んでいった。
この時期にアメリカ国内では不戦条約を、文字通り全ての戦争が放棄されたものと理解すべきという思想や運動が巻き起こった。これを世界に広めないといけないということで、アメリカ議会の中で議員を通じて合衆国憲法を改正すべきで、自衛のための戦争を含め全ての戦争を、この条約を放棄しているのであるからと、非常に理想的にみる人たちも出てきた。これは憲法9条とほぼ同じ解釈をするグループの平和思想運動が展開されていた。1929年に合衆国憲法に戦争禁止条項を加えるために、フレーザー上院議員が憲法修正案を提出した。それは、「いかなる目的でも戦争は違法である。アメリカ合衆国またはその法域内のいかなる州、領土、結社、個人も、国内および国外において、戦争およびいかなる武力による戦いや遠征、侵略、企てについての準備、宣戦、参戦、遂行もしてはならない。そのような目的のための、資金の調達、充当、支出は一切してはならない」というものである。これは不戦条約の素直な解釈で、憲法に入れるとするとこのような表現になる。
今年は、不戦条約の締結から90年目になる。不戦条約は9条の戦争放棄の基になっている。
戦争放棄から直ちに全ての軍事力を放棄するというのは、イコールに直ぐに出てこないのですが、9条の「陸海軍その他の戦力を保持せず」はどこからきたかというと、これはポツダム宣言からきている。「日本は占領された時には全てが武装解除される」からきていると思う。
第一次世界大戦後の平和的な流れ、国際協調路線の中で不戦条約が登場してきて、これがアメリカ国内でかなり徹底した平和思想になって、それがいくつかの要因で憲法9条に流れ着いた。
現在のアメリカの国内においても、不戦条約をもう一度見直して徹底すべきでないかということの一つが、チャールズ・オーバービーの9条の会です。彼が何故9条に着目したかというと、それは既にアメリカにあったということです。1928年に憲法9条を実現しようとする人たちがアメリカに存在していた。これが日本で9条に具体化しているので、これをもう一度アメリカでつくろうという動きがある。

2.「非武装中立と平和保障」―憲法9条の国際化に向けて-
第2章 武装永世中立国の平和保障政策
- スイスとオーストリアの場合 -
Ⅰ 永世中立と憲法・国際法
永世中立は法的な制度で、憲法や国際法で保障されるものですが、但し、国内法の憲法で自国は永世中立国ですといくら明記しても、国際法上はそのように尊重されるかは分からない。従って、憲法で書いた上で国際社会からも承認を求めておかないと、国際法的に保護された永世中立国にはならない。承認の求め方は、2つある。スイスのように国際会議を開いてそこで承認を求める方法。オーストリアのように外交関係のある国々に、国内法で永世中立を定め、これを国際社会に向けて承認して下さいと外交的に通告し、それについて承諾を得て、承諾を貰うか、黙認も承諾したという扱いになり、明確な反対がなければ、事実上承認、慣習的に承認されたことになっている。
スイスは、ナポレオンが失脚してウイーン会議が開かれ、そこで永世中立国になることを1815年に承認された。国内憲法では「永世中立」とは書いていなく、単に中立の維持という形で定めているが、実体は永世中立である。
オーストリアは、ナチスと同盟を結んでいた関係で、戦争に負けて4ケ国に占領された後、独立する訳ですが、独立した暁にはどのような国家体制をとるかという議論が巻き起こり、1955年に独立する時に、永世中立国になるという道を選択した。国内法で憲法法律というのを制定して、外国に通告して承諾を得るという形になった。その後、本来の憲法典の中に「オーストリアは、総合的国防方針を表明する。その任務は、対外的独立ならびに連邦領域の統一を維持すること、特に永世中立を維持し防衛することである。」とはっきりと規定されている(1975年に憲法改正で追加)。憲法典だけでなくて細かい法律のレベルでも規定があり、「中立危険罪」がある。これは、オーストリアの中立政策を危うくする行為をすると、これを処罰するという刑法である。例えば政府の要人がこっそりと中立に違反するような貿易をするとか、何か外国に資金提供すると処罰するものです。あるいは中立に反するような戦争物資の輸出入を禁止する法律がある。
因みに日本の刑法にも中立危険罪があり、この戦争についてはどちらの国にも加担しませんという中立宣言、戦時中立といい一時的にでき、この中立に違反すると刑法で処罰できるという条文です。しかしこの刑法が適用された例は一度もない。オーストリアでは、実際にときどき適用された例がある。この「中立危険罪」は、9条と関わらせてやると、中立に反する外交政策を政府がすることは許されないという条文に切り替えたらよいというのが澤野先生の考えです。
スイスは、早くから永世中立国であった訳ですが、中立国は国連に加盟できるかという問題がありました。スイスは、国連ができた時には、加盟しなかった。最近2000年代になり加盟した。
オーストリアの場合は、早々と1955年に永世中立国になった途端に国連加盟を希望し、承認された。スイスが長い間、国連に加盟しなかったのは、それは国連に加盟すると永世中立という立場を維持できないのではないかと、所謂、国連の行う軍事制裁などの協力をするとなると、結局中立性が失われるのでということで加盟しなかった。理論的には永世中立と国連の集団的安全保障とは、矛盾するという説も結構強くあったので、結局加盟しなかった。オーストリア系の国際法学者では、国連に加盟して国連が軍事制裁を発動しても、それは強制力を持たないので、加盟国に裁量権があり、永世中立国に強制される訳でもないので、矛盾しないという解釈があったが、スイスは長い間加盟しなかった。今はスイスも加盟している。
中立というのは、いかなる場合でも中立ということではなくて、国連の経済制裁などは協力する義務あるが、軍事的には中立を維持できるという考えになっている。

Ⅱ 国連に対する平和保障協力
ここは永世中立国が国連の制裁にどこまで協力できるのかの問題を取り上げている。国連は経済制裁と軍事制裁の両方が国連憲章に書かれている。そのどちらでもないPKO、国連平和維持活動もありますし、軍縮活動もあります。これらについて中立国はどのように協力するかうことです。
スイスやオーストリアの政府は国連の決定がでると、国内で悩んでいたようで、歴史上苦労してきている。

1 国連の制裁措置
国連の経済制裁について両国は協力するということで、ほぼ一致している。軍事制裁の所が微妙で、どこまで関与できるかが、難しい訳です。特に湾岸戦争が勃発した時に中立国はかなり悩んだと思います。国連軍といっても、国連が指揮権をとって行ったことはなく、国連憲章でいう国連軍は、加盟国に指揮権を与えないで、国連の指揮権で命令して行うのですが、それは5大国が反対するので、国連軍はできたことがないのです。そこで代わりに運用されているのは多国籍軍という形で、国連の指揮権が発動されていない形で、実質はアメリカが指揮権をとっているという形である。国連軍であれば、それなりの中立性あるが、多国籍軍であれば、ほとんど中立性がないので、多国籍軍がスイスやオーストリアの領土や領空を通過させてくれと言ってきた場合、それを許可するか、しないかという問題が発生する。これについては国連決議(678号、国際平和を回復するために、あらゆる必要な手段をとる権限を加盟国に対して付与している)がだされ、これに対してどう答えるかですが、この決議がはたして強制力をもつものかどうかが問題になった。オーストリアの方は、この決議に協力する体制をとった。多国籍軍に領空通過を認めるという措置をとるために「中立危険罪」や「戦争物質の輸出入等に関する法律」の中立関連法の一部改正し、領空通過を可能にした。
スイスの方は厳しい対応をとり、領空を通過させなかった。それは多国籍軍は、本来の国連軍ではなく中立性に欠けているので、これに領空通過を認めると永世中立国としての中立性を損なうということで、スイスは厳格に中立を守った。当時国連決議678号がでた時に、別に永世中立国でもない国が中立宣言をだしています。この決議は強制力をもたないので、イエーメンやキューバは、この決議はそもそもおかしいと反対したり、イラクやヨルダンは中立宣言をだした。オーストリアは領空通過を拒否できたと思いますが、認めた。オーストリアはスイスに比べ中立の考え方が弱いように感じる。

2 国連平和維持活動(PKO)
日本は初めてPKOをカンボジアに派遣したが、大きな論議になった。日本ではPKOのことは、ほとんど知られていませんでしたが、国連社会では1960年前後からPKOという活動は行われていた。日本にも国連加盟してから派遣の打診があったが、日本政府は、今は関係ないということで無視していたので、話題にもならなかった。湾岸戦争の時から日本も国際貢献というスローガンがでてきて、国際貢献が大切であるといことで、自衛隊を出さなければいけないのではないか、外国から日本もPKOに参加したらどうかという誘いがどんどん来るようになって、拒否し難くなってPKOを出すことになった。

 (1) スイスの場合
それでは中立国ではどうしていたのかというと、中立国は早くから積極的に活動していた。スイス政府の法律(「平和維持活動に対するスイス部隊派遣法」)によれば、①紛争当事者の同意がある、②中立的に活動し、武器使用は緊急事態に限る、③スイス政府が軍隊を撤退させる権限を留保することが、条件になっている。PKOの原則は中立性であり、中立国には相応しいということで、実は東西冷戦の時は永世中立国か、中立主義国、後は小国がPKOを派遣してきたが、常任理事国はPKOを出さないという原則であった。軍事大国が国連の主権がでるような紛争の地域に派遣されることは問題があることで、派遣されなかった。中立国はPKOを派遣することについては、ほとんど問題がなかったのですが、軍事制裁の強いPKOや内政干渉をしてしまいそうなPKOがどんどんでてきた。これまではPKOは武力紛争が再発すると引き揚げていた。所が引き揚げなくて強引に武力行使に近い形で内政干渉するようなPKF(平和維持軍)が強くでてきた時に、これに参加するのはどうかという事が問題になってきた。しかし、国連5大国、中国とかアメリカとかが参加するようになってきて、これはどうなんだろうかという問題がでてきている。スイスは法律を改正して、PKFは中立性を維持する形で参加することになってきている。
澤野先生の見解としては、あまり加担してしまうと永世中立に相応しくない義務を負ってしまうのではないかという疑問があり、PKOそのものを検討しないといけないとのこと。日本は安保関連法が制定されたが、その中でPKOの活動がかなり軍事的な活動が可能になってしまっており、かなり問題性を秘めている。世界のPKOも今のままでいいかどうか、別途検討される必要がある。

Ⅲ 国連外での平和保障協力
ここでの議論は、ヨーロッパで行われているもので、日本の方から見た場合はあまり関心がないような所である。国連協力と国連外での協力ということで性質が違う。国連以外での国際機構、組織に中立国はどう協力できるかという話である。ヨーロッパではEUに中立国はどう協力あるいは参加できるとか、欧州安全保障協力会議・機構(CSCE・OSCE)とか国連の外で行われている軍縮会議にどのような協力ができるかということです。

 1 スイスの場合
EUの前身のECができた時から中立国は参加できるのかが問題になっていた。スイスの場合、東西冷戦終結をきっかけにEC加盟を申請する中立国がどんどんでてきた。オーストリア、マルタ、スウェーデン、フィンランド、スイスなどは加盟申請をした。その後、ECがEUに切り替わったが、実際に加盟したのは、オーストリア、スウェーデン、フィンランドです。スイスは未だに加盟していない。EUについてはイギリスのEU離脱の動きになり、他のヨーロッパの国々で、右翼的な政権は離脱した方がいいのではという流れがある。
何故、中立国がEUに加盟することについてそのような議論が起こるかということについては、EC(今はEU)がどのような共同体になるのかということに関わっている。EUがある種の軍事的なはっきりした共同防衛隊になってしまうと、これは明らかに永世中立に反する。これは国連の防衛組織ではないので、言ってみれば集団的自衛権の体制です。EUはある種の軍隊を持っており、この軍事行動に協力するということは、集団的自衛権の行使に該当する。今は消滅したが、西欧同盟(WEU)という共同防衛機構としてEUが連携した形で運用されるということになっていたので、これでは永世中立国が加盟するのはおかしいということで、スイスは明らかに加盟しなかった。所がオーストリアの方は加盟してしまったのですが、これは矛盾しないのかということですが、実は今の段階ではEUは完全な共同防衛体制になっていない。つまりEUに加盟したからといって軍事的な協力を求められても、それを強制する制度になっていない。だから今の段階では加盟したからといって軍事協力する必要性が発生しないので問題ないであろうということで、オーストリアは加盟している。EUに加盟する申請手続きを出す時に、オーストリアは永世中立であるということを尊重して欲しいという申請書を出しているので、今の所矛盾しないということです。
マルタは申請をしたり、その後取り下げたりしたが、政権が代わるとEUに加盟するのは中立に反するということです。アイルランドの場合は、加盟するに当たっては、憲法を改正して国民投票をして承認を得るという手続きを経て加盟した。
欧州の地域的な平和・安全と人権保障を共同で行う機構(CSCE)があり、諸国が集まって、例えば平和関係ですと軍事演習する場合には事前に幾つかの国に通告することを取り決めたりとか、ヨーロッパの加盟国で人権侵害が起こった場合には共同で審議したりする。東西冷戦の時に、中立国と非同盟国がかなり協力して組織を運営してきた。特に、グループ9ヵ国、キプロス、リヒテンシュタイン、マルタ、サンマリーノ、オーストリア、フィンランド、スウェーデン、スイス、ユーゴスラビアが中心になってヨーロッパの安全と人権保障を積極的に推進していた。
欧州には国連の外の軍縮会議が行われており、欧州軍縮会議(CDE)でもスイス、オーストリア、スウェーデン、フィンランドが軍縮の活動にも積極的に関わってきた。つまり東西冷戦中、NATOとワルシャワ機構が存在する中で、中立諸国が平和と人権保障について積極的に活動したが、今や、この中立国の貢献は歴史的に忘れさられてしまっている。今でも中立国というのは、そのような役割を果たせる訳です。現在の新冷戦の体制の時に、依然として中立国の役割は消滅していないのではなかろうか。
中立国にも問題点があって、スイスは1996年12月にNATOとの「平和のためのパートナーシップ」(PFP)協定に調印した。中立国が、緩やかな形でNATOと協力し合うという協定が結ばれた。北欧のスウェーデンという中立主義国も緩やかな協定を結んでいる。これについては中立を厳格に解釈する立場では、これはおかしいのではという批判がでている。オーストリアやスイスの中にも、このような意見がでている。澤野先生の見解でもこれは問題である。
スイスでは、1980年代に入ってヨーロッパでおこった反核・平和運動のなかで、戦争や軍隊そのものを疑問視する青年社会主義者らから、「軍隊のないスイスを目指すグループ」の活動が登場してきている。このグループはスイスの軍隊を廃止する国民投票に持ち込んだグループで、結果的には否決されたが、このグループは兵役拒否、市民的不服従、軍隊廃止、ECの中央集権的議会制に反対している。超国家的直接民主制を主張し、EC官僚だけで政策が決定していくということに対し、EU諸国民が直接ヨーロッパの事柄を、スイスのように直接民主制で決めないとダメであるという運動もある。

2 オーストリアの場合 
オーストリアの場合は結果的にEUに加盟することになった。その際、国内手続きが要るということで、憲法改正を行った。EUのような国際組織に加盟すると永世中立の憲法原則に違反する恐れがあるので、国民投票で承認を得る必要性があり、先ず加盟の是非をやり、その後、加盟した後の具体的な関係性ついて憲法の条項の改正を定めた。現在のオーストリアの憲法は、12から16条、22条13項(特殊兵器の保持を禁止する条項や、ドイツの再軍備の阻止を定めているなど)を廃棄することを宣言し、英米仏ソの条約当事国の承認を得てEUに加盟した。EUには全体としての共通外交権と共通の安全保障を確保するという制度になっているので、ここにオーストリアが参加できるように憲法を改正し、今は合憲になっている。憲法改正を提案する際に、オーストリアの永世中立の中核を維持するとために、EU軍に対する軍事的な協力については非協力であるという核心部分については、従来通り変更はないものとしてEUに加盟した。但し、これについてはオーストリアの永世中立を厳密に解釈する立場からは、これは永世中立に違反するのではという意見が根強く、批判されている。しかしイギリスのようにEUを離脱するという動きはみられない。
実際EU軍はどうなっているかというと問題があるが、やはりEUには軍事産業がありEUにおける軍産複合体というものがあり、問題がある。EU軍はNATO軍とは別組織ですが、今後協力関係になって行くのではないかという批判がある。永世中立を厳格に維持するには、この政府の動きは問題があるのではないかと、市民や一部政党からも批判がで続けている。
オーストリアでは、オーストリア政府の欧州統合への積極的参加論やオーストリアで登場してきたNATO加盟論に対して、1996年4月、NATOやWEU(西欧同盟)などの軍事同盟への参加拒否、EUの軍事化阻止、積極的中立外交などを要求する「オーストリア中立運動」が結成されて注目された。つまりEUが軍事化しつつあり、それを阻止しようとするものである。
また「中立・非同盟」組織と関連をもつと思われる「緑の党」は、オーストリア議会において、EC加盟に反対してきた。NATOとEC間の協力が強くなっていることに対する批判、ECの武器輸出に関する共同政策などが進行しており、ユーロ・ミリタリズム(軍産複合体)が形成されており、それに対して非常に批判的である。文字通り非武装永世中立という観点から軍事化をストップさせる平和運動も展開されている。

Ⅳ 冷戦後の永世中立に関する是非論
スイスとオーストリアの伝統的な武装永世中立国の施策を上でみてきたが、特に東西冷戦が崩壊する辺りで、永世中立国においても冷戦が終わったら中立は意味がなくなったのではないかという議論が、結構薪巻き起こってきた。
日本では社会党が非武装中立という政策を冷戦後放棄した。そして日米安保を一部容認し、自衛隊も合憲とした。実は永世中立国も日本の社会党が考えたように冷戦がなければ、国内的に中立かどうかという議論も要らないという訳で、全ての国が国連に協力して国連中心主義でいこうと、5大国も拒否権を発動しないで仲良くやっていけるのではないかという動きもでてきて、そうなると中立なんていうものは存在理由がなくなり要らないと。
ヨーロッパでは、中立政策はもう要らないのではという動きで、政府の中に研究グループがつくられ、例えば「スイスの中立問題に関する研究グループ」という専門家に、将来どうすべきかということを検討させた報告書がでてきたりした。永世中立を新しい考えで定義したり、永世中立を放棄することも国際法上可能ではないとか、EU加盟が永世中立と矛盾しないとか、国連加盟も将来ありうるとか、などの検討をしたらどうかという報告書がある。この報告書通りに、国連加盟は2000年に入り実現しました。EU加盟は今のところ実現していないが、理屈上は加盟しても何ら矛盾しないという提言であり、永世中立は国際法上放棄することも可能であるという提言を出している。
永世中立の問題は、国際法上の問題が学問的に強く、国際法学者は基本的に論陣を張っているが、その中にも永世中立はもう放棄して、欧州中心主義でいったらどうかという学者もいるし、いやそんな事はない、永世中立は将来的にはまだまだ活用できることがあるのだという学者もいる。
冷戦後といえども、地域紛争の現実あり、NATOのような軍事同盟がある限り、新しい国際情況に、永世中立を適用する意義はあるのだという永世中立維持論者の主張もある。地域紛争について中立という形で、仲裁とか斡旋の関与の仕方が、冷戦下で重要でしたが、現在も地域紛争がある限りそのような役割が消滅していないので、中立国の存在が必要だという意見もある。永世中立放棄論者はどうするかというと、結局NATO加盟を主張したりする。NATOの軍事同盟に入った方が安定するという主張をしている。
現実のスイス政府やオーストリア政府は、永世中立を止めるとかいう立場はとっていません。

3.質疑応答
Q:スイスやオーストリアがNATOと緩いパートナーシップ協定を結ぶようになった要因は、平和維持のための軍事的な要請なのか、あるいは軍産複合体や経済のグローバリゼーションにより中立を維持することが難しくなったのか?
A:単なる安全保障ではなくて、経済的な面が関係している。EUと経済的な協力を一緒にやろうとし、経済の協力を強めていくと結局軍事も一緒に協力していくという方向にいってしまう。ユーロ・ミリタリズム、所謂軍事産業、実際スイスは武器輸出している。スウェーデンも中立国という名目はで結構武器を輸出している。それは武装された永世中立の限界なのです。非武装永世中立に切り替えない限り、中立政策自体が維持できないのではないかということです。武装永世中立国でいるということは、永世中立という政策が貫徹できないではなかろうかということで、結局スイスやオーストリアの国内ででてきている市民運動としての非武装永世中立論者たちは、コスタリカをモデルにしている。非武装永世中立はコスタリカで実際に実施されているので実現性がある。武装中立国の武装ということは軍事産業が経済的には関係している。単に武器を売っているだけでなく武器をつくっている。武装永世中立ということは、日本と同じ専守防衛論なのです。永世中立国は、集団的自衛権は認められないけれど単独で自国を防衛できないといけないという前提に立っていて、個別的自衛権を重視している。その場合、必要最小限の専守防衛は世界が高度に武器化している中で自国を維持しようと思うと、それなりの軍事力を高めないといけないということで、結構軽武装ではあるが時代時代において軍事力が高まってきている。それを中立の名で正当化してしまうということになっているので、それは永世中立自体が歪むということで、永世中立といえどもNATOと緩やかなパートナーシップを結ぶとかになっている。武装永世中立は現在この様な実態なので、これではダメだということで、武装永世中立を非武装永世中立に転換しないと永世中立自体が貫徹できないので、非武装永世中立を主張する人たちがいる。

コメント:軍隊の戦争はないにしても、テロと言うものはどうしても防ぐことができない。完全に中立を保たなければ、いずれテロの標的になる。安全保障の観点からも中立を捨てることは安全保障に影響する。
コメント:中立か中立でなかを決めるのは、国民ではなくて国家側の政策が中立をとるのか、どこかの国と軍事同盟を結ぶのかを決めている。そこには国民がないように思う。国民の立場は非武装であるように思うが、その声が届かない。国家を動かしているのは、隠れた利権構造であり、国民の意思ではない。国民の立場に立てば、直接命に係わる問題なので、その観点から非武装か武装かの選択になる。

(井上浩氏記載)