第15回平和学習会

「平和憲法とこの国の自立を考える」輪読&勉強会 第15回

日時:2018年10月13日 14:00~17:00
場所:大阪南YMCA
講師:澤野義一先生(大阪経済法科大学法学部教授)

1.前回の復習
(1)安全保障と国家の自衛権
自民党の本来の改憲案は2012年に出されており、その9条改憲では国家の自衛権を明記し国防軍を保持するというものですが、それでは国民は支持しないのでハードルを少し下げて、9条の1項と2項はそのままで、自衛隊を合憲にするために9条の2というのを新しく追加して、そこに自衛隊を明記するだけですよという改憲を出してきている。これまでの政府は個別的自衛権だけを認めていたが、安倍内閣は3年前に集団的自衛権は認められると修正した。国家の自衛権は、9条の下でもあるというのが政府の考え方です。条文上は自衛権は当面入れなく、単に自衛隊だけを明記するという形で、国民の多数が認めている自衛隊であるので、反対はないであるということで、お試しの改憲をやろうとしている。
一方、石破さんの方は、2012年の本来の改憲案である自衛権を明記するものでないとダメであると考えているが、ただ直ぐにやるというのではなく慎重にやろうという考えである。安倍の方は、圧倒的多数の憲法学者が自衛隊は違憲だと言っているし、教科書に自衛隊は違憲と書かれているので、それは好ましくないので、とりあえず自衛隊を憲法上合憲にするというのが課題であるとして出そうとしている。
野党の方も対案として自衛隊を明記するのではなくて、自衛権という文言を明記した改憲案を持つべきだと、あるいは状況によっては安倍改憲に対抗する対案を出したらといことで今準備をしている。特に旧民主党、今は3つに分裂していますが、各々が対案となる改憲案を作っていて、立憲民主党の枝野さん、山尾さん等々は立憲主義に則った改憲案を今準備している。それを見ると自衛隊を書くのではなく、国家には自衛権があることを明記して、個別的自衛権、専守防衛に限定して集団的自衛権はできないという改憲案を出すと言っている。安倍内閣は融通無碍に個別的自衛権も集団的自衛権も全部事実上は認められる解釈をしているので、それはダメなんで、個別的自衛権に限定した形をはっきりした改憲を出せば国家権力はそれに縛られるという事で、自衛権を強調しようとしている。これは立憲民主党だけでなくて公明党をそうであるし、社民党も共産党もそうである。共産党は明文改憲は反対で、今のままで良いという立場ですが、解釈上は9条の下でもは専守防衛の個別的自衛権はあるので、当然自衛隊は活用できるという立場です。野党はほぼ同じような考えである。そのような対案で理屈的に自民党の改憲案に対抗できるか疑問であるというのが澤野先生の従来からの考えである。
個別的自衛権は認めるが集団的自衛権はダメだというのは、どのような論理であるのかというと、集団的自衛権は専守防衛である個別的自衛権の範囲を超えるからダメだという言い方をしている。国際的には専守防衛という概念は、実は集団的自衛権を含み、国連憲章で個別的自衛権も集団的自衛権も両方認められているように、両者を分けない。実際、枝野さんや山尾さんの解釈をみると集団的自衛権をある程度認めている。日米安保条約を認めている以上、集団的自衛権を認めていることになる。だから徹底していない。集団的自衛権を認めないという言い方をしているが、事実上認めてしまっている。
澤野先生の考えとしては、本当に集団的自衛権を認めないというのであれば永世中立を主張した方が明快になる。つまり個別的自衛権を超えるから集団的自衛権はダメだという自衛権の概念で論議をするのではダメで、憲法9条は交戦権を放棄しているので、A国とB国が戦争している時には、どちらにも加担しないという中立が9条から導き出される。これを如何なる戦争においても恒久的に行えば永世中立になる。つまり集団的自衛権というのは個別的自衛権を超えるからではなく、永世中立に反するからダメであると明確に言った方が良いのではないかというのが澤野先生の主張である。

2.マレーシアのマハティール首相の発言
9月28日の国連総会での一般討論演説後の記者会見で、マレーシアのマハティール首相(92才)は、日本の改憲の動きについて「もし改憲して戦争することを許容するなら大きな後退だ」と警鐘を鳴らした。
マハティール氏が8月に来日した際、憲法九条に倣って自国の憲法を改正する考えを表明したことに注目し、埼玉県日高市の市民グループ「SA9(九条を支持せよ)キャンペーン」は、マハティール首相に対して、国連の場で憲法9条の意義を語ってほしいと働き掛けていた。

3.「非武装中立と平和保障」―憲法9条の国際化に向けて-
第一章 永世中立(論)の過去と現状
Ⅰ 永世中立の概念
永世中立という言葉は聞いたことはあるが、あまり教えられていない。イメージ的にはスイスは永世中立国ですということになるが、厳格に学問上どのようなものかということをここで解説している。
1 永世中立の意義
永世中立という言い方、単に中立、あるいは中立主義という言い方があり、さらに非同盟中立という言い方もある。いろんな使われ方をされているが、永世中立という場合は、かなり限定的な国際法で認められているものです。国家のなかには、第三国間の武力紛争に巻き込まれないようにするため、平時から軍事同盟などに参加しないで、中立政策をとる国家がある。この中立政策には2つあって、一つは国際法的に義務付けられた中立政策で永世中立が国際社会で法的に承認されているもの。一方、単に中立政策はとっているが、国際法的に承認されていないが事実上中立政策をとっているのは、中立主義と言い政治的なスローガンとしてやっているものである。
北欧(スウェーデン、フィンランド)、アイルランドなどは古くから中立主義と言って政策としてやっている。これは永世中立とは違うが、事実上、長い間中立政策をとってきた。中立主義は政策ですから、その国が一方的に止めてしまうことができる。国際法的に拘束されていないので、政権が変わって止めますと言えば止めることができる。
一方、永世中立国というのは国際法的に承認を受けているので、勝手に止める訳にはいかない。その違いがある。とりわけ永世中立国は、その厳格な中立により世界の武力紛争やその拡大を回避し、信頼される平和推進国となりうる。平和推進国という意味は、例えば、武力紛争が起きた場合の斡旋、仲介をする事で、スイスは歴史的におこなっており、スイスには国連関連の機関があり、国際赤十字などが置かれている。あるいは国際会議、平和安全保障会議など開催されている。そのような平和推進国としての役割がある。
東西冷戦崩壊後、中立を疑問視する意見が出てきた。特に中立が脚光を浴びたのは東西冷戦下であり、1950年代の終わりから発展途上国を中心に非同盟中立諸国がどっと増えた。特にキューバ、インド、ユーゴスラヴィアとか、つまり一部社会主義国と植民地が独立して民族解放された発展途上国が非同盟諸国に集まって、東西と等距離を保つ中立政策をとっていた。これは国連の3分の2を占めていて結構力を持っていた。だから日本の社会党や共産党などは中立政策を言っていた。所が、米ソの冷戦後、国連を中心にして新しい世界秩序をつくっていこうという考え方がでてきた。冷戦下では米ソは拒否権を持っているので安全保障理事会では何も決められなく、国連は機能しなかった。冷戦終了後は米ソが手を組んで国連中心でやっていく国連中心論がでてきた。そうすると中立ということはあまり意味をもたないので、中立は止めようという動きがでてきた。これは中立国の中からもでてきたし、スイスやオーストリアやスウェーデンの中からもでてきた。日本では社会党が1955年ぐらいから非武装中立政策を非常に強く掲げていたが、村山富市は1994年に非武装中立を放棄すると宣言した。中立政策は意味を失い国連中心で国際貢献をすると。スイスやオーストリアでそのような見解がでてきて動揺しだした。日本国内のもともとから中立に批判的な勢力は、これからの世界では中立は時代遅れで意味がなく消滅すると言いだした。
しかし、澤野先生は、冷戦崩壊後、中立を疑問視する見解もみられるが、武力紛争や軍事同盟が依然として存在するかぎり中立は意義をもちうる、という見解である。その当時に書いた論文では、中立国は冷戦崩壊後には逆に増えるのだという主張をした。世界に武力紛争があるかぎり、軍事同盟、ソビエトのワルシャワ軍事同盟は消滅したが、NATOの軍事同盟は逆に拡大した。そのような軍事同盟があるかぎり中立というものがありうるのだというのが澤野先生の主張であった。実際冷戦後、新しい永世中立国がでてきた。カンボジアは憲法に記載されており、ソ連崩壊後にトルグメニスタン共和国もでてきた。

2 永世中立の形態 
①永世中立
国際法的に承認を受けるものである。
・スイス型
国際会議を開いて一種の条約をつくってそこで承認を受ける。スイスは1815年に承認を受けた。ナポレオンがヨーロッパで侵略していたが、その後ヨーロッパの安全保障を確保するためにウイーン会議を開き、そこでスイスは永世中立国として承認された。
・オーストリア型
オーストリアは1955年に世界から永世中立国として承認された。この時代背景としては第二次世界大戦で、オーストリアはドイツ、イタリアと軍事同盟を結び連合国と戦争をして、敗戦し占領された。講和条約を結び独立する時に同時に永世中立国であることを選択したということである。ソビエト、アメリカなど4ケ国に占領されていたが、1955年に独立する時に、どこの国にとも同盟しない永世中立国になることを明言して、外交関係のある全ての国に永世中立国になるので承認してくれと外国に送った訳です。承認しますという返答を貰うか、あるいは何もなければ黙認したと言う訳で、国際法上は黙認も承認の扱いになるので承認された。
同じ時期に日本は1951年にサンフランシスコ講和で独立しますが、日本は日米安保条約を締結し米国と軍事同盟国になったが、日本国内では永世中立国になるべきであるという主張はかなり強かった。知識人の間では、岩波書店の雑誌「世界」の紙上で9条に基づいて永世中立国になるべきとの議論があった。
コスタリカは、オーストリア型に近く一方的に関係国に永世中立政策をとりますという形になっており、澤野先生は「法的の永世中立国」とみなしていますが、そうでない学者たちもおり「事実上の永世中立国」だという説もある。
②「法的永世中立」ではないが、永世中立国が実行しているのと同様の中立政策を長期にわたり厳守しているスウェーデンのような国家。
スウェーデンは200年ほど中立政策という形でやってきおり、「事実上の永世中立」ではないかという見方もある。
③承認された永世中立国の安全を関係国がどの程度保障してくれるかとの観点からみたもの。
永世中立国が誰かから攻撃を受けた場合、永世中立国を誰が守ってくれるのかという観点です。軍隊を含む形で保障を受けるとされる「絶対的永世中立」、スイス型と、そのようなことまでする必要はなく永世中立として承認され尊重されれば十分だという「相対的永世中立」、オーストリア型がある。
④集団的安全保障の観点から見た場合、永世中立国は国連に加盟する資格があるのかないのかという観点から見た場。
国連ができるのは1945年で、大戦後、連合国が国連に置き換わった訳で、United Nationsは大戦中は連合国で、名称はそのままですが、日本では国連と訳された。
国連ができた時にはスイスは呼ばれていませんでした。スウェーデンも呼ばれていません。つまり第二次世界大戦において中立を維持したということは、連合国に直接加わっていなかったので、国連総会を開いた時には中立国は入っていなかった。
現在は、スイスは国民投票で2012年に国連に加盟し、オーストリアは枢軸国でしたが1955年の独立の翌年に国連に加盟した。スイスは国連に加盟することはできたと思いますが、スイスの方で、国連に加盟するといろいろと義務を負う、国連軍ができたら軍隊を出せとか、国連の集団安全保障に束縛されるおそれがあるのでスイスとしては加盟しないが、国連の会議とか機関を誘致して事実上は国連に加盟しているのですが、そのような方法をとっていた。事実上は加盟しなくても何も問題はなかったと思いますが、現在は加盟している。
⑤永世中立国はどのように自国を防衛するのかという観点。
武装型永世中立国と非武装永世中立国の2つがある。スイスの場合は武装し、専守防衛をするが集団的自衛権は認めない。スイスは徴兵制もあり核シェルターが各家庭にあり、軍事訓練も定期的に行われているが、文字通りの専守防衛です。日本の専守防衛はウソであるが、スイスは集団的自衛権を明確に否定した本来の専守防衛です。
新しいタイプは、非武装のコスタリカ型である。
⑥法形式としては永世中立に近い形式を採用しながら、内容的には、非同盟中立を掲げ且つ永世中立でもあるという混合したようなラオスやマルタがある。ラオスは現在止めてしまっている。
コスタリカは積極的中立という形で且つ永世中立であるというもの。
⑦永世中立を国内法である憲法で規定しているかの観点。
憲法で規定されている永世中立国は、オーストリアの憲法の条文に永世中立ということが書かれている。スイスの場合は、永世中立は書いてなくて単に中立しか書いてないが、中身は永世中立で、国際法で永世中立が認められている。

このような分類をみると歴史的には、条約型から宣言型へ、絶対的保障型から相対的保障型へ、国連非加盟型から国連加盟型へ、武装型から非武装型へ、消極的中立型から積極的中立型へ、非憲法保障型から憲法保障型へと、新しい型の永世中立も展開されている。
ソ連が崩壊してトルグメニスタン共和国が1995年に憲法で永世中立国を明記し、永世中立国として国連総会で満場一致で承認されている。このタイプは初めてです。
カンボジアは1994年に憲法を改正して永世中立国になることを明記した。
東西冷戦が崩壊した後、永世中立国はなくなると言った評論家が結構いたが、澤野先生は増えると予言したが、それが当たったことになる。

3 永世中立の内容
中立という意味は法的な安全保障に関するもので、その国が社会主義国であるか資本主義国であるかという国の体制とか、イデオロギーの中立とは関係ない。永世中立というのは何ができるのか、何をしたらダメなのかという権利義務についてはどのようなものがあるか。
①戦争を開始しない。
パリ不戦条約以前は問題にならないことであったが、永世中立であろうがなかろうが1928年にパリ不戦条約ができて、先に攻撃することが侵略戦争であるので、禁止された。永世中立国だけの特徴ではなくなっています。
②第三国間のいかなる戦争にも参加しない国際法上での義務。
永世中立に対して一時的中立、戦争が突発した時だけ中立を守るという両方がある。戦争が起きた時に永世中立国であろうがそうでない国であろうが、この戦争に加担しませんということは国際法上は宣言できる。戦時中立に関する国際法の法律があり19世紀に整備された。その中に永世中立国であろうがなかろうが、起きた戦争について、永世中立国はいかなる戦争にも中立であるが、永世中立国でない国も、この戦争には中立であると宣言できる。永世中立国でない国は、ある戦争に対してA国に加担しようとして中立を宣言しなくてもよい。しかし永世中立国はいかなる戦争であろうと、加担してはいけないと言う義務を負うのが特徴である。従って交戦国に軍事援助、基地の提供、財政的な援助もできないし、これを恒常的に義務を負っている。今の憲法9条は交戦権を放棄しているので、どちらにも味方しないことを恒久的に行うのであるから、解釈上は9条から永世中立が導き出せるというのが澤野先生の意見です。
国連憲章で、経済制裁を行う場合には中立国も協力義務を負うという形で修正を現在行っている。
③永世中立国の独立と平和を擁護、防衛する義務。
防衛の義務については、武力で自衛するのか非武装で行くかで意見の違いがある。
④戦争に巻き込まれるようなことを平時から回避する義務。
軍事同盟に参加することは、いざという時には戦争に加担することになるので、平時から巻き込まれないように準備をしておかなければならないという永世中立国に違反することになる。それから外国軍事基地を容認しない、海外派兵はしない、つまり集団的自衛権は否定される。
永世中立国が、自国を防衛するために武力で自衛することが、国際法上義務付けられているかというのは議論になる所がある。永世中立国になるのであれば武装しなくても平和であると言う考え方もあるが、これまでの国際学者を含めて有力見解は、スイスの例が分かりやすいが、永世中立国になる資格は自分で防衛できることであるから、つまり武力的自衛ができないと永世中立国になれないということです。所が、1983年に永世中立であるが非武装でいくというコスタリカが登場してくると、非武装でも永世中立が成り立つということになって、理屈上も可能ではないかという議論が結構でてきた。現在、国際学者の見解は修正されつつあって、武力で自衛しなくても永世中立は維持できるという見解が増えてきている。

Ⅱ 永世中立の歴史的事例
1 過去の永世中立国
歴史的にどのような永世中立国があったのかを述べている。
一旦は永世中立国になったが、いろいろの事情で結局止めたという例もある。その理由としては永世中立でも絶対安全とは言えないということです。消滅した中立国はとりわけ19世紀に多いが、その理由は集団的安全保障という観念がまだ登場していない時代であったことです。国際連盟が1920年にようやくできたが、それ以前の19世紀には単一の平和保障機構がまだなくて、同盟国をつくってパワーポリティックスで対抗するか、あるいは単独で防衛するかという状況であて、戦争は自由であった。当時は戦争が勃発してもどちらが侵略したかを認定する国際機関がなかった。従って、19世紀は侵略か自衛かということは問題にしなかった。つまり勃発した戦争について合法的な戦争をすれば問題ないという戦時国際法のルールです。非合法の戦争は、軍隊が一般市民を攻撃するとか残虐兵器を使用するとか無防備都市を攻撃するとかです。このような国際条約で禁止された行為に違反しない限りは戦争は合法であるとされていた。その時は19世紀であったが、その時には軍事同盟を締結してもいいし、中立国を選択してもいいという自由であった。結局中立を選択できたけれど少し不安全な状況に置かれていた。国際連盟ができた以降の中立は、国際連盟の集団的保障がかなり整備されたので、その下での永世中立国は19世紀の場合と違って維持することが容易になった。
中立を自国で守ろうとする意思があるかないかによって放棄される場合もでてくる。

2 現存の永世中立国
現存する永世中立国として最も古い事例はスイスで1815年から続いている。従ってスイスは国際連盟に加盟していませんでした。そして第二次世界大戦後も国連に加盟していなかったが、漸く2012年に加盟した。しかしスイスはそれまでさまざまな形で国連に協力していた。そしてスイスは武装永世中立国として侵略をほとんど受けずにきたが、東西冷戦の崩壊とともに非武装化運動が広まっている。スイスの青年社会主義運動家たちが冷戦が終われば徴兵制はもう要らないし、スイスを攻撃する国がそもそもないのだから、軍隊を持っていても意味がないので、スイスの軍隊廃止の国民投票をやろうと投票に必要な10万人の署名を集め、国民投票を実施したが、否決された。その時に憲法9条を翻訳して配布した。そのような動きがあり、現状は武装永世中立国であるが非武装永世中立国に変えようという運動で、そのモデルがコスタリカです。
オーストリアは1955年に永世中立国になりました。
コスタリカは1983年に「永世的、積極的、非武装的中立に関する大統領宣言」という形をとっています。議会に掛けて憲法で定めようとしたが、上手くいかなく結局は大統領が宣言するという方法で行った。そして諸外国への中立宣言の通知に対して、中南米諸国、フランス、スペインなどが中立を尊重するという声明をだした。例えばニカラグアは、「ニカラグアの国民は、永世的、積極的、非武装中立宣言を目指すコスタリカ政府の決定を支持する。我々は、コスタリカの決定の実効的な政治的支持が与えられるよう、すべてのラテンアメリカ政府と国際社会に対して呼びかける」という宣言をだしている。フランスのミッテラン大統領はコスタリカのモンヘ大統領に、「あなたは、コスタリカの中立を厳粛に宣言した。コスタリカは、中米の経済的危機と不安定にもかかわらず、自国の民主主義制度を維持することができたし、また現在、あらゆる国家に対して自国の自立性を政治的判断で宣言することは、きわめて重要である。それは中米地域の国民が交渉による紛争解決を強く希望しているにもかかわらず、暴力のエスカレーションが交渉による紛争解決の努力を日々困難にしているがゆえに、フランスが特に歓迎する民主主義と平和への重要な宣言となる」との文書を送った。
国連のデ・クエヤル事務総長は、モンヘ大統領に対して「この宣言は、国際社会の一つの安らぎのモデルを示している。大統領によるコスタリカの厳粛な宣言は、極めて思い切った行動である」という内容の文書を送っている。
パウロ2世も同様の見解の文書を送っている。
またモンヘ大統領は、1984年に西ヨーロッパを訪問中、イギリス、ベルギー、オランダ、西ドイツ、オーストリア、ポルトガル、イタリア、リヒテンシュタインなど12ヵ国で、コスタリカの非武装永世中立を説明し回っている。
このような宣言が出された理由は、1949年の憲法でなされた軍隊廃棄を引き続き確認することと、1980年代に隣国ニカラグアの内戦、アメリカが内戦に干渉していてそれがコスタリカに波及することを阻止するために、軍隊のない国でどうするかという時に、非武装で且つ永世中立国であることを宣言する必要性があったということです。コスタリカには軍隊がありませんから、戦闘機、戦車、軍艦などは全くなく、代わりのものとしては1万人程度の治安警察隊を設置している。
国連には加盟していますが、国連の地域版である米州機構があって米州の紛争を解決する機関ですが、ここにも加盟している。但し軍事的協力はしませんという条件で加盟している。そして難民の受け入れは積極的に行い、隣国との平和関係をこういう形で維持している。
コスタリカは宣言をして通知をして、それなりに承諾されているので、永世中立の一種で、単なる中立主義ではないというのが澤野先生の理解です。国際政治学者は、どちらかというと永世中立ではなく中立主義の一種だという理解の方が強いようです。
コスタリカの憲法裁判所はある事件で判決を出しています。それはイラク戦争の時に当時のコスタリカ政府は軍隊は派遣しないのですが、ブッシュのイラク戦争を支持するという声明を出したんですが、市民がコスタリカは中立国なので戦争を支持することは中立に違反するのだと最高裁に訴えたのです。コスタリカの大統領のイラク戦争支持の声明は、憲法違反であり取り消せと言う訴えです。アメリカのイラク戦争に参加する国の名簿がつくられており、そこにコスタリカの名前が入っているのも削除することを求めた。その判決は市民の訴えを認めたのであるが、その判決の中にはコスタリカの中立は永世中立国であるとの文言があった。
マルタはあまり知られていないが、イタリア政府との間で中立宣言を発効させた。この中立に対して若干の国々が承認している。
特殊な永世中立国としてはバチカンです。イタリア政府と「中立で不可侵地域とする」との条約を締結して主権(国家性)を認められ、諸外国から明示ないし黙示の承認を得ている。
スウェーデンは本来の永世中立国ではないが事実上は永世中立国に近いものである。
小国のリヒテンシュタイは1868年から非武装永世中立政策をとっている。

Ⅲ 憲法保障型永世中立国の新動向
憲法の中に永世中立が入っている条文の表現の形としては、①伝統的永世中立型憲法(スイス、オーストリア)、②非同盟・永世中立型憲法(マルタ、カンボジア)、③憲法解釈的要請・永世中立型憲法(コスタリカ、日本)考えられる。
ソ連崩壊後にモルドヴァ共和国にも永世中立を定めた憲法(1994年)ができ、トルグメニスタンも1995年に永世中立国となり、カンボジアが1993年に永世中立国になった。冷戦後に新しい永世中立国登場してきたが、メディアがほとんど報道しないし、多くの知識人が冷戦後中立なんて過去のもので注目する価値がないということになっているが、そうではない証拠である。

Ⅳ 永世中立国に関する現代的争点
永世中立に関して議論されている現代的な争点として重要な問題は4つある。
・第一は、国連に永世中立国が入った時に集団的安全保障と両立するかという問題。
伝統的な永世中立国であるスイスは国際連盟、国際連合に入ってこなかったが、それは国連安全保障と永世中立は矛盾するのではないかという考え方があった。所が国連に入ったからと言って集団的自衛権を行使しなければならないという義務を負う訳ではない。それは各国の判断で決めることができるので、国連加盟と永世中立は矛盾する訳ではないというのが、今日の見解です。
・第二は、国連の平和維持活動(PKO)に永世中立国が協力できるのかという問題。
これはスウェーデンのような永世中立国の方が積極的に派遣していた。国連の5大国は一切PKOを派遣しなかった。PKOは中立を要請される活動なので、中立国が相応しい。つまり内戦が起きていて、それが治まった時にPKOが派遣されるので、中立でないとまずい。
・第三は、欧州連合(EC・EU)に対する永世中立国の関わりの問題。
永世中立国がEUに加盟することには賛否両論があります。スイスは加盟していませんが、オーストリアは加盟していますが、これは難しい問題が残っている。
・第四は、非武装と永世中立の両立性に関する問題。
永世中立は武装義務を負っているという説と、永世中立は非武装でも行けるという説がり、国際法学者たちのレベルで議論があって、これまでの有力説は、永世中立国である限りは武装で自国を防衛できないとダメだということでした。これはスイスのような伝統的永世中立国は武力によって自国を守るというイメージがあったし、理屈としても納得できるものであった。

1 永世中立=武装義務説
永世中立国は武装義務が国際法上の原則であるとする立場の論拠は、第一に、①平時における中立国の独立および平和の擁護義務、②戦時中立法上の「防止義務」、である。例えば中立国は中立を維持しなければ生きていけない訳ですから、戦争状態になった場合に、外国が交戦している場合、一方が領土を通過するために中立国に入ってくる可能性がある。スイスにドイツ軍やフランス軍が通過するために入ってくる可能性があり、そうすると中立国としてはそれを認めたらダメで、中立国は戦争に使わせてはいけないという義務が国際法上ある。従って領土通過してくる外国軍に対して追い出す必要があり、それは軍事力がなければできないのではないかと解釈されてきていた。所が必ずしも軍事力で対処するという事を要請していないのではないかいうのが、反論側の意見です。非軍事的な形で出来るだけのことをすればいいのである。完璧に排除するところまでは言っていないのではないかという反論である。

2 永世中立=武装義務説の検討
武装による自衛権は、国家である限り保持しなくてはいけないという前提に立っているから武装義務説がでてきている。所が非武装国家という自衛権そのものを放棄することを各国で選択できるというのが、ほぼ今日的な考えであるとされている。そうすると非武装の形で永世中立であっても何らおかしくないと、実際、コスタリカは1983年以降、非武装のままで永世中立を実践していて評価されている訳ですから、理論上としは可能ではなかろうかというように考えられてきています。コスタリカという国家がでてきたことにより国際法学者も説を改めつつあって、例外として非武装国家というものが永世中立国家になりうるのではないか、特に小国の場合は可能ではなかろうかと。バチカンのように非武装永世中立国もあるし、必ずしも永世中立国と武装を結び付ける必要性はないだろうというのが、最近有力になってきているというのが澤野先生の分析です。
スイスでは永世中立国のままで武装をなくそういう非武装の国民投票運動も起きているし、理論的に可能であるという学者もでてきている。
小林宏長氏は昔から非武装中立などは非現実的であると言っており、中立国になるためには軍隊が必要で、「中立国こそ最後の軍備廃止国でなければならない」という説を唱えているが、このような説はもう成り立たない。

Q:オーストリア型の永世中立ですが、宣言・通知をすることになっていますが、宣言だけではダメですか?日本は憲法9条があるので永世中立国では?
A:宣言というのはほぼ通知ですが、宣言だけでは中立主義で、やはり他国に承諾を得るために宣言と通知が必要となる。日本は国際法上は永世中立国ではないが、9条から永世中立を要請されるので、日本国政府は直ちに永世中立を宣言し、各国に通知すべきだというのが私(澤野先生)の見解です。事実上日本は9条があるのだけなので、国内法でいくら書いてもそれだけでは国際法上の永世中立国ではない。やはり外交上も承認される手続きが必要である。国内法の9条は永世中立国を要請しているから日本政府は義務を果たさなければならない。今は不作為状態です。当然9条の下では集団的自衛権は認められない。日米安保条約は当然違憲になり、米軍基地も集団的自衛権もである。

Q:パリ不戦条約で戦争は禁止されているのだから、本来侵略戦争はないはずであるが?
A:パリ不戦条約は正式には戦争放棄に関する条約ですが、第一次世界大戦が終わって世界の講和会議を開いて、第二次世界大戦のようなものを制限しようとして、戦争を違法にしようと一般的に禁止しようとして、1928年にパリ不戦条約がでてきた。そのパリ不戦条約の条文は憲法9条に入ってきており、「国際紛争解決のため、戦争に訴えないこと」という表現が入っている。この条約は期限が定められていないので、現在も継続していると考えられている。
パリ不戦条約は、侵略戦争だけを禁止するとは書いてなく、戦争一般を禁止すると書いてあるので、文字どうり自衛の戦争も含め全ての戦争を禁止しているとの解釈と、事実上多くの国は自衛権だけは例外的に認められるとの解釈があるが、後者の方が有力である。文字どうり読めば何も侵略戦争に限定していないので、全ての戦争が放棄されていると言う解釈があって、実はアメリカでその解釈を推し進める人たちが出てきて、世界の自衛の戦争も含めて全ての戦争を禁止するし、国際連盟のように集団的に軍事的に制裁するシステムをつくることも禁止するという非常に徹底した運動が巻き起こってきていた。その中から、憲法9条とほぼ同じようなアメリカ合衆国の憲法を修正するような運動が起こっていて、実はほぼ9条に同じような憲法が提案されている。しかし、それは現実主義が強くなって無視された。戦後のマッカーサーの憲法草案にその当時の内容がある程度入っている。アメリカで、1920年代に不戦条約を文字どうりに実行しようとする平和主義者がでてきて、何十万という署名を集めた。それに9条の会のチャールズ・オーバビーが参加していた。憲法9条のモデルは1920年代、1930年代に提案されている。ひょっとしたらマッカーサーとか憲法草案を作成した人たちは不戦条約を研究していて彼らが憲法草案に取り入れた。
不戦条約の解釈は2つあって交じり合っており、文字どうりであると全ての戦争は否定せれているというのと、現実的に言う人は自衛権だけは例外的には否定されていませんと。

Q:コスタリカは確かに常備軍はないが、いざという時に何もないと対応できないので、コアな部分は残していると伊勢崎賢治さんが発言していた。
A:憲法上は日本の憲法9条と違って自衛力を留保している。常備軍を保持しないことは明記してある。但し、緊急事態の場合には再軍備化できると書いてあり、集団的自衛権的なものも行使できるし、徴兵制も可能であると書いてある。一応伝統的な安全保障的なものは憲法上は書いてあるが、実際はそれを使ってはいない。戦車もミサイルもないし、徴兵制もないし、常備軍を保持しないということを守っているし、対外的に非武装永世中立を宣言しており、かなり自己拘束されている。伊勢崎さんは実際にやってることでなく、憲法上で出来るが実際にはやってないことを言っている。

Q:日本が永世中立国になることを妨げていることは何か?
A:歴代政権は、1950年以降、日米安保条約、集団的自衛権という体制という永世中立とは全く反する軍事同盟体制です。1950年まではマーカーサーも東洋のスイスたれと言っている時期がありました。日本が戦争に負けた辺りの外務省の内部の秘密の検討会議では、日本は独立する暁には中立国になることが結構検討されていた。しかし吉田内閣は日米安保法制の方を選択したということで、日本の永世中立国の路線は消えてしまった。1950年から今日に至るまで日米軍事同盟体制が堅固になってきている。
社会党などは冷戦の時は非武装中立を言っていて、社会党が強いときはそれなりに国会でも論戦があったが、今の野党もあまり言わなくなってきて、護憲運動もあまり言わないという状況になってしまった。永世中立とか非武装とかを言う事をためらってしまっている。逆に専守防衛的なものが代表的になって、この非武装の路線で安倍政権に対抗すればいいのだというのがトーンダウンしている。積極的な代案、永世中立とか日米安保を破棄するとかという議論が小さくなってきて、言いずらい状況になっている。
日米安保を破棄するというとその後はどうするんですかという問題がでるから、その代案が永世中立ですという言い方です。日米安保と永世中立を別々に考えるのではなく、両方を同時に考えおくことが大切である。                                                                                                       以上
(井上浩氏記載)