第11回平和学習会

「平和憲法とこの国の自立を考える」輪読&勉強会 第11回

日時:2018年3月24日 14:00~17:00
場所:大阪南YMCA
講師:澤野義一先生(大阪経済法科大学法学部教授)

要点
1.ドイツの脱原発
メルケル政権は2020年までに原発を廃止するという政策を打ち出した。一方、ドイツの憲法は原子力の平和利用をはっきり明文で認めている。ドイツの原発三社は損害賠償の裁判を提起し、2016年12月に最高裁判決がでた。電力会社は原発を禁止したこと自体について争はなかった。最高裁判所も原発禁止を政府が決定し、法律を成立させたことについては、判断せず黙認した。つまり脱原発は憲法上問題ないことを最高裁は認めた。但し、2020年までは原発会社としては運転を続けるという財産権の行使が侵害されると判断し、その賠償だけは認めるという判決である。
海外では、原発の存続についてかなりのレベルで広範に憲法の関わりで論議しており、日本とは全く異なる。

2.攻められたどうするのかという疑問を出す人対して
答えは2つ、最初からギブアップする。相手以上の力を持つ。そのような問を出す人に、攻められないためにはどうしたら良いのかを問いただす必要がある。そちらの方が選択肢は一杯あると思います。
日本人が、コスタリカは軍隊がないけれど攻められたらどうするんですかと質問をすると、何故コスタリカは攻められる理由は何ですかと逆に問い返される。だからそのようなことにならないように、外交だとかの交渉を抜きにして、いきなりやられたらどうするのかと、そこだけを議論するのは良くない議論である。

3 国連の集団安全保障について
戦前、国際連盟というものがあってこれは失敗で、第二次世界大戦の勃発を防げなかった。もっと強力な集団安全保障機構として1945年に国連をつくろうとした。戦後のあり方を取り決めたのが国連憲章で、51ケ国の連合国だけでつくった。国連憲章に、特にアメリカの意向で集団的自衛権が入ってきた。本当は、国連憲章の集団的安全保障の概念は、軍事同盟で防衛するのは止めましょうというのが、本来の国連の精神です。集団的自衛権というのは国連の精神からいうと合わない。国連は集団的自衛権の体制としてワルシャワ同盟とかNATO軍が機能しているのが本質である。

4 自衛権について
今我々が使っている自衛権という概念そのものは、非常に新しい。1928年のパリ不戦条約で、国際法上は戦争を禁止するが、例外としては自衛のためであれば自衛権を行使してもよいという暗黙の了解として概念がでてきた。国連憲章もその精神を一応踏まえており、一般的には戦争はダメであるが、事実上攻撃された場合、例外的に自衛のためであれば武力行使できますことで、ここで初めて自衛権がでてきた。一般的に戦争が禁止されたので、戦争ができる唯一の根拠である。

5 「脱原発と平和の憲法理論」

第6章 安倍政権の改憲戦略と安全保障政策の検討
Ⅰ はじめに
Ⅱ 安倍政権の改憲戦略
自民党の本来の改憲草案は2012年に出されています。これのイデオロギー性は、
①反立憲主義、②新保守主義、③新自由主義、④軍事的「平和主義」、⑤新国家主義。
国連憲章51条では国連加盟国は個別的自衛権や集団的自衛権は持っているという前提があるので、憲法上それができる国は、それは可能である。日本の場合は従来の政府見解(1972年)では憲法9条の関係で、集団的自衛権の行使は憲法に反すると明確に述べてきた。所が、安倍内閣はこれを解釈だけで根本的に変えてしまった。集団的自衛権は大国が同盟国への内政干渉の道具としても使われてきた。
改憲4項目の一つに上がっている緊急事態、国家緊急権は問題がある。これはナチスの時代の1933年に国会でつくった法律である授権法に類似している。この授権法は国会でつくった法律ですが、ワイマール憲法に違反する法律をつくっても憲法違反にならないという法律。授権法ができて以来、国民の人権を制限する大統領令とかが一杯でてきてとんでもないことになった。今回の安倍政権の緊急事態条項の案は、かなり本質を隠したもので、大規模自然災害に限って、その場合には選挙しないとか、選挙の期間を延期できるという条文だけ。
Ⅲ 政権の「積極的平和主義」による安全保障政策
安倍政権の「積極的平和主義」の具体的な中身は、①日本の抑止力強化、②日米同盟やパートナー諸国との協力の強化によるアジア太平洋地域の安全保障環境の改善、③普遍的価値・ルールに基づくグロ-バル安全保障環境の改善である。
安倍政権の「積極的平和主義」は、軍事力で平和を維持すること。

Ⅳ 安倍政権の安全保障関連法案
Ⅴ おわりに
安倍政権の安全保障を批判する論拠して、従来の政府見解に依拠して安倍政権は逸脱しているという形の批判の仕方をしてきた。自衛権の観点でいくと集団的自衛権行使はいけないけれども、個別的自衛権で守る事は良いのだという形で批判する論調が逆に強くなっているのが現状で、立憲民主党を含めた野党は全てこのように考えている。つまり必要最小限の自衛というものは認めていいのだと、野党のほとんどは自衛隊容認論なっているが、これは問題がある。このようになると非武装中立論は野党から全く出てこなくなる。
「日本は現実には永世中立国ではないが、憲法9条の非戦・非武装を前提にした交戦権放棄規定により、第3国間のいかなる武力紛争にも軍事的に加担しない中立義務を恒常的に負っているとすれば、非武装永世中立が要請されていると解することができる。」
アジア地域(東北アジア、アセアンなど)においても、永世中立は軍事的緊張を緩和させ、非核・中立地帯化を提言していくさいに意義がある。朝鮮半島の中立化、同盟国は軍隊を引き揚げる、干渉しない中立地帯化を9条に基づいて提言していく意味はある。

詳細
1.ドイツの脱原発
メルケル政権は福島原発事故でショックを受け、その影響で原発は良くないと世論的にも政権も大勢になって、2020年までに原発を廃止するという政策を打ち出した。同時に政策だけでなく従来の原発に関する法律に原発を禁止する項目を書き込んで成立させた。一方、ドイツの憲法は原子力の平和利用をはっきり明文で認めている。憲法ではっきり書いてあるのは世界で珍しい。憲法上、原発はOKになっているにもかかわらず、メルケルは廃止すると決めた訳です。
そこでドイツの原発三社は損害賠償の裁判を提起しました。2016年12月に最高裁判決がでました。実は、電力会社は原発を禁止したこと自体について争はなかった。最高裁判所も原発禁止を政府が決定し、法律を成立させたことについては、判断せず黙認した。つまり脱原発は憲法上問題ないことを最高裁は認めた。但し、2020年までは原発会社としては運転を続けるという財産権の行使ですが、これは侵害されると判断し、その賠償だけは認めるという判決である。賠償額については国会が今年の6月までに賠償額を決めなさいという判決である。
この件は日本ではあまり紹介されていなくて、現在、澤野先生は調べている。原発の存続についてかなりのレベルで広範に憲法の関わりで論議しており、日本とは全く異なる。日本は東電と福島原発の被害者の損害賠償請求の裁判がありますが、憲法の関わりでの議論がほとんどない。意外とドイツの方が、憲法論が活発に専門家の世界でも論議されている。一方、日本は原発事故でドイツをはじめ世界に影響を与え、スイスも原発廃止の国民投票で勝って、いずれ憲法改正するかどうか議論しているが、日本はどういう訳かそのような議論がほとんどない。
ドイツでは原発を禁止する憲法改正の国民投票をすべきであるという運動が起きている。このモデルになるのはオーストリアの憲法で、核兵器と原子力も完全に禁止している。隣国のドイツやスイスでも同じような憲法改正をしたらどうかという運動が起きている。

2.攻められたどうするのかという疑問を出す人に対して
答えは2つあると思います。最初からギブアップする。相手以上の力を持つの2つである。そのような問を出す人に、攻められないためにはどうしたら良いのかを問いただす必要がある。そちらの方が選択肢は一杯あると思います。そのような人にはそういう問い掛けをする必要があると思います。
澤野先生:コスタリカの若者に聞くと、コスタリカはどうして攻められる理由があるのですかという反論が返ってきます。日本人は、コスタリカは軍隊がないけれど攻められたらどうするんですかという質問をすると、何故コスタリカは攻められる理由は何ですかと逆に問い返される。だから通り魔殺人みたいにいきなり国家が国家を攻撃するということはあり得ない。もしそうなるには相当長い期間をかけて国家は準備している。だからそのようなことにならないように、外交だとかの意識形成などを抜きにして、いきなりやられたらどうするのかと、そこだけを議論するのは良くない議論である。コスタリカは軍事力のない形の平和外交で、1983年にノーベル賞を授与されている。隣国のニカラグアとホンジュラスの長年に亘る内戦や、アメリカの軍事干渉を平和的に解決する斡旋案をだして大統領はノーベル賞を授与された。彼は明らかに軍事費を減らして、それを違う分野に使うということを言っています。彼は兵隊をつくるのでれば教師をつくれというふうに言っています。非常に徹底したことを言っています。

3 国連の集団安全保障について
戦前国際連盟というものがあってこれは失敗で、第二次世界大戦も勃発を防げなかった。もっと強力な集団安全保障機構として1945年に国連をつくろうとした。戦後のあり方を取り決めたのが国連憲章で、これは枢軸国(日独伊)とスイスなどの中立国を全て排除して、51ケ国の連合国だけでつくった一種の戦後の世界支配の道具として実はつくられている面もある訳です。日本は依然として敵国で、常任理事国には絶対になれない。幾らお金を出しても、アメリカも認めない。そのような性質の国連憲章で、戦後、集団的自衛権というものは、それまでは必ずしも、あるともないとも不明の概念だったのですが、戦後初めて国連憲章に、特にアメリカの意向で集団的自衛権が入ってきた。本当は、国連憲章の集団的安全保障の概念は、軍事同盟で世界を守ることを止めようということです。集団的自衛権というのは軍事ブロックで守ろうという勢力均衡論(パワーポリティックス)です。これが第二次世界大戦までの戦争は軍事同盟の体制のバランスが崩れると世界戦争に全部発展していった。軍事同盟で防衛するのは止めましょうというのが、本来の国連の精神です。集団的自衛権というのは国連の精神からいうと合わない訳です。ですが、アメリカやソビエトの冷戦的な発想が入りこんで、結局国連の集団安全保障の概念の中に全く異質な集団的自衛権という概念が入り込んだ。こちらが事実上支配している。国連は国連軍をつくれないし、実際国連軍は動きません。アメリカとかが反対したら動かないし、つくられてもいない。実際は、国連は集団的自衛権の体制としてワルシャワ同盟とかNATO軍が機能しているのが本質である。それを無視して安倍内閣が言っているようなことは全くおかしな概念で、これを可能にしようとしているのが、今の安倍加憲論です。

4 自衛権について
今我々が使っている自衛権という概念そのものは、非常に新しい。1928年のパリ不戦条約、世界から戦争を一般的に禁止しようという条約で、戦前の日本も入っていたこの不戦条約は、戦争を禁止するもので、とりわけ侵略戦争を禁止するものです。これに則れば武力行使は一切できないことになるので、一般的には国際法上は戦争を禁止するが、例外としては自衛のためであれば自衛権を行使してもよいという暗黙の了解として不戦条約ができた。国連憲章もその精神を一応踏まえており、一般的には戦争はダメであるが、事実上攻撃された場合、例外的に自衛のためであれば武力行使できることで、ここで初めて自衛権がでてきた。だから19世紀までは自衛権という概念ははっきり定まっていなかった。何でも自衛であった訳で、自国を発展させるのも自衛権で、なんでも自衛であった。今我々が使っている攻撃された時に、反撃を加えるという自衛権は、一般的に戦争が禁止されたので、戦争ができる唯一の根拠である。国際法上、自衛と言う名目でしか武力を行使できなくなっている。だから何でもかんでも自衛といえば名目がたつことになる訳で、これが問題です。

 「脱原発と平和の憲法理論」
 第6章 安倍政権の改憲戦略と安全保障政策の検討
  Ⅰ はじめに
  Ⅱ 安倍政権の改憲戦略
   1 明文改憲―自民党「改憲改正草案」と改憲スケジュール
自民党の本来の改憲草案は2012年に出されています。これのイデオロギー性について、①反立憲主義、②新保守主義、③新自由主義、④軍事的「平和主義」、⑤新国家主義の視点から分析した。
今の安倍改憲の4項目と憲法草案を比べると、今回はかなりハードルを下げてきているが、いずれは憲法草案に行くと思う。だから第一段階の4項目改憲ということで有権者が賛成しやすいものになっている。

2 解釈改憲(その1)-閣議決定による集団的自衛権行使容認の違憲性
憲法に関わることを閣議決定だけで決めた。12名の有識者の安保法制懇に正当化させる理屈を考えさせた。

3 解釈改憲(その2)-閣議決定における集団的自衛権行使要件の問題
国連憲章51条では国連加盟国は個別的自衛権や集団的自衛権は持っているという前提があるので、憲法上それができる国は、それは可能である。日本の場合は従来の政府見解(1972年)では憲法9条の関係から専守防衛で、個別的自衛権に限定してきたので、集団的自衛権の行使は憲法に反すると明確に述べてきた。所が、安倍内閣はこれを解釈だけで根本的に変えてしまった。
国連憲章で集団的自衛権を行使できると明記されているが、実際にどういうことで使われてきたという事例を見てみると、ほとんどが乱用されている。特にアメリカやソビエトが乱用してきた。集団的自衛権の本質は、自分の国が攻撃されていないにもかかわらず同盟国を軍事的に助けることで、別の言葉でいえば他国防衛です。自分の国が何ら攻撃されていないのに、アメリカの要請に基づいてとか、日米安全保障条約に基づいて、海外で自衛隊を派遣して一緒に戦うことを意味する。これは個別的自衛権と全く違うものである。アメリカが攻撃されたので自衛権を行使して闘っているので、それを同盟国として助けるということになりますが、実際アメリカはほとんど侵略戦争をしている訳です。アメリカが攻撃されて反撃をしているのではなく、先制攻撃を加えているのを援助するということになる。つまり実態は侵略戦争を助けることになる。国際法上禁止されている侵略戦争を支援することは国連憲章にも違反することになる。各国が個別的自衛権を行使したか、正当防衛権を行使したか、あるいは集団的自衛権を行使したかとは、正式には国連に通報しないといけない。所が、アメリカなどは、そのようなことは全くやっていない。
集団的自衛権の持っている本質は同盟国の中で、大国が政治的に小国を支配する道具であった訳です。特に、東西冷戦中はソビエトを中心にワルシャワ条約機構、アメリカを中心とした軍事同盟を結んでいた。この中で集団的自衛権の安保体制がつくられてきた。これが例えば、ソビエトがアフガニスタンに侵略して内政干渉したが、集団的自衛権があると実は内政干渉出来る訳です。集団的自衛権は大国が同盟国への内政干渉の道具としても使われてきた。集団的自衛権はこのようなものであるにも係わらず、安倍内閣はあたかも個別的自衛権と同じような正当防衛権として扱っていると言う点において、非常にごまかしがある。

4 立法改憲―集団的自衛権行使のための法整備
自民党の改憲の本音は静かな環境でやってしまいたいということで、麻生さんがナチス憲法の例えで言っているようなことが本音だと思う。改憲4項目の一つに上がっている緊急事態、国家緊急権は問題がある。これはナチスの時代1933年に国会でつくった法律である授権法に類似している。この授権法は国会でつくった法律ですが、ワイマール憲法に違反する法律をつくっても憲法違反にならないという法律です。つまり法律は政府による政令でつくる法律で、その中身はワイマール憲法に違反していても構わないというものです。実際授権法ができて以来、国民の人権を制限する大統領令とかが一杯でてきてとんでもないことになった。ワイマール憲法自体は、ヒットラーが亡くなるまで存続し、形式上は機能していた。しかし実態は機能していなかったが、消滅はしていなかった。ワイマール憲法を無視して独裁政治を行われたが、その手段として授権法という国家緊急権を発動することが行われた。
これからいうと民主的な日本国憲法があるにもかかわらず安倍政権が悪法をつくって憲法を形骸化している。内閣の閣議決定でどんどん憲法違反のことを実施している。外見上似たことが行われている。今の感じで行けば憲法を変えなくても安倍政権はどんどんやっている訳で、憲法改正は必要ないのではといえないことはないのでは。
今回の安倍政権の緊急事態条項の案は、かなり本質を隠したもので、とりあえずは戦争とか武力攻撃事態、内乱に備えたことを前提としていない。大規模自然災害に限って、その場合には選挙しないとか、選挙の期間を延期できるという条文だけをつくることになる。武力攻撃は本来の政治的な緊急事態に該当するものであるが、今回は、ここを全く隠して触れていない。そこを避けて大規模自然災害が起きた時の緊急私権の制限も入れなく、単に選挙が行われる場合は延期するとか、そんなことだけを書こうとしている。物凄く胡麻化した形で多分出てくると思う

 Ⅲ 政権の「積極的平和主義」による安全保障政策
   1 「積極的平和主義」による国家安全保障戦略
安倍政権は、言葉としては平和主義を尊重すると言っているのですが、「積極的平和主義」による安全保障政策を行っていくということを、非常に、細かく、国家安全保障戦略の形で文章としてかなり詳しく出しています。具体的な中身は、①日本の抑止力強化、②日米同盟やパートナー諸国との協力の強化によるアジア太平洋地域の安全保障環境の改善、③普遍的価値・ルールに基づくグロ-バル安全保障環境の改善である。
高等教育機関における安全保障教育の拡充や実践的研究の実施などを提言している。大学に軍事研究をするのであれば、補助金を出しますよという形で大学の研究にまで手を突っ込んできている。
「積極的平和主義」について内閣のホームページの外務省の所を見ると、安倍政権の平和主義は「積極的平和主義」であると書いてある。普通の人が聞くと、安倍政権は物凄く平和主義に積極的であるとのイメージになる訳ですが、これはとんでもないことです。これはウソである。何故ウソかというと、安倍政権が「積極的平和主義」を対外的に表現する場合は、Proactive Contributor to Peaceと言い、省略するとProactive Peaceという表現を使っています。このProactive Peaceは辞書的に言えばこれも「積極的平和主義」ですが、Proは、先制的にとか、前もってという意味です。軍事用語で使うと先制攻撃も含むと言う意味になります。すなわち軍事力で平和を維持することをProactive Peaceといい、「積極的平和主義」を単に表現すればActive Peaceで、敢えてProを付けると安全保障の分野では、軍事力で平和を保つという了解を受ける。
憲法9条の平和主義を英語で表記するとPositive Pacifismで、徹底した平和主義、非暴力とか軍事力によらない平和をPacifismと言います。安倍政権はこのPacifismを絶対使いません。日本国憲法を平和憲法といいますが、英語ではPeace Constitutionという世界で共通する平和憲法になるが、日本国憲法はPacifism Constitutionというのが正しいのではといのが平和学者の一般的な理解です。
「積極的平和主義」のは戦後何時頃でてきたのかと言うと、近い所では小沢一郎は提唱した。彼は1990年代に国連中心主義、一国平和主義でない国連中心主義で、海外派兵とか集団的自衛権を行使できることを「積極的平和主義」であると彼は主張した。非武装中立とか中立なんていうのは「積極的平和主義」ではない、孤立主義や消極主義であるということを批判する概念として「積極的平和主義」がある。さらに遡ると1950年代、横田喜三郎(東大の法学者)が同じ事を言っています。中立主義で行くと言うことは消極的平和主義であって、国連中心ではない。「積極的平和主義」は中立でないもの、国際貢献を意味する使い方をしていたので、安倍政権が使う「積極的平和主義」はこの意味で使っている。
海外で「積極的平和主義」という言葉を使う国があります。これはコスタリカで、1983年の非武装中立宣言の正式な名称は「永世的、積極的、非武装的中立」である。ここで使っている積極的は英語では、Aciveで、永世中立こそ積極的であると言える。「積極的平和主義」という言葉にあまり拘る必要はないということである。

2 安保・軍事情報の統制―特定秘密保護法の中心に
特定秘密法が既にできましたが、これは流れとしては安全保障、軍事情報の統制に関わってつくられたものである。これができた背景としては第一次安倍内閣に時に、アメリカと軍事情報をお互いに使い合うということをするためにつくろうとしたのが由来で、それが出来上がったという訳です。

3 武器輸出3原則の撤廃
防衛装備移転3原則という形で閣議決定したが、「積極的平和主義」に中でできた一つの原則の緩和です。外国に武器を売れるという内容です。既にイギリス、アメリカ、オーストラリアの各国と軍備装備を相互に出し合うことが可能になっています。

Ⅳ 安倍政権の安全保障関連法案
   1 法案の性格
安全保障関連法案は成立しました。これまで戦争に巻き込まれた場合の有事法制がありましたが、これを今回再整備して作り上げたことと、集団的自衛権行使が可能になるような法律として成立した。

2 日本の平和と安全に関連して
⑴平時における自衛隊海外派兵
⑵グレーゾーン事態
平時と戦争の中間ぐらいの対応
⑶重要影響事態
朝鮮半島有事のような日本に武力攻撃が及ぶような事態に対しての米軍への支援
⑷存立危機事態
集団的自衛権に関わる存立危機事態の対応の法律

3 国際の平和と安全に関連して
国際平和貢献という形の自衛隊の派遣など、あらゆる形で自衛隊の海外派兵を可能にする法律ができた。

4 自衛隊活動に対する制約の問題

Ⅴ おわりに
安倍政権の提案する「積極的平和主義」、事実上の憲法9条を否定する中身がどんどん進んでいますが、安倍さんの改憲の本丸は9条であるが、それと一体化していくものである。
「集団的自衛権行使は憲法9条の下では認められないとしてきた従来の政府見解は評価に値する。また安倍政権の集団的自衛権行使容認論に対して、従来の政府見解を論拠にして批判していくことは、運動論的に有意義なことである。しかし、安倍政権の集団的自衛権行使容認を批判するさいに、従来の政府見解を無批判に受容することは、広義の集団的自衛権(米軍の海外戦争時の後方支援や基地提供)を前提とする日米安保体制や、武力的な個別的自衛権(戦力としての自衛隊)を容認することになる。そうなると、日米安保体制に代わる安全保障の代案を提示する障害になる。」
安倍政権の安全保障を批判する論拠して、従来の政府見解に依拠して安倍政権は逸脱しているという形の批判の仕方をしてきた。自衛権の観点でいくと集団的自衛権行使はいけないけれども、個別的自衛権で守る事は良いのだという形で批判する論調が逆に強くなっているのが現状で、立憲民主党を含めた野党は全てこのように考えている。つまり必要最小限の自衛というものは認めていいのだと、野党のほとんどは自衛隊容認論なっている。集団的自衛権を批判するだけであればそれでもいいのであるが、別の問題がある。このようになると非武装中立論は野党から全く出てこなくなる。以上が澤野先生の主張です。
何故憲法9条は永世中立を要請しているかと言えば、「日本は現実には永世中立国ではないが、憲法9条の非戦・非武装を前提にした交戦権放棄規定により、第3国間のいかなる武力紛争にも軍事的に加担しない中立義務を恒常的に負っているとすれば、非武装永世中立が要請されていると解することができる。」
従って、当然個別的自衛権と集団的自衛権を認められない。永世中立の理念を国連との関係で生かすには、国連憲章が例外的に認めているに過ぎない集団的自衛権行使体制を縮小させていく提言力ともなりうる。
アジア地域(東北アジア、アセアンなど)においても、永世中立は軍事的緊張を緩和させ、非核・中立地帯化を提言していくさいに意義がある。昨年、核兵器廃絶の条約ができたので、特に非核というのが主張しやすくなってきており、朝鮮半島の中立化、同盟国は軍隊を引き揚げる、干渉しない中立地帯化を9条に基づいて提言していく意味はあるのではないかといのが澤野先生の主張。

                                     以上

(井上氏記)