第22回平和学習会

「平和憲法とこの国の自立を考える」輪読&勉強会 第22回

日時:2019年5月18日 15:30~17:00
場所:大阪南YMCA
講師:澤野義一先生(大阪経済法科大学法学部教授)

1.「非武装中立と平和保障」―憲法9条の国際化に向けて-(澤野義一先生著)
 第5章 非武装永世中立(論)の展望  - 憲法9条の国際化に向けて -
憲法9条に直接非武装永世というものが明記されていないが、9条の解釈をしていくと非武装永世という政策が導き出されることをここでは論議している。

Ⅰ 非武装永世中立法(憲法)としての憲法9条
非武装永世中立の非武装は、9条では「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」といっている訳で、9条では非常にはっきりしている。一方、中立の要請だとか、永世中立とかはどうやってでてくるのかという所は、若干解釈を施さないといけない。特に交戦権の否認というのが、有力な根拠になるものである。第三国が交戦しているという時に、日本がどちらかに加担すると、国際上は交戦状態にあると見做される。加担する方法は、直接軍事的に加担する方法もあるし、基地を提供する方法もあるし、金銭的援助をする方法もあるが、交戦権の否認、即ち交戦権を放棄したという事は、そのように見做されないようにしなければならないので、第三国の紛争については何時でも中立を保たなければいけないという要請がでてくる。
このような解釈は、コスタリカのある弁護士も同じような理解をしている。
非武装だけであると、永世中立は必ずしもでてこない。非武装だからこそ他国と軍事同盟を結んで守ろうとする発想がある。だから非武装国家であるからむしろ他国に守ってもらおうという、集団的自衛権の発想がでてくる。これが吉田茂の発想で、1950年代には自衛隊はまだなかったので、とりあえず日本の防衛は日米安保条約を結んで、基地だけを貸すというもの。非武装なので日米安保条約が必要という発想である。非武装だけでは、永世中立はでてこない。結局、非武装プラス交戦権の否認ということが必要で、ここから永世中立がでてくる。これで非武装永世中立になるという解釈である。
9条を読んで、これは非武装永世中立を主張していると理解できると言っている数名の海外の学者もいる。

Ⅱ 非武装永世中立の実現プロセス
9条が非武装永世中立を要請しているとするならば、実際どのように実現をするのかについて論じている。
非武装と永世中立とは、理屈としては同時にすべきであるが、実際には難しいので、とりあえずは対外的に永世中立を宣言し、米軍との関係をなくしていき、即ち日米安保条約を破棄し、しかし自衛隊が残るが、これは国内問題として海外派兵をさせないとか、あるいは縮小していくという事で、これも一挙に廃止はできないとは思う。そのような手順で考えたらどうかということです。
非武装中立を主張してきた政党として社会党と共産党がある。共産党の場合はどちらかというと非武装の方はあまり強くなく、社会党の方が非武装を強く主張した。日本では非武装永世中立論というのは、ずーっとあったのですが、どちらかというと少数意見の扱いを受けてきたし、それは空想論であるという批判もされた。しかし、1980年代に実際非武装永世中立国というのが登場してきたことを考えれば、必ずしも空想論ではないことが明らかになってきた。
武装永世中立国のスイスやオーストリアでも永世中立を生かして、そこで軍縮をするとか、非武装化の方向にいき、軍隊をなくす国民投票に至ったりする動きがある。そしてアメリカも実は第一次世界大戦の頃、国際的には中立政策をとっており、国内法では中立法を制定していて、中立政策をとっていたことがある。日本の9条の会の生み親であるオーバービーは、非武装永世中立を評価していた。それからイギリスのバートランド・ラッセルは、第二次世界大戦以前からイギリスの非武装永世中立を主張していた。第一次世界大戦に参加せず中立を宣言しておれば、第二次世界大戦にならなかったのではと主張していた。

Ⅲ 非武装永世中立の法制化
非武装永世中立の政策を立法化するには、どのような方法があるかを論じている。
オーストリアの憲法のように自国は、永世中立国ですよと条文で直接書き込む方法があり、トルグメニスタンも憲法で永世中立国であることを明記している。憲法9条に永世中立国であることを追加条項として書き込む、これは一種の改憲論ですが、今の状況ではその必要もなくて、憲法改正という方法をとらなくて、立法で「非武装永世中立に関する基本法」をつくって具体化するのが良いのではないか。その内容としては、コスタリカやオーストリアの例を参照し、①日本国の中立は、永世的で、いかなる軍事同盟にも参加せず、外国の基地の設置を認めず、②中立は、積極的中立であり、③中立は、非武装的で、日本が加盟する集団的安全保障制度は、日本国が軍隊を保持することや、他国の紛争のために日本国に武力行使を要請しない、ということになる。
一般法とは別に刑法で、中立を侵す行為をした企業とか、あるいは政府の大臣と議員とかを裁く「中立危険罪」というものも考えられる。これはオーストリアが、そのような刑法を持っている。永世中立を危険に陥れることをすることを犯罪にするという「中立危険罪」があって、憲法上の中立を実効化している。それは「参加していないまたは武力紛争中、あるいは、そのような戦争または武力紛争の差し迫った危険がある場合は、国内において、故意に当事国の一方のために、軍事組織や軍備の便宜を与えること、軍事物資を輸出すること、軍事目的の財政的クレジットを与えること、軍事的通信施設を設置・利用することなどの行為をした者」は罰せられることになっている。
実は日本においても「外国が交戦している際に、局外中立に関する命令に違反したものは、3年以下の禁固又は50万円以下の罰金を処する」という刑法94条「中立命令違反罪」がある。日本政府が中立宣言した場合、これに違反した場合は罰せられるという規定がある。しかし、この条文は戦前からあるが使われたことは一度もない。しかし、永世中立と非武装永世中立であることが憲法9条の要請であるとすれば、オーストリアの「中立危険罪」のように日本の「中立命令違反罪」を具体的に書き換えなければならない。中立命令は、国家機関のみならず国民や企業の権利・自由をも制限するものであるから、この種の基本項は、時々の政令ではなく、平時より、法律で明記しておかれるべきある。憲法と刑法とは本来は繋がっているはずで、体系を持たせるのであれば、刑法94条を永世中立を仰ぐ条文に切り替える必要がある。
中立宣言は、永世中立国でなくても全ての国は、その時に起きた戦争に関してだけ中立を宣言できる。例えばイランとイラクが戦争をしている時に、第三国は「わが国は今回の戦争にはどちらにも加担しません」と中立宣言を国際的に発することができる。永世中立国の場合は、あらゆる紛争について中立を維持しなければならない。永世中立国でない国でも、この戦争については加担しませんと宣言は出来る。
武器輸出三原則は、交戦している外国に武器を売ってはいけないということは当然のことであったが、安倍内閣はこの武器輸出三原則を放棄してしまった。本来であれば、非武装永世中立の観点から徹底させた法律の制定が望まれる。より根本的には、武器製造を禁止し、産軍複合体の構造が解消される必要がある。

Ⅳ 非武装永世中立を中核とした平和保障・外交政策の提言
非武装永世中立を前提とした日本の平和・外交としてどのようなことが考えられるかを論じた。

1 国連常任理事国入り問題について
最近はあまりこのテーマは議論されていないが、この本を書いた時は、結構日本が常任理事国に入ることが議論されていた。日本政府としては国連常任理事国入りをしたいというのは今も変わっていないと思いますが、憲法9条の観点からみるとこれは問題があるのではないかと思う。
日本が常任理事国に入っても軍事的協力を義務づけられることはなく、憲法9条の関係で問題が生じないという政府見解は、①軍事参謀委員を派遣する常任理事国は、「戦略的指導」だけをおこない、兵力の「提供」や「指揮」の義務を免れることもありうるという点、②仮に兵力の「提供」や「指揮」を免れうるとしても、「戦略的指導」に関与することに問題がないという点、で疑問がある。

2 安全保障制度について
国連以外の地域毎の安全保障、例えば、ヨーロッパにおける安全保障、ラテンアメリカ地域における安全保障、アフリカ地域における安全保障など、地域毎の安全保障制度がつくられている。北東アジアにはつくられていないが、その他の地域にはそれなりに安全保障制度がある。その地域毎の安全保障を考えるにも、中立政策という観点を重視すべきである。
欧州には欧州安全保障機構(OSCE)が冷戦中からあり、EUでは欧州軍がつくられている。ここにスイスやオーストリアが加盟した場合に、中立に違反するような形での参加はしませんというのが望ましいが、実際は、EUがNATOと緩やかな形の協力関係にあり、そこにスウェーデンとかオーストリアなどが100%参加することは、中立政策に違反するのではということで、国内的にはいろいろな議論している。
コスタリカは非武装永世中立宣言をしているが、米州機構に入っている。参加する時に軍事的な協力はしませんという条件付きで認められて加盟しているので、米州機構が軍隊を派遣してくれという要請がきても、拒否しますということで加盟していることが可能である。
日本も6カ国協議などで北東アジアの安全保障を形成していく時に、日本の参加のあり方、つまり日米安保を中心で加盟するから中立的でないので問題があり、非武装永世中立が必要なのである。

PKOについては、東西冷戦中は5大国は派遣しなかった。5大国以外の中小国やPKOは中立を要請するので中立国、スウェーデンとかスイスなどは積極的に参加していた。所が東西冷戦後、PKOの性質が変わってきて、中立性を欠くような行動も許されるようになってきて、武力紛争に巻き込まれる形も起きてきている。だからここに中立国が昔のように参加することについては検討が必要になっているという課題がある。

3 核軍縮・非核策
非武装永世中立政策の具体的な政策としては核軍縮を進める、究極には非核化の政策をとることである。1997年(この本の出版年)頃は、国連レベルでは核兵器不使用関連決議(圧倒的賛成意見)があり、国際司法裁判所の判決でも核兵器の使用は国際法の原則に違反するとなっている。自衛権を行使する場合は例外だという議論はあったが、核兵器を廃絶するという方向は固まっている。現在、2017年に核兵器禁止条約が国連で決まりさらに進んだ。
核廃絶や非核についてこれを進めるには、これまで中立国が積極的であった。核兵器禁止条約をつくる中心的なメンバーであったのがコスタリカであり、オーストリアであった。中立国こそ、非核政策を提言しやすい資格・条件をもっている。核兵器を使うということは無差別攻撃になって、中立の選択が許されなくなってしまう。中立国であることは戦争に巻き込まれないという必要性があるので、従って中立国は非核化を言いやすい。実際、コスタリカやオーストリアやスイスは積極的に核兵器禁止条約の策定に積極的に動いた。
この核兵器禁止条約は、非核に止まらず原発の廃止に発展する必要がある。コスタリカやオーストリアは非核政策から原発違憲論まで発展している。

4 国際的人格保障について
平和と人権は不可分であり、人権保障がなければ平和はない、平和がなければ人権はない。この不可分性が第二次世界大戦後にようやく認識されるようになった。それまでは平和に生きるということは人権ではなかった。平和はたまたま国家が戦争をしない状態で、間接的に保障されるに過ぎなかった。平和を維持するということは人権として侵しえないものとして、平和的生存権として認識されるのは第二次世界大戦後で、日本の憲法前文に始めて入った。この平和を推進するためには国際人権条約を積極的に推進していく必要がある。しかし、日本政府は条約の半分程度しか批准していないし、アパルトヘイト条約も批准しなく、あまり積極的ではない。日本政府は、国連中心主義と言いながら全然人権では国連中心主義でなく、国連中心主義というのは軍事的中心主義である。
1951年のサンフランシスコ講和条約を締結した時は、日本が連合国に戦後賠償をしなくてもよろしいという免責条項が入っており、ここが出発点で戦後補償を怠るという問題を抱えている。この時に日米安保条約が締結され、非武装中立政策がとられなくなった。非武装中立を提言することによって諸外国の信頼を勝ち取るという形で戦後補償を行うのが一番いい方法である。これをやらないで、従軍慰安婦問題とか徴用工問題の解決は難しいと思う。
以上
(井上浩氏記録)