平和学習会(準備会)

「平和憲法とこの国の自立を考える」輪読&勉強会 準備会

日時:2017年1月12日
場所:大阪南YMCA
話題提供者:澤野義一先生(大阪経済法科大学法学部教授)

1.前田朗教授(東京造形大学)による「脱原発と平和の憲法学」(澤野先生著)の紹介について
(1)前田朗教授の紹介文(引用)
澤野教授の著書「非武装中立と平和保障」、「永世中立と非武装平和憲法」、「入門平和をめざす無防備地域宣言」、「平和主義と改憲論議」、「平和憲法と永世中立」など、平和主義や永世中立に関する歴史的かつ原理的研究の先頭を走ってきた著者の最新刊である。
著者(澤野教授)は、近現代における平和主義と永世中立の歴史的展開を解明するとともに、日本国憲法の平和主義の特質と歴史的意義を世界史的文脈で問い返し、そうした理論研究の蓄積を基に現代日本の改憲動向を批判的に検証してきた。
本書第Ⅱ部「憲法9条が示す平和と安全保障」では、9条の射程を永世中立との関連で測定し、集団的自衛権論を批判する。第Ⅲ部「日本の安全保障政策と改憲論」では、民主党政権期、及び安倍政権期における安全保障政策の変遷と相互関係を検討する。これらは著者の従来の研究の直接延長上にある。

他方、第Ⅰ部「原発に関する憲法・人権論」は、初めての脱原発憲法学の本格的展開である。著者は、これまでの憲法学において原発問題が正面から論じられることがなかったことを確認し、その理由を探りつつ、先駆的な議論として田畑忍、小林直樹、浦田賢治、山内敏弘らの見解を整理する。その上で、日本国憲法の基本原理と精神に従った脱原発の憲法解釈論の可能性を模索する。原発が孕む様々の人権侵害を検証し、幸福追求権、恐怖と欠乏からの自由、平和的生存権、平等原則に照らして原発の憲法論を提示する。さらに、原発=「核潜在力」論、日米同盟の一環としての原発政策に着目し、コスタリカ憲法裁判所による原発違憲判決をも参考に、原発違憲論を提示する。そして、国内的には、各種の原発訴訟への影響、自治体における脱原発宣言や条例の可能性(無防備地域条例を含む)、原発禁止法、日米安保破棄を展望する。
著者はここでも、単に日本国憲法の条文解釈だけを唱えるのではなく、憲法原則の歴史的考察、比較法的考察を踏まえて、日本国憲法の特質を際立たせると同時に、発展的創造的解釈の可能性を提示する。憲法9条に関する従来の憲法学は歴史的考察を踏まえてきたとはいえ、発展する世界の憲法の比較法的考察を軽視しがちであり、憲法9条のオリジナリティにばかり注目してきた。しかし、著者が示してきたように、歴史の中の9条の位置づけは時代とともに変化してきた。現在の世界には、戦争放棄憲法もあれば、平和的生存権規定もあれば、国連平和への権利宣言を求める動きもある。そうした展開を踏まえながら、憲法9条の射程をより明確にしていこうとする澤野平和憲法学は、脱原発憲法学をも必須の課題とする。

脱原発の憲法理論の提唱には、「原発を問う民衆法廷」運動への協力(法廷証言)というプロセスもあった。原発民衆法廷にかかわった私は、著者の脱原発の憲法理論の形成過程をまじかに見る幸運に恵まれた。

(2)澤野先生の前田朗教授紹介文について補足説明
①第Ⅱ部は、私が従来から研究してきた所で、今日的状況ではどのようにな っているか。特にここ1年、大問題になっています集団的自衛権の行使を容認するという政府見解の変更です。この問題については、私はずーっと昔から批判してきた。批判するひとつの視点が「永世中立」です。集団的自衛権というのは、自国を守る専守防衛ではなく、他国と協力して防衛するとか、海外戦争に自衛隊を派遣して戦うということです。これは、軍事同盟を締結して外国で戦うことは、一切国際法では認められていなく永世中立に明らかに違反する。永世中立の理念を憲法9条は含んでいる。ここ一年、安倍内閣で大きくクローズアップされてきた。

②第三部のところは、今年の通常国会で国会の憲法審査会で具体的に改憲に ついて審査されるが、その改憲論の全体像を批判したもの。民主党政権時に今の自民党にストレートに繋がる政策をどんどん打ち出してきた。一番最後の野田政権の頃は、明らかに自民党とバトンタッチできるくらいの同じレベルの改憲論や集団的自衛権、南スーダンに自衛隊を派遣するという今大問題になっているものを、民主党政権が決めた。原発も推進することも。ほとんどが今の安倍政権の政策に継承されている。この反省は全然ない。それをこの本では徹底的に分析している。

この本の第Ⅱ部と第Ⅲ部はこれまでやってき事の延長上の研究が書いてある。
③第Ⅰ部「原発に関する憲法・人権論」
・これまでの憲法学者の理論は、ちょっとヒントはあるが、ちょっと限界が  ある。それを超える必要があり、原発が違憲であることをどうやって立証しようと考えた。原発メーカー訴訟の弁護側の見解は、原発そのもの、あるいは原発を動かすこと自体が憲法に違反するという言い方はできていない。原賠法が憲法違反だと言っている。そこに留まっている。法律は憲法違反だと言っているが、原発そのものはどうなんだという所が回避されている。私は、原発存在そのものがどうかを憲法的に問題にしないと、核兵器廃絶の問題だとかもっと広がりを持ちえない。原発は違憲であることをどうやって立証するのか。
・一つは基本的人権を奪ってしまう人権侵害。これは幸福に生きる権利、恐  怖と欠乏から免れれる権利、平和に生きる権利等。これらは誰でも指摘することですが、しかし、それだけでは少し弱い。原発が事故を起こすと基本的人権が侵される、これは誰でも分かる事だし、皆言っている。
・そこにさらに原発は核兵器に転用できるという潜在的な能力だということ を考えた。これは憲法9条、陸海空軍その他の戦力を保持しないということを言っているが、その戦力に該当することを私は指摘した。通常憲法9条の戦力放棄は、自衛隊の関係でしか解釈されていない。そこで私は、戦力とはそれだけでなく、軍事力に転用できる可能性を秘めたものが、実は戦力だとすると、原子力発電所というものは、潜在的にこれは核武装するための手段であることは、明白である。従って、原発のような核潜在力は憲法に違反するのではないか。実際に歴代自民党政府の内部資料によると、これは潜在的な核武装できる能力を付けるためですとはっきり答えている。そうするとこれは憲法9条に違反するという論を導きだした。
・三つ目ですが、日米同盟の一環としての原発政策。実は日本の原子力政策  は日米安全保障条約の一環として位置づけられてきた。日米安全保障条約が根本的にあって軍事的には日米地位協定という治外法権条約ある。原子力については原子力協定という形でアメリカの原発政策に追従していく形で導入されてきた。もし日米安保条約が憲法違反だと考えると原発政策はその一環であることになる、これも憲法違反になるという論を新しく打ち出したというのが、私の新しい点である。
・私はこのように解釈するのであるが、私だけの解釈では皆さん信用してく れないので、客観的にサポートするために、いくつか外国の制度をこの本の中で紹介している。コスタリカ憲法裁判所が原発違憲判決をだした。これはほとんど日本では知られていない。私が紹介した。世界で唯一です。コスタリカというのは軍隊を持っていない。つまり常備軍を保持しない。それをベースにして永世中立国として対外的に宣言しており、軍事同盟は勿論やりませんし、海外派兵は禁止している。これは正に憲法9条に参考になるもので、詳しく研究した。それからオーストリア、永世中立国で、憲法では原発と核兵器の両方を禁止している。これも世界で唯一のもの。私は核兵器と原発とは一体のものと認識しますが、これが憲法ではっきり書いてある。
・各地でいろんな裁判が起こされているが、必ずしも原発が違憲であるとの 前提にした裁判ではない。そういう裁判に影響を与えるんじゃないかと思っている。高浜原発裁判の弁護士は私の解釈は参考になると言っている。地方自治体における脱原発宣言や条例の可能性についても述べている。脱原発を地方自治体レベルで条約を制定するということがあっても良いのでは。外国でやっている例としてはアメリカのバークレイ市は条例で「もんじゅ」のような原発は禁止、原発に関する研究は大学でするな。日本では反対ですね。安倍政権は予算を出すから軍事研究をしろと推進している。「無防備地域条例」というのは軍隊のない中核市を条例をつくってやろうという考え方です。軍隊のない平和な地域や都市を国内外に宣言しようと、千葉の市川市などで直接請求しているが、すべて否決されている。これについては一冊の本を書いている。「入門平和をめざす無防備地域宣言」である。国際法を前提とした考え方で、軍隊のない都市を武力攻撃すると戦争犯罪になるという国際条約がある。これを逆手に取って軍隊のない都市をつくっておけばそこを攻撃するということは基本的にはできないということで、そのような条例をつくって国内外に宣言しておくという運動。今この運動は停滞し、ないのですが、2004年ぐらいから大阪市、京都市、東京の方で30都市で議会に提出していた。私は代表の一人として京都の条例案をつくった。賛成した市長は、国立市長、箕面市長がいたが、議会で否決され、できませんでした。この条例の中に、例えば文化都市、京都、奈良などの古都には文化財がある。文化財を武力攻撃すると戦争犯罪になる。古都という平和都市を戦争から免れる方法はその近くに軍事基地を置かないということである。軍事基地を置いてしまうとその平和都市もやられてします。だから条例をつくって古都、文化財のある地域には軍事基地をつくらないとい条例をつくって回避する。非核都市宣言という看板掲げている都市があるが、これは単なる宣言で実効性はない。あれを条例化してしまうとか、あるいはその中に核兵器のみならず原発も設置しないという条例をつくるというやり方もある。国レベルで原発禁止法、脱原発法という法律をつくることも可能である。最近台湾はアジアで最初に脱原発法、2015年には全ての原発を廃止するという法律が国会で最終的に成立した。4基ある原発を全て止める。世界で一番早いのはオーストリア。1999年に憲法で原発を禁止した。憲法で禁止する前に、先ず原発法律をつくった。ドナウ川の川縁に原発が完成したが、住民投票をしたら僅かの差でこれは要らないとう結論がでて、つくった原発は全く動かさず廃炉になった。その後、チェルノブイリ事故が起こり、スイスやウイーンは一片にやられますから、法律を超えて憲法レベルでも禁止したらどうかということになって、オーストリア憲法で決めた。日本でも脱原発法というのがあるが、国会では全く相手にされていない

④日米安全保障条約との絡み
日米安保条約が前提になっているので、日米安保条約を破棄しないと日本 の原発問題は解決しない。非常に難しい。
日米安保条約の絡みは、安全保障や原発の問題の根幹を為している、勿論 TPPもそうですが、領土問題も日米安保が絡んでいる。1952年にサンフランシスコ講和条約で日本は独立して占領軍が撤退しますが、アメリカだけが居座った訳です。サンフランシスコ講和条約はロシアや中国ははいっていない。従って非常に不徹底なものです。日本が独立して領土を取られてしまいしたが、それがどこに帰属するのかについては書いてない。アメリカが意図的に曖昧にした。そこが今揉めているが、東アジアを混乱状態にしておくことが冷戦にあっての戦略で日米安保条約が絡んでいる。余談ですが、日本が日米安保条約を締結している間は、北方領土は還らない。還すとアメリカ軍が入る。それがはっきりしているのに還すはずがない。還す方法は日本が中立になることです。領土がどこの国の主権が及ぶとかいうのを遡るが、どこまで行くかは難しい。ヨーロッパでは、絶えず戦争をしていましたので、領土がころころ変わってきます。だからいちいちどこの主権が及ぶかとか、領土はだれのものかとか、あまり強く言わない。そこの所は曖昧にして寧ろ中立地域にして共同で生活することかが良いのではないか。その良い例としては、スウェーデンの海に囲まれているオーランド諸島です。フィンランドに所属するが、言語はスウェーデン語で非武装中立、自立の島といっていて、軍事基地は置きません、徴兵制は認めません、普通の自治体の権限を超えて自治権が付与されている国際法的にも周辺地域から承認された地域ということです。第一次世界大戦後、国際連盟の仲裁によって非武装中立自治の島にすると決まった。これを決めましたのが、新渡戸稲造です。当時国際連盟の議長をしていた新渡戸稲造の案です。彼はクリスチャンで、北海道大学の出身で「武士道」書いた人。日本で知られていないが、世界では良く知られている。今日までそのままである。こういう形で世界で唯一残っている島。こういう発想が北方領土などを考える時になにか参考になるのでは。非武装中立というのは国家と国家の関係でなく、領土問題を考える場合、それから脱原発の問題でも応用できるのでは。

⑤日本国憲法と平和主義と各国憲法の平和・安全保障方式
世界の平和憲法だと日本の平和憲法をいいますが、世界もそれなりの平和憲 法は今は存在していて、全体的に世界の平和憲法はどんなものがあるのだろうかということを書いたのが、序章の所である。

⑥原発を問う民衆法廷
福島の原発事故が起こって以降、原発を裁こうという模擬法廷を少し大き くした民衆法廷を市民が立ち上げて、日本のあちこちでやりました。裁判官、学者、弁護士等が裁判官になったり、持ち回りでやった。私は呼びかけ人として理論的な法廷証言ですので、ここで初めて私は、原発は違憲ということを言い始めた。その時の幹事役をしていたのが、前田朗教授であり、一緒にやってきたということでこのような解説を書いてくれた。

⑦その他
・最近「戦争をする国にしないための中立国入門」(平凡社の新書)という本が出た。中立国の歴史、現在。中立という観点からどんな意味があるか。肯定する立場から書かれた本である。著者は磯村という国際学者。この本は私がこれまでやってきたことをベースにしている。参考文献を見ると私のものが相当記載されている。最近は中立国とか永世中立ということに関心を示す人がいなくなって、研究者もいなくなてきている。
・私の脱原発の考え方は、韓国で紹介されており、韓国の憲法学者だと思いますが、私の書いた論文を一杯取り入れて論文を書いている。私の研究してきた非武装永世中立論についても韓国でかなり詳しく紹介されている。韓国で9条の会を立ち上げた人が、私の本を読んでいる。日本では残念ながら私のやってることついての学者レベルでの反応がない。

(3)「永世中立宣言」
・日本を永世中立国にしようとする運動は昔からある。一番最初の運動として大きくなったのは1951年前後、マッカーサーが日本は東洋のスイスになるべきと言った時期である。日本は占領軍から解放されて日本は独立する。独立した後、どうするんですかという時、問題になるのは日米安保路線で行くか、中立国で行くか。ある時進歩的な学者達は、日本を永世中立国にし、どこの国にも加担しないという主張をし、運動が大きくなった時期があった。何回か山があり、私の師匠である田端忍が一番熱心に主張してきた。たまたま弟子が社会党にいた土井たか子、社会党は当時非武装中立宣言が必要だと言っていた。共産党の場合は、中立がちょっと違う。中立非同盟で非武装中立とは言いません。何故非武装を言わないかというと、武装肯定論なのです。ある程度自衛隊も認めようという立場で、非武装とは言いません。中立の方を強調する。中立で非同盟は共通しているのです。直ぐに軍隊をなくすことは難しいので、とりあえずは軍事同盟をなくすということで中立宣言をして他国の干渉を排除する。自立の一つの方法が中立である。
・アメリカのトランプ大統領はどうなるか。彼は反グローバリズム。これまでは新自由主義で、資本がグローバルに展開する。その反動がでてきて、これがナショナリズムと排外主義を強めている。これは内向きの自立化、自立の一種であるが、外向きでなくて内向きの自立化の方向に向かっている。これは国際平和協調的な自立ではない。それと違う国際平和協調の自立でないといけないのではないかと思う。それは永世中立、スイスは200年間永世中立国として紛争を平和的に解決する仲介役、場所と提供する事で武力攻撃を受けなく国際平和に貢献する。国際協調的な中立という形で日本は進むべきでは。特に最近は米中対立、朝鮮半島の緊張などがあり、平和地域をつくることで緩和する。その平和地域のありかたは、核のない、非核地帯、世界にはいくつかある。核兵器を持ちこまないという条約ができている。非核地帯の中で、しかも軍隊を置かないという、所謂中立地域というやり方もある。その中で原発もない、核のない地域というありかたもあるのでは思っている。具体的な運動のありかたを書いたのが「永世中立宣言」である。これは具体的にどういう状況で、永世中立になるかについて書いたもの。これは2009年の段階で書いたもので。現在とは状況が変っていますが、考え方は変わりません。この永世中立の宣言をしますというのは、日本で運動として展開したので田端忍がつくった憲法研究所で、永世中立新聞というものを発行し、北海道から鹿児島までこの新聞の読者がいて、署名を集めて永世中立宣言をしましょうというのが始まりです。それが停滞してしまって、なくなってそれが2009年に、学生時代に同志社大学で田端忍の主張を思い出して運動したいというひとが現れてきた時に私が書いたものである。

私の考えてきている平和論というのは大きくは以上述べた所であり、脱原 発の問題はその一つである。
これから学習会等を計画する際の参考にして下さい。

3.質疑応答
質問:日本の憲法は、英語から翻訳されたもので、日本語としてはどうかという意見があるが?
澤野:日本語としはどうかいう問題はあるが、憲法は文学的表現ではないのでそこに余りこだわるのはほとんど意味がないと思う。翻訳語ではありますが、全部が翻訳して国会で審議されて成立した訳でもない。相当日本の議員達が表現を変えたものもいくつもあるし、だから翻訳そのものではない。例えば25条の健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。この表現はマッカーサーの草案にはない。これは明らかに日本の国会議員、しかも当時東大の学者らが最も民主的なワイマール憲法にあった表現を持ってきた。逆に日本人の考えた変更を、GHQがこれはダメと言って変えられたものもある。それは何故かというと、明治憲法と同じような文章にしようとしたからだ。それはポツダム宣言に反する。ポツダム宣言というのは日本の民主化をしなさいということで、一種の国際条約です。日本憲法はある種の国際条約的な性格をもっている。つまり国際社会の約束事としてできている。国際的な憲法です。国連憲章のラインに沿ったものでないといけませんので、明治憲法的な表現に戻そうとした人達の憲法は撥ねつけられ、押し付けられた面もある。それはやむを得ないことだし、最終的には国会、最後の帝国議会で審議し、多数決で成立させているので、単純な翻訳語ではない。表現を変えた方が良い個所もあるが、それは根本的でない。憲法の根本理念が変わる所ではない。漢字の使い方とかこれでは権利が一部ないとか、助詞の使い方とか、環境権という権利がない。憲法にそういう文言がなければ環境権が日本憲法から認められないかというと、そんなことはない。裁判とか学者の理論からかなり認められてきている。
アメリカの憲法のようにほとん18世紀末にできたのですが、現在まであまり変わっていない。例えば男女平等権がない。日本憲法の25条もないし、環境権の条文もない。アメリカの憲法は古いから止めるといことは起こらない。つまり憲法にプライバシー権が入っていません、環境権が入っていませんからといって、その権利は憲法で保障してないないとはいえませんとアメリカの憲法には書いてある。つまり幾つかの基本となる、例えば幸福追求権だとか、そういう権利から環境権が発生する。解釈的に。直接文言がないからといってその憲法は古くさい。だから変えようと。一つの理屈ではあるが、そんなことをしなくても、環境保護の法律をどんどんつくっていくという形で憲法の抽象的な理念を具体化するという方法はいくつもある。憲法はそんなに具体的なことを細々と書くのではない。それは法律なのです。大きな理念と方向性が重要なんです。日本国憲法は1946年にできて変わっていない。世界の憲法では変えられている。ドイツなどは70回ほど憲法改正している。それは法律に近い形の憲法で、非常に細かいことが一杯書いてある。だから変えなくてはいけなくなる。
質問:永世中立が廃れた理由は
澤野;何故そのような主張が難しくなったかというと、東西冷戦の崩壊なの です。つまり東西が分裂し対立しているから、その中で中立とい考えがでてきた。非同盟中立というのはそこから生まれてきた。ソビエトとアメリカの軍事ブロックがあって、そのどちらにも加担しないで生きていこうということで、非同盟諸国会議があり、キューバ、ユーゴ、インドなど非同盟諸国からなり、今でも国連の2/3を占める。どこにも付かない等距離外交、その中に永世中立も一緒にやっていた。所が、東西冷戦が崩壊すると中立の基盤がなくなり存在意味がなくなったという理解です。社会党も非武装も放棄して、自衛隊も認め専守防衛でいきます。中立も意味がなくなったとして言わなくなった。そうすると中立はただ東西冷戦の関係でしか存在意味のない概念なのでしょうか。1990年前後、ある学者はこれで世界から中立国は消滅するであろうという論を言った。私はそんなことない、逆に中立国は増えますよいうのが私の主張である。誰も主張しなかった。1993年にカンボジアが憲法で永世中立を定めた。1995年にロシアから分離したトルメギスタンが国連で全会一致で初めて永世中立国として承認された。コスタリカの永世中立国、スイスもオーストリアも中立を放棄していない、中立というのは必ずしも東西冷戦の係わりでのみ存在するシステムではない。A国とB国の武力紛争があるかぎり中立がありうる、東西冷戦は関係ない。武力紛争はなかなか地上から消滅しない。今でもいろんな所で紛争がある、これは東西冷戦とは関係ない。軍事同盟、例えばNATO、そういうものに加担しないのですよというのが中立です。どこかの国のみ軍事同盟を結ばない、海外派兵しない、外国の軍事基地を自国に置きません、というのが国際法で認められた中立です。対外的に宣言し、認めてもらえれば誰からも中立国として尊重されることになる。海外派兵は海外から要求されない、仲介とか仲裁とかそういう形で協力しますということです。

以上
(2017年2月19日 井上浩氏)