「キプリアヌスの疫病」をご存じでしょうか

  このホームページのメンテナンスをさせていただいている八木沼 豊です。最近投稿が少なくなっているので、少し書かせていただきます。

 先ず、恐縮ですが私の今年の目標を、新約聖書の「ローマ人への手紙」の精読としましたが、脱線が多く4か月を過ぎてもまだ7章という状態です。脱線の一つとして、著者パウロ以降の初期キリスト教会の歴史を調べていたら、「キプリアヌスの疫病」と呼ばれる感染症の大流行という出来事のことを知りました。
 キプリアヌスは、北アフリカ沿岸の都市カルタゴで司教でしたが、彼の著書の中で、この疫病の記録を詳しく記述し、現存しているので、「キプリアヌスの疫病」と名付けられたようです。
 ローマだけで1日に推定5000人がこの疫病のために死亡し、当時のローマ皇帝ホスティリアヌスとクラウディウス2世も犠牲になったほか、エジプトのアレクサンドリアでは人口の3分の2が死滅したと言われています。
 西暦 251 年頃に発生したこの疫病の正体は、恐らく麻疹か天然痘だとのことですが、私が読んだキリスト教の歴史の本では、この「キプリアヌスの疫病」をきっかけに、キリスト教の信者が爆発的に増えて、313 年のミラノ勅令(キリスト教公認)につながったとのことです。
何故、信者が急増したのでしょうか?
 当時の多くの人々は伝染の危険を恐れて、路傍に倒れている死体をそのまま放置したり、例え家族の者でも病人を放置し、死者の埋葬さえしなかったのですが、伝染病が猛威をふるうの中、キリスト教徒たちが、伝染の危険も顧みず、異教徒との差別なく病人の世話に当たったり、死体の適切な処理をする姿を見て感動し、キリスト教徒になったと書かれていました。

 キプリアヌスは、その説教(『死を免れないことについて』)において、デマを退け、信徒たちの心を覆っている恐怖心を取り除くために、いくつかの聖書の物語に言及しつつ、地上においては病にかかり苦しみ死ぬことは万人に共通であること、しかしキリスト者はその精神において異なっていることを力説し、死の恐怖と絶望の中にある人々にいたずらに恐れを抱くことなく、キリストにある希望を持つように、強く勧めています。

 本日(5月4日)の朝日新聞社説では、トランプ大統領や習近平国家主席、マクロン大統領等が、新コロナウイルスの対策を「戦争状態」などと表現していることに注意喚起をしていますが、新コロナウイルス対策は、「あくまで公衆衛生上」の対応であり、戦争やテロとは質的に全く違います。

 日本の自殺者は減少しつつあるといえども、毎年2万人を越える方々が亡くなっています。今年は新コロナウイルスにより、増加するのではないかと危惧しています。
 また、日本では一般的な季節性インフルエンザでも毎年3千人を越える方々が亡くなっています。そしてもっと危険で怖いのは、核(兵器・原発)の 放射能です。
 共に大きな問題ですが、マスコミではあまり話題にはならないようです。

 新コロナウイルスで「命の大切さ」が叫ばれていますが、自分の命だけでなく、他者の命を大切にし、「生命の尊厳」を真摯に考え、戦争や差別のない平和な世界を築き上げることに繋がって欲しいと願います。

 なお、ネットで調べていたら、キリスト教の立場から「キプリアヌスの疫病」に言及した記事がありましたので、ご紹介します。
ウイルス禍についての神学的考察」 日本キリスト改革派教会の神戸改革派神学校吉田隆校長