植民地主義の清算について

 崔 勝久(NPO法人NNAA 理事長)

 5日、テレビ朝日の番組で次期総裁候補の岸田文雄政調会長のテレビインタビューを見ました。なんら新鮮味のない無難な話でしたが、最後の韓国の徴用工問題になると、彼は決然と、日韓間の問題は日韓条約(注1)で解決済みであり、ウイーン条約(注2)を持ち出し、韓国はこれには行政だけでなく司法も従うべという見解を述べてました。しかし日本のマスコミはそのことには一切触れず、「岸田氏「自粛要請は強制力を」」、「コロナ特措法 改正求める」(朝日新聞8月6日)と伝えるのみです。
 日韓条約では、植民地支配に関する謝罪、賠償に関しては触れられず、あくまで経済援助が主眼だったのです。安倍の次と目されている岸田政調会長ですが、所詮、自民の保守派中の保守派という感じですね。これでは安倍以降も日韓関係は政治のレベルでは良い方向に動かないと思われます。彼らは植民地支配をしたことを絶対悪として反省するという考えの全くない人物たちです。
 日本の戦後はまず、第二次世界大戦の反省で終わらず、明治以降の富国強兵政策、アジアへの植民地支配を根本的に反省するということから始められるべきだったのです。ここの点が根本的に誤ってます。それは政権だけでなく、多くの日本国民もまた同じであることが問題だと、私は考えています。
 例えば、日本人キリスト者の良心的な告白とされている、日本基督教団の戦争責任告白(「第二次大戦下における日本基督教団の責任について」1967年3月26日 復活主日日本基督教団総会議長 鈴木正久)(注3)においても、あの戦争は明治維新以降の富国強兵政策のための植民地支配そのものの結果であり、反省すべきは第二次世界大戦だけではなく、戦前の植民地支配そのものであったはずなのに、その植民地支配そのものにはまったく触れていません。
 日韓併合以降の朝鮮の植民地支配が朝鮮の近代化に貢献したということがいまだに戦中世代においてまことしやかに語られ、戦後世代は植民地支配の清算がなされていないという認識を持つ機会さえないように思えます。これは戦後の「平和と民主主義」という日本再建のスローガンがいかに有名無実化していたのかということだと私は考えています。
 日本社会においては北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の金一家の独裁政治は揶揄され、また拉致問題の解決のことだけが取り上げられているようにおもいます。しかし、日韓併合以降、戦後においても朝鮮半島の独立国である北朝鮮に対する過去の歴史の謝罪、賠償金の支払い、そして国交樹立は植民地支配の清算として早急に実現すべき課題であるはずですが、そのことを明言するマスコミも政治家も市民運動体も残念ながらあまり見られません。
 NPO法人NNAAとしては、現在の朝鮮学校が被っている「高校授業料無償化の対象からの除外」などの差別問題を人権という観点だけでなく、植民地支配の清算という視点からもしっかりと取り上げていくべきだと考えます。
 また私は「日韓/韓日反核平和連帯」にも関わっていますが、日本の植民地支配の清算の目指すべき道は、東アジアの平和構築に貢献するということを最後に強調したいとおもいます。反核・平和・連帯がまさにそのキーワードです。東アジアの平和構築への貢献は、日本のリーダーシップではなく、アジア諸国との国際連帯によってしか実現されないことを明治以降の歴史を振り返りしっかりと確認すべきだと考えます。
 
(注1)当条約では、明治43年(1910年)に発効した日韓併合条約は「もはや無効」であることを確認し、日韓併合により消滅していた両国の国交の回復、大韓民国政府が朝鮮半島における「唯一の合法的な政府」であることが合意された。また当条約と付随協約により、日本が朝鮮半島に残したインフラ・資産・権利を放棄し、当時の韓国の国家予算の2年分以上の資金を提供することで、日韓国交樹立、日本の韓国に対する経済協力、日本の対韓請求権と韓国の対日請求権という両国間の請求権の完全かつ最終的な解決、それらに基づく日韓関係正常化などが取り決められた。(ウィキぺディアより)

(注2)条約法に関するウィーン条約(略称:ウィーン条約法条約, Vienna Convention on the Law of Treaties 1969年)
条約法に関する一般条約で、国連国際法委員会が条約に関する慣習国際法を法典化したものである。条約に関する国際法上の規則を統一したものだが、「合意は拘束する」原則や (前文、第26条)、条約の無効原因としてのユス・コーゲンス(jus cogens, 強行規範)の承認(第53条)など、条約の漸進的発達の側面も有している。(ウィキぺディアより)

(注3)日本基督教団戦争責任告白(「第二次大戦下における日本基督教団の責任について」1967年3月26日

 鈴木正久議長名で出された、いわゆる「戦争責任告白」においては「まことにわたくしどもの祖国が罪を犯したとき、わたくしどもの教会もまたその罪におちいりました。わたくしどもは「見張り」の使命をないがしろにいたしました。心の深い痛みをもって、この罪を懺悔し、主にゆるしを願うとともに、世界の、ことにアジアの諸国、そこにある教会と兄弟姉妹、またわが国の同胞にこころからのゆるしを請う次第であります。
 終戦から20年余を経過し、わたくしどもの愛する祖国は、今日多くの問題をはらむ世界の中にあって、ふたたび憂慮すべき方向にむかっていることを恐れます。この時点においてわたくしどもは、教団がふたたびそのあやまちをくり返すことなく、日本と世界に負っている使命を正しく果たすことができるように、主の助けと導きを祈り求めつつ、明日にむかっての決意を表明するものであります。」と記されています。
 戦争責任告白(「第二次大戦下における日本基督教団の責任について」)はしかしながら、本来、明治維新以来の富国強兵政策に基づく、アジアを侵略した植民地支配そのものの謝罪、反省の上でなされるべきものではないでしょうか。