「徴用工」問題解決に向けて

Ⅰ.はじめに

 戦後の日韓関係は紆余曲折を経てきました。国交正常化交渉では1965年の「日韓協定」までに10年以上を要し、その後は、慰安婦問題や元徴用工問題、竹島問題など、日韓両国は今も様々な懸案を抱えています。
 そうした中でも1998年の小渕首相と金大中大統領による「日韓共同宣言」(日韓パートナーシップ)により、日韓両国は未来志向の新しい関係を築くとともに、共同で国際社会に貢献することが期待されました。しかし、良好な関係は長続きせず、2005年ころの竹島問題やその後の慰安婦問題、そして2018年10月韓国の大法院(最高裁判所)による元徴用工判決などを契機として、日韓関係は戦後最悪と言われるまでになりました。
 日本政府による輸出優遇国からの韓国除外、韓国政府によるGSOMIA破棄など、対立は更にエスカレートし、韓国内では日本製品の不買運動が起き、反日ムードが最高潮に達しました。
 米国の強い圧力により、韓国はGSOMIA破棄を取り下げ、2019年12月には両首脳の正式会談が行われたものの日韓は今も予断を許さない状況にあるといえます。
 日韓関係問題で根底にあるのは、1910年の「日韓併合」とそれに続く36年間に及ぶ「植民地支配」であるといえます。
 ここでは、2018年10月韓国の大法院による元徴用工判決に焦点をあてて調べたことをまとめてみましたが、日韓の信頼関係を取り戻し、真の日韓関係を築くためにはどうすれば良いのかを考えてみたいと思います。

*ごく最近、韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)政権からの提案があり、徴用工問題解決への動きがありますが、韓国の国民から強い反発の声が上がっています。日韓間の交渉が再開されることは歓迎しますが、この案では抜本的な解決には程遠いと思われます。

【徴用工問題について】
 太平洋戦争時に日本国家が当時植民地であった朝鮮半島の人々強制的に動員して強制労働させ、主に軍事工場や炭鉱、鉄道敷設、建設現場などで働かされました。
 「徴用工」の原告は1990年代になると徴用工が被害者団体を組織して来日し、日本で損害賠償請求訴訟を起こしまたが、2007年に日本の最高裁判所によって棄却され日本での訴訟の道は閉ざされました。判決では個人の権利は残されてはいますが、「裁判による救済なき権利」とされました。
 そのため原告たちは、韓国の裁判所で訴え、次の大法院での勝訴に繋がりました。
2018年10月、韓国の大法院(最高裁判所)は「日本による植民地支配は不法なものであった」とし、不法行為による損害賠償については1965年の「日韓請求権協定」適用外だと判断し、新日鉄住金に、徴用工として働いた4人に対して合計4億ウォン(1人あたり日本円で約1,000万円)の賠償金を支払うように命じました。
 これに対して、日本政府は、「徴用工」については、「日韓請求権協定」で解決済みであり、明白な協定違反であり、「条約に関するウィーン協定」違反である、と主張しています。

Ⅱ. 韓国の歴史

1.韓国の歴史・関係図 

(1)韓国の歴史年表

クリックで拡大図

韓国の歴史年表は、こちらをクリックしてください。

(2)日韓関係の歴史表

日韓関係の歴史表は、こちらをクリックしてください。

 

(3) 開国から1904までの関係図

開国から日清戦争までの関係図は、右表のとおりです。

(4)1905年から19年までの関係図

日韓議定書から日韓併合までの関係図は、右下表を参照してください。

(5)戦後の日本/韓国/北朝鮮/米国の関連図
   こちらをクリックしてください。

2.江華島事件から日韓併合まで

江華島事件
 1875年9月日本は江華島事件で雲揚号による砲撃で「日韓修好条規」を締結、治外法権・関税ゼロの不平等条約を押し付け、当時朝鮮の宗主国であった清国の支配に対抗して、以降朝鮮への干渉を始めました。
日清戦争
 1894年各地で農民蜂起「東学党の乱」が起こり、朝鮮政府の要請により清国は軍隊を送りました。天津条約および公使館と在留邦人保護を盾に日本も軍隊を派兵し、「日清戦争」につながりました。日本軍による人馬・食料の徴発に反発し、農民戦争が再発しましたが、5万人ともいわれる死者を出したともいわれます。
 1895年下関条約締結後、三国干渉があり、高宗の妃、閔妃がロシアに接近しため、日本は閔妃を殺害しました。下関条約により清国から独立した朝鮮は1897年に大韓帝国と改称しました。
 1900年には義和団が蜂起し、北清事変がおき、鎮圧後にロシアは満州を支配しました。
日露戦争
 1904年に日露戦争が勃発し、実際の戦場となった満州と朝鮮半島では、住民が両軍による徴発や労役、土地収用の影響を受け、戦闘に巻き込まれ、大きな被害を受けました。

3.朝鮮における植民地政策

 朝鮮を植民地にするまでの過程は、右図(日韓併合まで)をご覧ください。

 日韓議定書・第1~3次日韓協約・韓国併合条約の全文については、こちらをクリックしてください

クリックで拡大図

 1910年8月22日、漢城府(現ソウル)に戒厳令が敷かれ軍と警察が巡回する中、日本と大韓帝国(韓国)は「韓国併合に関する条約」に調印しました。以来36年間、朝鮮半島は日本の植民地下に置かれます。
 併合条約に調印直後、日本は朝鮮にあった結社を解散させ、政治集会を禁止します。29日に併合条約が公布されると国名を「大韓帝国」から「朝鮮」に変更し、司法・行政・立法の三権を握る「朝鮮総督府」を新設し、初代総督には現職の陸軍大臣だった寺内正毅が就任しました。
 併合条約の前文には、「併合は両国の幸福や東洋平和のためだ」とありますが「併合後の韓国に対する施政方針」を閣議決定し、「朝鮮には当分、憲法を施行せず大権(天皇)により統治する」「総督は天皇に直属し、朝鮮における一切の政務を統括する権限を有する」とし、日本の憲法の範囲外としました。日本国内の朝鮮人には選挙権がありましたが、植民地(朝鮮半島)にいる朝鮮人には 選挙権がありませんでした。
 日本は1931年、満州事変で「満蒙は我国の生命線である」をスローガンに中国東北地方への侵略を開始し、1937年からは中国への全面的な侵略を展開しました(日中戦争)。
 日本の中国大陸支配の足場として支配下にある植民地朝鮮の軍事的意義が重視され、日本に同化させることを目指し、民衆を皇民化(天皇のもとでの日本人)することで、総動員体制を築きました。
 第一次近衛文麿内閣は1938年に「東亜新秩序」、1940年の第2次内閣では「大東亜共栄圏の構想」が打ち出され、「基本国策要綱」が定められて、軍国主義的膨張政策の意義づけが行われました。
 植民地を支配する「朝鮮総督府」は、鉄道や道路の整備、電力の確保、通信設備などのインフラ整備や学校教育なども実施したのも事実ですが、これもあくまで、日本の利益になることが目的でした。
 一方で、日本は朝鮮で、朝鮮民族の誇りや文化、伝統を破壊し、天皇のためにすすんで命を捨てる人間をつくりだす「皇国臣民化政策」を進めました。朝鮮民族独自の言語(ハングル)、名前、文化、宗教、習慣さらに民族歌や民族旗などは抑圧され、禁止されました。
 朝鮮総督府は分割統治と収奪の効率性を高めるため、同じ「日本国民」であるという建前の下で、同化を追求した組織だったといえましょう。
 朝鮮植民地における「同化」は、日本の文化や思想、慣習を受容させ、同一化させることであり、朝鮮総督府の権力による強制が伴っていました。

 歴代韓国統監・朝鮮総督の氏名は、こちらをクリックしてください

4.植民地政策で実際に実施された主な施策は次のとおりです。

①土地調査事業
 1910年から18年まで行われた土地調査事業は、多くの農民が書類の提出ができず、土地の所有権を失いました。取り上げた土地の大部分は総督府のものとなり、そのほとんどが日本人に安く払い下げられました。農民の80%が小作人になり、中国東北部や日本へ移住し、低賃金労働者となり苦しい生活を強いられた人もいました。
②憲兵警察制度
 警察と憲兵が一体となった憲兵警察制度は、朝鮮の人々を苦しめました。全国すみずみに憲兵と巡査を配置し、暴力的な支配が行なわれました。
③教育
 日本語を教育するために、当初は「ハングル」を教科にいれましたが、1938年の第三次朝鮮教育令の改定でハングルは使用禁止、朝鮮語の科目が消えました。学校では朝鮮語が禁止され、日本語だけで教育を受けさせました。さらに朝鮮語による新聞や雑誌が発売禁止となり、言論が統制されていきます。
④神社参拝
 天皇崇拝、日本の神社参拝などの強要、宮城遙拝が奨励され、学校の敷地内に神社や鳥居が作られました。特にキリスト教会には激しい弾圧があり、教会の牧師が多数拘留されました。
*キリスト者の安利淑は日本統治下の韓国で学校の教師でしが、生徒や教職員全体の学校行事としての神社参拝のときに、天皇や天照大神に向かっての最敬礼をしなかったために、教師を辞めさせられ、投獄され、さまざまな迫害を受けました。投獄された牧師との出会いやその時の具体的な詳しい記録が、著書「たとえそうでなくても」に書かれています。日本が韓国の教会に何をしたのかが良く理解できます。
⑤皇国臣民ノ誓詞
 1937年に「皇国臣民ノ誓詞」が制定され、朝鮮では学校の朝礼、会社、工場などでも毎日、唱和させられました。 
 「私共は大日本帝国の臣民であります。私共は心を合わせて天皇陛下に忠義を尽くします。私共は忍苦鍛錬して立派な強い国民になります―。」(「皇国臣民ノ誓詞」の一部)
⑥創氏改名
 1939年12月26日、創氏改名に関する法令が公布、翌年2月11日(皇紀2600年の紀元節)の朝鮮総督令で制定、姓名を日本人と同じに改めるよう強制されました。
 朝鮮の人々は一族の系譜を記した「族譜」を大事にしてきた民族です。朝鮮に固有な男系の血統による「姓」を日本式の家の呼称である「氏」に変えることで「日本の家制度」を確立することをねらったものであり、これにともなって法律上の「本名」は朝鮮式の「姓」から日本式の「氏」に改められ、拒否する人にはさまざまな圧力が加えられました。
*朝鮮人の名前は、本貫・姓・名の三要素で構成されています。

クリックで拡大図

〇本貫とは、ある宗族集団(氏族集団とも言う)の始祖の出身地名であり、例えば金という姓でも金海金、慶州金などがあって、原則として同一本貫の結婚は出来ませんでした。
〇姓は金、李、朴など通常漢字一字で、父親の姓を継ぎ、一生変わらないのが原則です。そのため伝統的に夫婦別姓です。
具体例右図をご参照下さい。

*日本語の普及は進んだが、朝鮮での創氏改名は、民族の誇りを奪うものとして徹底することは出来なかったようです。
*2003年5月に麻生太郎・自民党政調会長は「朝鮮半島が植民地だった時代に日本が行った朝鮮人創氏改名は、最初は当時の朝鮮人が望んだことだ」と述べましたが、何の根拠もありません。創氏改名の届け出は1940年2月11日から8月10日までとされましたが、期間の半分に達した5月になっても届け出はわずか7.6%にとどまりました。それが8月10日までに80%にもなったのは、総督府による強制です。1945年8月、朝鮮が解放されると、朝鮮では創氏名は使われなくなりました。
⑦治安維持法
 治安維持法は1925年に、天皇の「勅令」によって、本国と同時に、朝鮮、台湾などの植民地にも施行されました。1941年には治安維持法改訂で「死刑」が追加され、朝鮮における独立運動は、日本の「国体変革」の運動として、50人近くが死刑判決を受けたとされています。
⑧徴用制度
 30年代後半に入ると日本では成人男性の徴兵により、労働力不足が顕著となりました。日本は国民徴用令を発令。朝鮮の人々も日本の炭鉱や鉄工所、軍需工場などへ、強制的に動員されます。
 募集、官斡旋、徴用と時期によって動員された形態は異なりますが、植民地だった当時、最も弱い立場だった人たちが犠牲になったことは明らかです。別途、詳しく説明します。
⑨徴兵制度
 1942年に朝鮮にも志願兵制度、徴兵制度を導入、戦時動員体制を強化し、「皇軍兵士」としての自覚を醸成しました。朝鮮の捕虜監視員は戦後、国際条約違反で148人がBC級戦犯とされ、そのうち23人が死刑となりました。
➉「慰安婦」被害
 韓国で「慰安婦」問題が社会的に取り上げられるようになったのは、1987年の民主化のあとでした。尹貞玉(ユン・ジョンオク)氏の取材記がハンギョレ新聞に発表されたのは、90年1月のことです。日韓の歴史問題、謝罪問題が注目を集めるようになった中で、「慰安婦」が浮上しました。
 2016年12月、釜山総領事館前に慰安婦像が設置されました。

5.三・一独立運動

 1910年の日韓併合以来、続いていた朝鮮総督府による日本の朝鮮植民地支配からの独立を求めて、1919年3月1日のソウルでのデモ行進をきっかけに、朝鮮半島全体に広がったのが三・一独立運動で、20世紀初の非暴力抵抗/民衆平和運動とも言われています。
 ソウルのパゴダ公園で「朝鮮独立宣言書」が読み上げられ、「独立万歳」の叫びとともにデモ隊がソウル市内に繰り出しました。高宗の葬式に参加していた人々も合流して行進は数十万人にふくれあがりました。その後5月まで各地で大規模なデモ行進などが展開され、参加者は百万人とも二百万人ともいわれます。
 朝鮮総督府は、憲兵や警察、軍隊を動員して発砲など武力で弾圧し、武装した民間人もデモ行進に襲いかかり、多くの人々が虐殺されました。「堤岩里事件」では村人らを教会におしこめて、銃撃したうえ放火し殺害しました。現在、パゴダ公園には、三・一運動を描いたレリーフが置かれています。
 三・一独立運動を契機に、それまでの武断政治から文化政治に転換しましたが、その内容は憲兵制度から警察制度への転換、学制の日本化に伴う日本語教育の徹底など、朝鮮を日本に同化させることを目指したものでした。

Ⅲ.帝国主義の植民地支配について

1.帝国主義の植民地支配の目的

 先ず、宗主国が植民地に望むものは自国の利益を一方的に独占する目身勝手な自己肥大です。
 植民地支配は初めから相互理解や互恵を目的としません。主な具体的な目的と思われるのは次のとおりです。
① 資源の供給地
② 良好な市場
③ 安い労働力の供給
④ 資本の投資先
⑤ 過剰人口の安定的な吸収地
⑥ 次の戦争や植民地進出への足がかり

 植民地主義は、他国の領土を武力により争奪し、さらに①~⑥に挙げた自国の利益を一方的に独占します。

クリックで拡大図

 また植民地支配においては、宗主国における憲法をはじめとする法制度を植民地にも延長的に施行することも重要な同化政策の一環でした。文化面においては同化を強要しながら、参政権、兵役、公務員就任などの対国家的な権利・義務や、結婚、就職、就学などの社会的権利については法的または慣習的な差別が存置されることが多かったのです。近代帝国主義の時代、同化は征服者の文明を「未開」「野蛮」たる被征服者に与える「恩恵」とされ、文化破壊も正当化されました。
 歴史的にみると17世紀の大航海時代にアメリカ大陸などへヨーロッパの先進国の人々が入植し、武力により先住民の土地を一方的に取り上げて植民地を作りました。
右図は大西洋三角貿易と英国によるインド・中国における三角貿易の図です。                              

2.歴史修正主義者の主張

 帝国主義時代の宗主国では、植民地支配はその被支配国の近代化に必須の経済基盤・政治基盤などインフラの整備(鉄道や道路、港湾の整備、電力の確保、通信設備などのインフラ整備や学校教育)などを発展させることに繋がるので、被植民者にとって利益になるのだとし、「文明程度の劣った植民地に近代文明を伝えることが先進諸国の責務である。植民地支配は文明化と近代化の恩恵をもたらした」「現地住民に選挙権が与えられないのは未成年に選挙権がないのと同じだ」「アルジェリアでは宗主国フランスにより奴隷の使用が廃止された」などと身勝手な主張をし、植民地支配を正当化しています。
 実際の歴史を無視した身勝手な思想の元に現地住民への一方的な支配や文化・価値観の押しつけ、現地資源の開発(搾取)などを正当化しています。

3.植民地支配は合法か

 当時の国際法の基準からみて、植民地主義は合法だったとする見解も数多くあります。国際法のことはよくわかりませんが、合法だったのが事実とすれば、その国際法なるものに問題があったのでしょう。
 当時宗主国であった米国、イギリス、フランス、イタリア、オランダ、ベルギー、ドイツ、日本などが「勝手に」作ったのが、当時帝国主義時代の国際法です。
 現代の国際政治の中心に座す主要国はみな、旧宗主国です。これらの国々は、植民地問題については「支配する側」すなわち「加害者の側」にあったので今も植民地支配を正当化するのでしょう
 しかしながら、戦争責任は「法の不遡及」の原則を破ってまで裁いたのにもかかわらず、植民地責任については「当時の国際法」を盾にして無視しています。戦争責任は追及するのに、植民地責任は不問に付したのだとすれば、国際社会は全体として、過去をめぐる責任論のダブルスタンダードだと非難されるべきです。
 国際法が常に正しいとは言えません。今日、良識のある多くの人は「植民地支配は悪かった」と考えています。
 日本の国際法・人権専門家、戸塚悦朗弁護士は最近の著書『「徴用工問題」とは何か?―韓国大法院判決が問うもの』の中で日本による植民地支配は次の2点で国際法からみて不法だとしています。
<第1の根拠>
 1910年の韓日併合条約の基礎となった1905年の韓国保護条約の日本語版条約文の原本が未完成。
<第2の根拠>
 韓国の皇帝や閣僚ら個人を脅迫して締結を強制された『日韓協約』は無効。
 さらに条約締結に必要な高宗皇帝による署名も、批准もないのは当時の国際法でも無効。
著書では次のとおり指摘しています、
 「日本政府が保管する日本語版条約文原本の文面の1行目は、空白になっており、タイトル『日韓協約』がなかったのです。言い換えれば、条約文起草段階の原案、草案でしかなかったのです。これは、未完成な文書に過ぎず、結局、1905年11月17日付の『日韓協約』という『条約』は、存在しなかったと考えるのが合理的だということに気付きました。私は、長い間、この『日韓協約』の効力問題を研究してきました。1963年国連総会向け国連国際法委員会(ILC)報告書が、日本(伊藤博文が主導)が大韓帝国の代表だった皇帝や閣僚ら個人を脅迫して締結を強制したということをこの条約の無効原因としていたことを1992年秋に発見し、その後この『日韓協約』が無効であると論じていました。仮にこの条約が存在すると仮定しても、大韓帝国の独立と国家主権を奪う重要な条約ですから、当然あるべきはずの条約締結権者(高宗皇帝)による署名や批准が必要なのですが、高宗皇帝による署名も、批准もなかったのです」

4.「自然法」(Natural law)について

 普遍的な法であり、歴史上特定の社会や国家の枠を超えて、いつでもどこでも誰にでも当てはまり、永遠に変わることがないような、人間の本性(理性や良識・良心)に根ざしたルールであり、歴史の中で形成されてきた法の概念といえます。自然法に反する法は砂上の楼閣であり、自然法を無視した法が人を豊かな幸せをもたらすことはありません。
  ローマ帝国でキリスト教が国教となり、その教義が社会に浸透するに伴い、神が作った法である「神の法」が超越的に存在し、その下で自然法が、そして具体的な法律である人定法があると考えられました。
 ロック(John Locke)は、自然法とは神が作った永遠不変の法であり、自然権とは神が人間に与えた権利であると考えました。
※すべての人間には尊厳があるとする「人権」の理念は、自然法の思想から生まれたものです。
 帝国主義時代の「国際法」なるものは、当時でも本当に国際的に通用する法だったのでしょうか?いじわるなガキ大将が集まって自分たちに都合がよいように勝手に定めた「掟」にすぎなかったのではないでしょうか。
 当時にあっても心ある人々が、「植民地」や「奴隷制度」を良いものだと認めていたとは思えません。
 20世紀初における帝国主義時代には、本来の「国際法」なるものは存在しなかったと言えるでしょう。
 もし仮に「国際法」なるものがあったとしても、普遍的な法である「自然法」が一部の宗主国が定めた「国際法」よりも優位にあるのは当然でしょう。
 どちらも成文がない不文法ですが、上位法と下位法の優先順位は、基本的なルールです。
 「自然法」の下では、「植民地」や「奴隷」を認めた「国際法」なるものは、即刻無効判定が下されるべきです。
  植民地時代に奴隷状態にあった韓国の人々が、なぜ法廷でこの点を主張しないのか良くわかりません。
 「韓国併合は(国際法に照らして)違法である」という韓国側の主張に対しては、当時の国際法からみれば、合法である、という次のような意見が数多く存在しています。
● 歴史の不遡及論(現在の価値観で過去を論ずるな。)
● 「植民地化する国と植民地化される国の最終段階では、必ず条約の形式を必要とするとさえ言えない。当時において重要だったのは、特定の文明国と非文明国の関係が他の文明国にどのように受け止められていたか、である。単純化して言えば、植民地化において法が存在していたのは、その部分(他の文明国が受容したか否か)のみである。この意味において、韓国併合は、それが米英を初めとする列強に認められている。仮にどのような大きな手続き的瑕疵があり、非文明国の意志に反していたとしても、当時の国際法慣行からすれば無効とはいえない」
 身勝手な主張ですが、当時の国際法とはそんなものだと理解するならば、「国際法に照らして違法である」という主張よりも、当時の国際法はさておき、「韓国併合は【普遍的な自然法に照らして】違法である」という主張の方が説得力があると思います。

5. 世界人権宣言とダーバン会議

(1)世界人権宣言
 国連は「世界人権宣言」を1948年12月10日に採択しました。「すべての人間は生まれながらに基本的人権を持っている」ことを公式に宣言し、「あらゆる人と国が達成しなければならない基準」を定めました。法的拘束力をもたせるために人権諸条約が採択された。「世界人権宣言」を具体化する「国際人権規約」(自由権規約・社会権規約)、「人種差別撤廃条約」「女性差別撤廃条約」「難民条約」「子どもの権利条約」「障害者権利条約」などマイノリティの人権保障に特化した条約が採択されました。簡易版はこちらをクリックしてください。
(2) ダーバン会議
 2001年のダーバン会議では奴隷制を人道に対する罪と断罪し、植民地主義についても「繰り返されてはならない」とし、法的責任と歴史的不正義が追及され、植民地支配は、従来は「合法」とされてきたとしても、過去にさかのぼって非難されるべき史実であることが宣言されました。この宣言は「自然法」(Natural law)を土台にした宣言だといえます。
 欧米諸国は植民地支配の責任を認めましたが、謝罪し賠償することに強く抵抗し、日本も消極的姿勢をとり、会議では沈黙を維持しました。

6. 植民地支配への謝罪

 最近は「植民地支配は悪かった。迷惑をかけた」とする旧宗主国も出現しています。日本も「村山談話」「河野談話」「金大中・小渕恵三パートナーシップ宣言」(Ⅷ項参照)などで謝罪はしています。ただ認めるのは道義的な責任だけで、賠償に応じる国はないようです。
米国
 ハワイでは、ハワイ王国が倒された100年後の1993年、ハワイ州知事による100周年記念行事中の抗議に対して、クリントン大統領はハワイ王朝の転覆に政府が関与し、ハワイ併合がネイティヴ・ハワイアンの意思を充分に確認しないまま強行されたことを公式に認め、謝罪しました。

フランス
 植民地支配に反対して抵抗した150万人のアルジェリア人を虐殺に対して、2007年にフランスのサルコジ大統領は「ざんげ(謝罪)は国家と国家の間の関係ではふさわしくない概念だ」としてアルジェリア政府からの謝罪・補償要求を拒否しましたが、現在のマクロン大統領は2017年の大統領選挙時から、「植民地支配は人道に対する罪」に当たる「蛮行」であり、フランスはその過去を直視すべきだとして、アルジェリアとの和解に努めています。

イギリス
 植民地統治下のケニヤで拷問が行われていたことを認めて、2013年に「倫理的・人道的に責任」を認めて謝罪していますが、イギリス政府は「かつての植民地で起こっていた暴力については法的な責任は負っていない(法的な土台がない)」という立場を変えていません。

ベルギー
 フィリップ国王は、コンゴ植民地支配について「最も深い遺憾の意を表明」しています。

7.日韓併合(朝鮮植民地支配)の不当性

 「韓国併合」100年日韓知識人共同声明は、こちらをクリックしてください
日本の場合は「大東亜共栄圏の構想」「両国の幸福や東洋平和」などというスローガンを掲げて、アジアにおける植民地支配を正当化しました。どんなに美しいスローガンを掲げようと、自国の利益を一方的に独占と目身勝手な自己肥大が目的ですから、植民地でどんな善政が行われようとも人間の尊厳性を貴ぶことから行われることはありません。(一部では、個人的には存在していたかもしれませんが)
 日本には、戦争や植民地支配の責任問題は謝罪したのだからもう解決したと見る風潮がありますが、そんな理屈は相手の韓国には通じません。国家間の事情で過去を「解決済み」と処理したところで、被害や苦しみを受けた人々の記憶や事実それ自体は、決して消え失せることはないからです。
 何回謝れば済むのかと言う人もいますが、相手が「わかった、もういいよ」というまで謝罪が必要でしょう。口先だけでの謝罪は解決にはなりません。植民地被害による苦しみや悲しみはそれほど深いものだったのでしょう。差別され抑圧された人々の苦しみが今も存在しているのです。
 「Ⅲ2歴史修正主義者の主張」のところでも触れましたが、歴史修正主義の方は、韓国に対しても、「日本は、当時世界の大貧国であった韓国のために良いことをしたのだ」と主張しています。
 当時の日本が、本当に韓国を豊かな国にするために、「植民地」にしたのだと信じられますか。日本の当時の状況を良く考えてみれば、わかると思います。国家総動員法では、政府による「経済統制」が行われ、軍需関連の生産が第一で、ガソリン・綿糸・砂糖・マッチなどの生活必需品が、「切符制」となり、米はもちろん、味噌や醬油、野菜までもが「配給制」になりました。人々は窮乏を耐えしのんでいました。
 当時の日本には、朝鮮のために支出する財政の余裕など全くなかったのです。朝鮮に投資した資金はすべて「日本」のためでした。(本当に朝鮮ために支出したとしたら、日本では日露戦争後の日比谷焼き討ち事件のような暴動が起こっているでしょう)
 戦争や植民地主義が刻印した加害の事実を否認し、そうした史実そのものを「なかった」とする点では、日本であろうがどこであろうが、今日の歴史修正主義は、世界史的にはみな同一次元の現象です。
 「現在の価値観で過去を論ずるな」という歴史の不遡及論もありますが、現在と過去には評価される一種の緊張関係があります。それに人間の持つ倫理性です。問題を棚上げするわけにはいきません。

Ⅳ.朝鮮半島からの徴用工の実態

クリックで拡大図

 1937年に始まった15年戦争の長期化と拡大により、日本では労働力の不足が深刻化し、1938年には国家総動員法が施行され、朝鮮半島からも多数の労働者が動員されました。朝鮮人労働者は、主に炭鉱や土木工事建設現場、港湾荷役など労働環境が劣悪で日本人が忌避する職場に動員されました。援護施策が十分に機能していなかったために、賃金や手当の未払いや私的制裁など差別的な待遇を強いられました。

 実際の動員は「募集」「官斡旋」「徴用」の3形態があり、時期によって動員の方式が異なりますが、日本政府の閣議決定を経て日本の行政機関が関与した「国策」であり、当時の公文書など様々な史料や証言から、動員のために、ときに威嚇や物理的な暴力を伴い、本人の意思に反した“拉致同様”の連行もあったことが明確になっています。
 こうした状況について朝鮮総督府上層部も把握していた。1944年4月の訓示のなかにも〈下部行政機関も又概して強制供出を敢てし〉との文言が残されています。
 朝鮮人徴用工の「強制連行」や「強制労働」を証明する史料や証言は山ほどあり、日本の炭鉱での悪環境に耐えきれなくなった朝鮮人が暴動を起こしたという公的記録もされています。
 なお、徴用された朝鮮半島出身者の数は研究者の調査では70~80万人位と推定されています。

(1)動員の形態

「募集」 (1939年から)
 民間企業が朝鮮総督府の認可を得て、自由に朝鮮人労働者を「募集」して日本に連れてきたのではなく、実体は、各企業から申請された「移住朝鮮人」の数を厚生省が査定し、内地からの指示で朝鮮総督府が自治体に割りふり、その指定を経て、現地の日本人警察官らと一体となって、労働者集めを担いました。
植民地とした朝鮮半島で、資源や農地や生活手段を奪い、朝鮮の人々を困窮に陥れ、募集に応じざるを得ない状況に追い込みました。(安全な工場での楽な勤務だと偽ったケースもあるようです)
「官斡旋」(1942年から)
 「官斡旋」の形式においては、さらに官の責任を大きくし、その強制性を強めました。
当時、朝鮮の労務動員を担う部局の職員自身が語っています。1943年11月に東洋経済新報社の主催で朝鮮総督府の官僚や企業幹部らが出席した座談会で、朝鮮総督府厚生局労務課の職員は、労務者の取りまとめが「非常に窮屈」であるから「仕方なく半強制的にやってゐます」「その為輸送途中に逃げたり、折角山〔鉱山〕に伴れていっても逃走したり、或ひは紛議を起すなどと、いふ事例が非常に多くなって困ります。しかし、それかと云って徴用も今すぐには出来ない事情にありますので、半強制的な供出は今後もなほ強化してゆかなければなるまいと思ってゐます」と話した記録が残っています。
「徴用」(1944年から)
 徴用令に基づく強制徴用

(2)徴用工の就業状況および虐待

 日本の炭鉱などでの悪環境に耐えきれなくなった朝鮮人が暴動を起こしたという公的記録も数多く残されています。暴力による強制労働や過酷な環境での生活を余儀なくされたという朝鮮人徴用工たち証言は、枚挙にいとまがありません。朝鮮人徴用工たち証言は、こちらをクリックしてください
 またカイロ宣言では、韓国民族が日本統治下で「奴隷状態」にあると指摘しています。
 さらに日本は1932年にILO(国際労働機関)に批准していますが、ILOは1999年3月にまとめられた専門家委員会の報告書で、日本が第2次世界大戦中に韓国と中国の多数の労働者を自国の産業施設に連れて行き働かせたことを「国際法の条約違反」とみなしています。植民地時代の徴用は、1930年にILOで採択された強制労働に関する条約(第29号)に違反するという判断です。こちらをクリックしてください。

(3)産業遺産情報センター

  2020.6月に世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産」の全体像を紹介する政府の「産業遺産情報センター」が一般公開されました。九州を中心とした8県に点在する23施設の情報をまとめて紹介する施設ですが、炭坑の島・端島(別名:軍艦島)での強制動員問題をめぐって韓国との外交摩擦が起こりました。
ヤフーニュース
週刊金曜日オンライン  「社会史・労働史」が欠落している産業遺産情報センター展示

Ⅴ.韓国の大法院の判決について

 韓国人元徴用工への損害賠償を日本企業に命じた韓国大法院(最高裁)の判決(民事訴訟)の骨子は次のとおりです。判決文(全文)はこちらをクリックしてください。判決に対する韓国の金民雄教授の解説「韓日協定の何が問題なのか?」はこちらをクリックしてください。

<判決文の論旨>
(1)元徴用工が求めているのは、「未支給賃金」や「補償金」ではなく、朝鮮半島に対する日本の不法な植民地支配や侵略と直結した日本企業の反人道的な強制動員に対する「慰謝料請求権」(強制動員慰謝料請求権)である。原告(4人)の請求通り、計4億ウオン(約4000万円)の賠償を命じる判決を出した。

(2)日韓協定は、日本の不法な植民地支配に対する「賠償」を請求するための取り決めではない。交渉過程においても日本側は植民地支配の不当性を認めず強制動員被害の法的賠償を徹底的に否認した。また「日韓請求権協定」は植民地支配の不法性にまったく言及しておらず、日本側は、日本からの無償3億ドル、有償2億ドルは「賠償金」ではなく、あくまで「経済協力金」であり、「韓国独立祝い金」だと主張していた。

(3)元徴用工の「慰謝料請求権」というのは、すでに日韓政府によって決着済の「日韓請求権協定」の枠外の話であるから、「被害者個人の強制動員慰謝料請求権」は「日韓請求権協定」によって消滅したと見なすことはできないので、認められるべきものである。

よって「脅迫、天皇への忠誠などの教育による洗脳など」によって「不法に動員」させられ、「日本の侵略戦争」の片棒を担がせた事に対する「慰謝料」を払え。

1.日韓協定(日韓基本条約及び日韓請求権協定)について
 日韓協定は、サンフランシスコ条約に基づいて、日本と韓国が国交を結ぶにあたり、双方の債権・債務の関係を清算するために1965年に結んだ条約です。両国がお互いに未払いの賃金などの財産・請求権問題について話し合われました。サンフランシスコ条約で触れられなかった、植民地支配の責任および賠償については、韓国側からは提案があったが日本側は答えず、この交渉でも解決されず、問題として残されました。

(1)サンフランシスコ条約 1951年9月8日(翌年4月28日発効)
1.第4条(a)では、「この条の(b)の規定を留保して」となっています。
英文では 「Subject to the provisions of paragraphですので、わかりやすく言うと「この条の(b)の規定に従うことを条件として」という意味なので、(b)で書かれた規定が優先されます。(b)では、韓国の米軍政府による「韓国にある日本および国民の財産」放棄指令(1945.12.6の米軍地法令33号)を日本は有効と承認しています。

2. 第4条(a)の規定によって、韓国および住民が持つ、財産上の「債権・債務関係」請求権処理の問題は、別途日韓間の「二国間交渉」の場を設けて討議するよう定められたことに基づき、日韓協定交渉が開始されました。
*サンフランシスコ条約では、植民地支配の責任および賠償についてはどこにも明記されていません。

3.第14条では、連合国は、日本への「賠償」を放棄したことが定められているが、韓国側は、「韓国はサンフランシスコ条約に参加してもらえず、連合国でもないので、係わりがなく賠償を放棄していない」と主張しています。

4.第2条(a)「日本国は、朝鮮の独立を承認し…」
  当時日本は、連合国管理下にあり独立国と言えないのに、既に独立国である韓国独立の承認を求めるのは筋違いだと韓国側は主張しています。

(2)日韓協定交渉の経緯
 日韓協定の交渉は1952年に第一回目の交渉が持たれ、韓国側は財産上の「債権・債務関係」請求権として、「対日要求8項目」を提示しました。賠償金などの戦後補償や歴史認識など多くの問題を抱えているため、両国の意見がたびたび対立し、厳しい交渉となりました。
1953年10月第3次会談では、日本側会談代表、久保田貫一郎の次の発言で日韓交渉が3年間中断しました。
 ①日本の韓国統治は、韓国にとって有益だった。鉄道施設、港湾建設、資本投資増加等が例だ。
 ②日本でなかったら、韓国は中国やロシアが支配していた。その方がもっと悪い状況だ。
 ③カイロ宣言で韓国民族が日本統治下で”奴隷状態”としたのは、連合軍が戦時ヒステリー状況(戦争の時期の興奮状態)にあったからだ。
 ④韓国を統治した米軍政が、日本の財産を韓国に戻したことも国際法違反だ。
 この中で、①は、今日の歴史修正主義者の主張と同じで、日本の朝鮮に対する植民地支配が朝鮮にとって有益だったという発言は、韓国では多大な反発を呼び、日韓交渉はその後3年間中断してしました。
 そうした途中中断を挟んで14年間、7回にわたっての難交渉でしたが、1965年に多くの問題を先送りして急遽締結されました。その背景として、この年、北ベトナムの爆撃を開始した米国が、ベトナム派兵を決めた韓国と、日本との軍事的な関係の強化を図るため、日韓交渉の終結を急がせたことがあります。
 議論の中心は、韓国側の「対日8項目の要求」などであり、今日本のネットで書かれているような、「強制的な徴用工などなく、自主的な応募だった」などいう主張は日本側からはなかったということです。交渉当時は、日本には苦しみを受けた数多くの徴用工の証人が存在したので、あまりにも明白な事実であり、議論の余地もなかったのでしょう。日韓協定の交渉の結果、日韓基本条約請求権協定などが締結されました。

(3)日韓基本条約(日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約)について
日韓基本条約は全7条ですが、ここでは以下の3つの条を取り上げます。
第1条 両締約国間に外交及び領事関係が開設される。
第2条 1910年8月22日以前に大日本帝国と大韓民国との間で締結されたすべての条約及び協定は、もはや無効であることが確認される。
第3条 大韓民国政府は、国連総会決議第195号に明らかに示されているとおりの朝鮮にある唯一の合法的な政府であることが確認される。
 *「唯一の合法的な政府」については、こちらをクリックしてください

(4)請求権協定(財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定)について
 日韓請求権協定は、その前文にあるように、日韓両国及びその国民の財産と請求権に関する問題を解決し、両国の経済協力を増進することを定めたものです。 第一条では、日本は韓国に、無償で3億米ドル相当、また貸付で2億米ドル相当、合わせて5億米ドル相当経済協力10かけて行うことが取り決められました。
 第二条1項で、請求権に関する問題が『完全かつ最終的に解決された』とし、同3項では、すべての請求権に関して『いかなる主張もすることができない』としています」

2.日韓協定交渉で先送りされた課題

(1)歴史認識の問題
 交渉での最大の課題は、1910年の「韓国併合」と36年に及ぶ植民地支配が、国際法違反であり不法・無効であることを日本政府が認めるか否かという歴史認識の問題でした。
 日韓基本条約には、植民地支配の不法性に関連した内容の記載がなく、その前文に「両国国民関係の歴史的背景」という形で曖昧な言葉が記されているだけで、玉虫色の表現に終わりました。日本政府は過去の植民地支配そのものの違法・無効性を認めたことは一度もありません。

①日韓基本条約の「もはや無効」の解釈
 日韓基本条約第2条では、1910年8月22日以前に大日本帝国と大韓帝国との間で締結されたすべての条約及び協定は、「もはや無効である」ことが確認されました。
*「もはや無効である」については、こちらをクリックしてください。
*大法院の判決では、日韓双方が自分に都合のよいように解釈してきた「もはや無効」論のトリックを、韓国側の解釈通りに打ち出し、「韓国併合条約」そのものの不法・無効を明確に宣言しました。

②「経済協力金」方式での政治決着
 1961年12月に韓国政府は「対日8項目要求」を示し、「強制動員被害者の未払金の返還」を求め、更に「精神的・肉体的苦痛に対する補償」を求め、12億2千万ドルを日本政府に要求しましたが、この中には、徴用工についての賠償として3億6400万ドルが含まれていました。これに対して日本側は「法的根拠がない」「明確な証拠を提示せよ」などと難色を示し続けました。そして元徴用工に対する賠償を否定しながら、「対日8項目要求」12億2千万ドルの要求を、3億ドルで、請求権に関する問題は『完全かつ最終的に解決された』として請求権協定を締結し、政治決着させました。
 *日本は、「在外日本財産の処理をもって要求に応える」ことが外交の基本線だったので対立しましたが、先に述べたとおり、韓国における日本財産はサンフランシスコ条約で既に放棄させられていたのです。
 日本は「植民地支配被害問題」を避け、「賠償」「補償」等の問題については何の合意はなされないまま条約締結を急ぎ交渉は終結しました。結局、最後は韓国側が求める「賠償や補償」ではなく、植民地支配とは何の関係もない「経済協力金」「独立の祝い金」とすることで妥協が成立し、「経済協力」方式(無償3億ドル、有償2億ドル)での政治決着となりました。
 「無償3億ドル」は、協定文に明記されているように、現金ではなく「3億ドルの価値に該当する日本国の生産物と用役の無償提供」であり、「有償2億ドル」は「長期借款」でした。つまり利子を出して借りる借金です。しかも両方とも、支払い期間が、10年に分割して支払うということになっていました。
 韓国は、日本からの有償・無償の資金を使って、漢江の奇跡という経済発展をとげたと言われています。これは確かですが、日本もこれを機会に大きな経済発展につながったのも確かです。無償3億ドルは、現金ではなく、日本の生産物と用役での提供ですから、結局のところ日本の市場拡大に繋がりました。
 1965年から80年までの15年間に、日本は13億ドルを韓国に投入した反面、205億ドルの貿易黒字を記録しました。結果的に日本は日韓協定により大きな経済的な利益を受けました。

3.大法院判決の主張
 日韓協定の交渉過程で、日本政府は、植民地の不法性を認めず、強制徴用被害の法的な個人賠償を原則的に否認しました。
(1)日本政府の挑戦半島に対する不法的な植民支配および侵略戦争の遂行と直結した日本企業の反人道的な不法行為を断罪し、日帝の植民地支配そのものの不法・無効性を明記しました。

(2)日韓協定で「解決されたものとする」とされたのは、未払い賃金や債権などの「財産請求権」に過ぎない。原告らの精神的被害に対する補償は、日韓請求権協定の枠外の話であって、適用対象に含まれておらず、この点では個人請求権のみならず、国家の外交的保護権(韓国の国籍を有する私人が日本の国際違法行為によって損害を受けた場合に、韓国が国際違法行為を行った国に対して国家責任を追及する国際法上の権限)もある、との判断を下しました。
 大法院判決は、日本政府の「戦後責任の取り方」を糾弾し、「不法な植民地支配を前提とする強制動員被害者の日本企業に対する慰謝料請求権」として、賠償請求を認めました。
 日本政府は過去の植民地支配そのものの違法・無効性を認めたことは一度もありません。安倍政権もメディアも、この点については口をつぐみます。

4.大法院判決に対する日本政府の対応
 安倍首相は、日韓請求権協定で解決済みであり「国際法(日韓請求権協定、条約に関するウィーン条約)に照らしてあり得ない判断」だ、として韓国を厳しく批判しました。

(1)日韓請求権協定違反
1965年の日韓協定の「請求権、経済協力に対する協定」第2条1項に「両国国家及びその国民の財産、權利及び利益と両締約国並びにその国民間の請求権に関する問題が、1951年サンフランシスコ条約に規定されたものを含み、完全且つ最終的に解決されたものとすることを確認する」とあり、解決済みの問題である。

(2)条約に関するウィーン条約違反
 日韓共に加盟している「条約法に関するウイーン条約」26条には「効力を有するすべての条約は当事国を拘束し、当事国はこれらの条約を誠実に履行しなければならない。」と規定されています。
*日本の最高裁判所も日本政府も、被害者個人の賠償請求権は実体的には消滅しておらず、その扱いは解決されていない、(従って、「個人の請求権は残っている」)と判断しているにもかかわらず、安倍首相があたかも全ての請求権が消滅したかのように「完全かつ最終的に解決」と答弁するのは、日本政府自らの見解とも整合性がとれてなく、自己矛盾を起こしています。安倍首相は、法解釈を自己の都合に合わせて平気で変えています。
なお、政府が放棄することができるのは国家の外交保護権であって個人の権利ではない、というのは、今日の国際法の常識です。

Ⅵ.賠償請求権について

1.債務請求権の種類
 一般的にいって、賠償請求の権利には、次の2種類の請求権があります。

 A.債務不履行(契約違反)が起きた場合の債権・債務請求権
  財産上の債権・債務関係の返済請求を求めること。
*徴用工裁判では、雇い主である「新日鉄(被告)」は、被雇用者である「徴用工(原告)」に対して、「労働」の対価に見合った債務として正当な「給与」を支払わなければならないのに、支払われていなければ債務不履行として返済請求ができます。

 B.不法行為があった場合の精神的な損害賠償請求権
 相手による「債務不履行」や「不法行為」によって損害を受けたときに、その損害についての補償を求めること。
 不法行為というのは、故意や過失にもとづく違法(=法律違反)な行為により、人に迷惑をかけることです。そして、法律では、不法行為が行われた場合、それによって被った損害<精神的苦痛>については、加害者に支払い請求<慰謝料請求>ができると規定されています。不法行為が成立するためには、「行為が違法なこと」と、「その行為が故意や過失にもとづくこと」が必要です。
*徴用工裁判では、新日鉄(被告)によって、徴用被害者(原告)は日本に連れて行かれ、十分な賃金も受け取ることなく、劣悪な環境に置かれ、監禁状態での暴力により、過酷で危険な労働を強いられ、被告の「反人道的不法行為」によって大きな精神的苦痛を受けたので、損害賠償請求<慰謝料請求>を行っています。

2.「外交的保護権」と個人の「賠償請求権」
(1) 国家の「外交的保護権」
 韓国の場合では、韓国の国籍を有する私人が日本の国際違法行為によって損害を受けた場合に、韓国政府が、国際違法行為を行った日本に対して国家責任を追及する国際法上の権限です。
 *「日韓請求権協定」で、韓国政府が放棄して「解決済み」としたのは、国家の「外交的保護権」のみです。

(2)個人の「賠償請求権」
 A.の債権・債務請求権およびB.の精神的な損害賠償請求権は、「日韓請求権協定」では、共に放棄されていないし、韓国政府は、国民個人の「賠償請求権」を放棄することはできません。従って、個人の「賠償請求権」は、A.債権・債務請求権 B.精神的な損害賠償請求権ともに現在も残っているといえます。
*ウエブサイトをみると、このA.債権・債務請求権 と B.精神的な損害賠償請求権が混在して書かれていますので、混乱しているケースが多いので、ここでは、明確にして記載します。

3.賠償請求権に関する日韓の主張の変遷
 賠償請求権については日韓政府共、時期と状況により主張が変わっています。
 その変遷は表にすると次のとおりです。

クリックで拡大図

クリックで拡大図

クリックで拡大図

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(1)韓国政府の見解
  ①日韓請求権協定では、韓国国家の「外交的保護権」は、完全に放棄したが、2018年の大法院判決で、「残っている」に変更した。
  ②A.債権・債務請求権(8項目要求)については、日本から無償3億ドルの「経済協金」をもって、韓国政府が日本政府に代わって、徴用工に支払いをする。
  ③B.精神的な損害賠償請求権については、日韓交渉では協議(植民地支配の責任を日本側が拒絶)できなかったので、残る。
  ④一時、A.債権・債務請求権は残るに転じたが、再度韓国政府が負担するに戻る。
  ⑤大法院判決で、再度A.債権・債務請求権は残るに転じる。

(2)日本政府の見解(条約では個人の請求権は消滅しない」と力説してきた日本政府)
政府は、日本人による補償請求については「日本政府は、外交的保護権のみを放棄し、個人請求権は放棄していないので、賠償請求は外国政府に求めるべき」(外国政府を直接訴えることができるのだから、日本が訴えられるいわれはない。)と主張していました。一方で、米国やオランダ、韓国、中国の被害者からの訴えについては「個人請求権は放棄されているので、日本を訴えることはできない」と主張していました。

①1965年10月の国会答弁(3億ドルは経済協力金であり「独立の祝い金
 日韓条約を批准するための臨時国会で、韓国に供与される3億ドルの性質について、社会党の横路節雄衆院議員から「これは請求権処理のためですか。それとも低開発国援助ですか。それとも、36年間韓国を植民地支配していたという、そういう意味で払うお金ですか」との質問に対して、椎名悦三郎外相は「読んで字のごとく経済協力だ」と答弁。他の与野党議員の質問にも同じことを述べました。請求権問題と経済協力に「法律的な関連性」はなく、供与されるのは「独立の祝い金」にすぎないと答弁しました。

②1991年5月の国会答弁「個人請求権は放棄されていない」
日本国内においては、財産、権利及び利益については外交的保護権のみならず実体的にその権利も消滅しているが、請求権については、外交的保護権の放棄ということにとどまっています。

③1991年8月27日、柳井俊二条約局長として参議院予算委員会で、『(日韓請求権並びに経済協力協定は)いわゆる個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたというものではない。日韓両国間で政府としてこれを外交保護権の行使として取り上げることができないという意味だ』と答弁しました。これにより、韓国より個人請求権を根拠にした訴訟が相次ぐようになりました。

④「この(日韓協定)第二条の一項で言っておりますのは、財産、権利及び利益、請求権のいずれにつきましても、外交的保護権の放棄であるという点につきましては先生のおっしゃるとおりでございますが、しかし、この一項を受けまして三項で先ほど申し上げたような規定がございますので、日本政府といたしましては国内法をつくりまして、財産、権利及び利益につきましては、その実体的な権利を消滅させておるという意味で、その外交的な保護権のみならず実体的にその権利も消滅しておる。ただ、請求権につきましては、外交的保護の放棄ということにとどまっておる。個人のいわゆる請求権というものがあるとすれば、それはその外交的保護の対象にはならないけれども、そういう形では存在し得るものであるということでございます。」(1993年5月26日の衆議院予算委員会 丹波實外務省条約局長答弁)
 ちなみに、日本政府は、正式に個人の権利を否定したことは、ありません。ある外務省幹部が新聞で「請求権協定に(徴用工の)慰謝料が含まれているのは明白だ。韓国の主張は矛盾している」と誤って主張したことはあった。ただし、上で述べた2007年の最高裁判決以降は、個人請求権は残っているが、「個人の賠償請求権は、裁判による救済なき権利」だと理由を変えて主張しています。
 このように日本政府は自らの都合で条約解釈を使い分けています。一貫しているのは「日本政府は個人補償をしない」という立場だけです。

(3)「個人請求権は放棄していない」—-3つの具体例
 日本人により日本政府が訴えられた時に、「個人請求権は放棄していない」「海外に行って裁判をすればよい。」と主張したケースの具体的例を三つ挙げます。

①原爆(下田)裁判
 広島の原爆被爆者が日本国に対して補償請求の訴訟を起こした裁判での原告の主張は次のとおりです。
「原爆を落とした米国に対する被害者個人の損害賠償請求権を日本政府がサンフランシスコ平和条約で消滅させたので、日本国は米国からの賠償に代わる補償をすべきだ」
これに対し、被告である日本国は次のように主張しました。
・国家が個人の国際法上の賠償請求権を基礎として外国と交渉するのは国家の権利であり、この権利が外国との合意によって放棄できることは疑ないが、個人がその本国政府を通じないでこれとは独立して直接に賠償を求める権利は、国家の権利とは異なるから国家が外国との条約によってどういう約束をしようと、それによって直接これに影響は及ばない。
・従って対日平和条約第19条(a)にいう「日本国民の権利」は、国民自身の請求権を基礎とする日本国の賠償請求権、すなわちいわゆる外交保護権のみを指すものと解すべきである。…仮にこれ(個人の請求権)を含む趣旨であると解されるとしても、それは放棄できないものを放棄したと記載しているにとどまり、国民自身の請求権はこれによって消滅しない。従って、仮に原告等に請求権があるものとすれば、対日平和条約により放棄されたものではないから、何ら原告等が権利を侵害されたことにはならない。」(東京地裁1963年12月7日判決による被告主張要旨)。
 これは「外交保護権を放棄した以上日本政府は米国との交渉はできない、原爆を落とした米国に個人の責任賠償を請求したければ、米国に行って裁判をすればよい。」ということになります。

②シベリア抑留者裁判
 シベリア抑留問題について次のような政府による国会答弁がありました。
 「…日ソ共同宣言第6項におきます請求権の放棄という点は、国家自身の請求権及び国家が自動的に持っておると考えられております外交保護権の放棄ということでございます。したがいまして、御指摘のように我が国国民個人からソ連またはその国民に対する請求権までも放棄したものではないというふうに考えております。 …個人が請求権を行使するということでございますならば、それはあくまでソ連の国内法上の制度に従った請求権を行使する、こういうことにならざるを得ないと考えます。」(1991年3月26日参議院内閣委員会高島有終外務大臣官房審議官答弁)
 これは「外交保護権を放棄した以上日本政府は何もできない、ソ連に個人の責任賠償を請求したければソ連に行って裁判をすればよい。」という意味の、シベリア抑留被害者を突き放した答弁でした。

③韓国に残した財産権放棄
 日韓請求権協定締結の際に外務省は、日本人が朝鮮半島に残してきた財産の取り扱いを念頭に、「協定で放棄したのは外交保護権に過ぎないので、日本政府は補償しない」と説明しました。
 日韓会談の交渉担当官であった外務事務官谷田正躬氏は官報の姉妹誌として発行されている法律誌に次のような解説を寄稿しています。
 「協定第2条3の規定の意味は、日本国民の在韓財産に対して、韓国の執る措置または日本国民の対韓請求権(クレーム)については、国が国際法上有する外交保護権を行使しないことを約束することで…(仮に韓国政府の措置によって日本国民の財産権が消滅することになっても)その財産権の消滅はこの協定によって直ちになされるものではなく、相手国政府の行為としてなされることとなり、…憲法29条3項(国家補償)の問題にはならないと考えられる。」(「時の法令」別冊 1966年3月10日号)
 これも日本は外交保護権を放棄した以上何もできない、個人の責任賠償を請求したければ韓国に行って裁判をすればよい。」ということを意味します。

4.日本の最高裁の判断(個人の賠償請求権は、裁判による救済なき権利)
 2002年7月の「中国人強制連行訴訟」で広島地裁判決は「強制連行および強制労働とのそしりを免れず、不法行為というべきだ」と認定した上で、西松側の安全配慮義務違反があったことなども認めました。ただ、時効という理由で、賠償請求は却下されました。しかし2004年7月の広島高裁判決は請求通りの支払いを命じました。理由は「西松側が消滅時効を主張するのは、正義に反する」というもので、元労働者の逆転勝利でした。最高裁は2007年4月27日、この高裁判決を覆しました。理由は「1972年の日中共同声明などで、戦争被害に対する中国人個人の裁判上の賠償請求権は放棄されている」というものです。言い換えれば、戦争で個人が受けた被害について、相手国や企業に賠償を求めることは、政府間の取り決めでできないという判決でした。「(個人の)請求権を実体的に消滅させることまでを意味するものではない」しかしながらサンフランシスコ条約について「事後的な民事裁判にゆだねれば、混乱が生じる」、「1972年の日中共同声明などで、戦争被害に対する中国人個人の裁判上の賠償請求権は放棄されている」とし、裁判上では個人請求権を行使できないようにするのが条約の枠組み」だとしています。

5.日韓条約で、個人の請求権は消滅したのか?
 以上の説明のとおり、回答は「否」です。それでは何故「個人の請求権は消滅した」と誤った理解をする方が多いのでしょうか。
 原因は、安倍首相の大法院判決への批判発言とそれをそのまま流した新聞やテレビで報道したマスコミにあります。
  2018年の大法院の徴用工判決を受けて、安倍首相が「完全かつ最終的に解決」「国際法(日韓請求権協定、条約に関するウィーン条約)に照らしてあり得ない判断」と答弁しました、これが誤りなのです。安倍首相は1965年の日韓条約で、全ての請求権が消滅したかのように発言しましたが、これまで説明したように、請求権には、「A.財産上の債権・債務関係請求権」と「B.不法行為があった場合の精神的な損害賠償請求権」の二種類の請求権があり、更に、国家が持つ「外交的保護権」があるのです。
 日韓条約で消滅したのは、「外交的保護権」だけであり、個人の持つ「A.財産上の債権・債務関係請求権」については、日韓条約で日本から韓国政府が受け取った無償3億ドルの経済協力金を、韓国政府が個人に代わって受け取った賠償金とみなし、一応解決済だとしています。(韓国政府は、無償3億ドルの一部を補償にあてました。)
 しかしながら、不当な植民地支配により被った「B.不法行為があった場合の精神的な損害賠償請求権」については、日韓条約の範囲外であり、未だに残っていると大法院判決が下したのです。
 日本政府は過去「条約では個人の請求権は消滅しない」と力説してきたにも関わらず、安倍首相は、法解釈を自己の都合に合わせて平気で変えていますが、日本政府自らの見解とも整合性がとれてなく、自己矛盾を起こしているのに気が付かなかったのでしょうか。

6.河野元外務大臣の答弁
 2018年の議会での共産党議員の指摘に対して、政府の従来どおりの主張を繰り返し、最高裁が判決で示した、個人請求権は残っているが、「個人の賠償請求権は、裁判による救済なき権利」という答弁しています。
河野太郎ホームページ参照

7.日本の最高裁の判断(個人の賠償請求権は、裁判による救済なき権利)
 2002年7月の「中国人強制連行訴訟」で広島地裁判決は「強制連行および強制労働とのそしりを免れず、不法行為というべきだ」と認定した上で、西松側の安全配慮義務違反があったことなども認めました。ただ、時効という理由で、賠償請求は却下されました。しかし2004年7月の広島高裁判決は請求通りの支払いを命じました。理由は「西松側が消滅時効を主張するのは、正義に反する」というもので、元労働者の逆転勝利でした。最高裁は2007年4月27日、この高裁判決を覆しました。理由は「1972年の日中共同声明などで、戦争被害に対する中国人個人の裁判上の賠償請求権は放棄されている」というものです。言い換えれば、戦争で個人が受けた被害について、相手国や企業に賠償を求めることは、政府間の取り決めでできないという判決でした。「(個人の)請求権を実体的に消滅させることまでを意味するものではない」しかしながらサンフランシスコ条約について「事後的な民事裁判にゆだねれば、混乱が生じる」、「1972年の日中共同声明などで、戦争被害に対する中国人個人の裁判上の賠償請求権は放棄されている」とし、裁判上では個人請求権を行使できないようにするのが条約の枠組み」と判断しました。(裁判による救済なき権利)戦争で個人が受けた被害について、相手国や企業に賠償を求めることは、政府間の取り決めでできないという判決でした。
 一方で、この判決では「(条約は)個人の実体的権利を消滅させるものでなく、個別具体的な請求権について、債務者側の自発的な対応を妨げない」とも示し、関係者が訴訟以外の交渉で問題解決する道を残しました。
 この判例が日中共同宣言や日韓請求権協定にも適用され、以降、日本の法廷での外国人戦争被害者の権利回復訴訟は不可能になりました。
(ちなみに、同判決を踏まえて、被告であった西松建設は後日、中国人の元労働者と和解した。)
 ところで、同じように強制連行された中国人元徴用工について、日本の裁判所は時効だ、として請求棄却して、大きな批判がありました。(1997年12月10日、東京地裁判決)。控訴では、東京高裁は和解を勧告し、2000年11月29日、和解が成立しました。そして、その後も、2009年10月23日、西松建設広島安野の和解、2016年6月1日の三菱マテリアル和解と続きました。ただし、鹿島建設が和解において認めたのは道義的責任で、法的責任を認めたわけではないとしたことから、日中間で、問題がおこりました。
 なお、多くの専門家たちは、日本政府(および最高裁判所)の「裁判上の請求はできないという主張」に対しても、際的常識に反すると指摘しています。山本晴太弁護士は「韓日協定により個人請求権はあっても裁判上の請求は受け入れられないという(日本政府と)日本最高裁判所の判決が国際法の常識に外れている」と指摘しています。

<国際法的な位置づけ>
 政府が放棄することができるのは国家の外交保護権であって個人の権利ではない、これは今日の国際法の常識です。
 基本として「日韓請求権協定」は、どのような内容が書いてあっても「外交的保護権の放棄」にしかなりません。それは国際法の主体は「国家」のみであるという原則があるからです。条約(日韓請求権協定)も、国際法も、主体は「国家」のみです。だから、条約そのものでは「個人の請求権」は消滅できません。
 また、1948年12月10日制定された国際連合による世界人権宣言で、奪うことができない権利としてヒューマンライツが定められています。

Ⅶ.韓国政府側の対応経緯

 韓国政府の立場もその時々で変わり、首尾一貫していません。日韓両国政府の対応のまずさが問題をこじらせている点もあります。
(1)日韓協定交渉過程
 当時、韓国が要求していた「植民地支配被害」に対する補償金等の問題については何の合意はなされないまま、補償ではなく植民地支配被害とは何の関係もない「経済協力金」(無償3億ドル、有償2億ドル)という名目で妥協したが、交渉の過程で、「補償」が問題とされた際、韓国側は「個人補償は韓国側が行う」と主張しました。
*ただこの件は、韓国側の要求した8項目要求で「12億2000万ドルの補償要求額」が「無償3億ドルの経済協力金」で決着し、金額と性格が大きく変わったわけで、交渉上の過程の発言に過ぎないといえます。

(2)韓日会談白書の記述
 1965年に韓国政府が発刊した「韓日会談白書」に「韓日間の請求権問題には『損害および苦痛』に対する賠償請求が含まれない」と明示しました。

(3)対日民間請求権補償に関する法律
 1974年12月、朴正煕政権が「対日民間請求権補償に関する法律」を制定し、「民間請求権は、日本からの資金で補償」することを明記した。財産、権利及び利益に該当するものに対する補償措置とともに、「被徴用死亡者に対する請求権補償金」として「1人当たり30万ウォン(現在の10万円程度)」を支給した。(支給総額95億ウォン、有償3億ドルの3.6%)
 *財産、権利及び利益に対しては、その補償が充分かつ適正だったのかどうかは別論として、一定の補償措置が行われたことは事実である。しかしながら、請求権の場合は被徴用死亡者の遺族に対して1人当たり30万ウォンの補償金を支給したこと以外はなんの措置も取られなかった。被徴用死亡者の遺族以外の被害者達の請求権はどうなったのか、それも消滅したのか。消滅したなら国家の外交保護権だけが消滅したのかそれとも個人の請求権そのものも消滅したのか。個人の請求権まで消滅したならそれに対する補償はどうなったのか。当時の韓国政府はこれらに関してはなんの説明も提示しなかった。

(4)個人請求権は残っている
 1990年代に慰安婦問題がクローズアップされる中、「個人請求権は残っている」との主張に転じました。
 日本軍「慰安婦」問題を中心とした過去清算問題が深刻に提起され、韓国国内から韓国政府の無為に対する指弾が厳しくなるや、韓国政府は「協定」によって消滅したのは外交保護権だけであり、個人の請求権は消滅しなかったと主張するようになりました。
*1995年9月20日の国会統一外務委員会で、孔魯明外務部長官は、「我が政府は、1965年の韓・日協定の締結でもって一応日本に対して政府レベルにおいての金銭的な補償は一段落した」として政府レベルの問題解決、つまり外交保護権の放棄を認める一方、「個人的な請求権に対しては政府がこれを認めており」として個人の請求権は消滅しなかったと主張しました。
不法行為に対する賠償責任
 1998年1月26日の国会統一外務委員会では、柳宗夏外務部長官が、「65年の請求権協定は当時主に財産権に対する補償請求権を中心に交渉が行われ、不法行為に対する賠償責任を対象としたわけではない」と主張しました。また、2000年10月25日には、李廷彬外交通商部長官が、金元雄国会議員の質疑に対する書面答弁書を通じて、「韓日両国政府は、被徴兵・徴用者の賠償など両国間の請求権に関する問題を解決するために、1965年『財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する大韓民国と日本国との間の協定』を締結し、両国政府間に請求権問題を一段落しました。ただし、・・政府としては『請求権協定』が個人の請求権訴訟など裁判を提起する権利には影響を及ぼさないという立場であります」と再確認しました。

(5)廬武鉉政権での2007年追加措置
2005年1月、廬武鉉政権は、民官共同委員会を設置。
 8月、「請求権協定は日本の植民支配賠償を請求するための協定ではなく、サンフランシスコ条約第4条に基づき韓日両国間の財政的・民事的債権・債務関係を解決するためのものであり、日本軍慰安婦問題等、日本政府と軍隊等の日本国家権力が関与した反人道的不法行為については請求権協定で解決されたものとみることはできず、日本政府の法的責任が残っており、サハリン同胞問題と原爆被害者問題も請求権協定の対象に含まれなかった」という趣旨の公式見解を表明しました。
 〇 韓日交渉当時、韓国政府は日本政府が強制動員の法的賠償、補償を認めなかったため、「苦痛を受けた歴史的被害事実」に基づき政治的補償を求め、このような要求が両国間無償資金算定に反映されたと見るべきである。
 〇 請求権協定を通して日本から受領した無償3億ドルは、個人財産権(保険、預金等)、朝鮮総督府の対日債権等、韓国政府が国家として有する請求権、強制動員被害補償問題解決の性格の資金等が包括的に勘案されたと見るべきである。
 〇 請求権協定は、請求権の各項目別金額決定ではなく政治交渉を通じて総額決定方式で妥結されたため、各項目別の受領金額を推定することは困難であるが、政府は受領した無償資金のうち相当金額を強制動員被害者の救済に使用すべき道義的責任があると判断される。
 〇 1975年の請求権補償法では、負傷者を保護対象から除外する等、道義的次元から見た時、被害者補償が不十分であった。

廬武鉉政権は、2007年12月犠牲者支援法を制定。
 第1条は日韓請求権協定に関連し、「国家が太平洋戦争前後の国外強制動員犠牲者とその遺族等に人道的次元から慰労金等を支援することによって、彼らの苦痛を治癒し、国民和合に寄与する」ことを目的として掲げています。
①国外に強制動員され、死亡または行方不明となった「強制動員犠牲者」には1 人当り原則として2000万ウォンの慰労金を遺族に支給
②国外での強制動員障害犠牲者には1 人当り2000 万ウォン以下の範囲内で障害の程度を考慮して障害慰労金を支給
③強制動員生還者のうち、要治療者に年間支援金80万ウォンを支給
④給料等の未収金被害者(遺族)に対して未収金支援金を支給

*①③は、1975年の請求権補償法の不備を補うものであり、④は日韓請求権協定によって消滅した請求権の補償措置です。
*民官共同委員会の公式見解は、第1条で「人道的次元からの慰労金等を支援する」と明記しているとおり、あくまで「道義的次元」から支給されたものであり、1965年の日韓請求権協定によって、強制動員被害者の日本もしくは日本企業に対する請求権について法的解決が図られ、決着したことを認めたものではありません。それは日本政府が原爆被害者に対し、見舞金を支給しましたが、米国の原爆投下責任を肩代わりする訳ではないのと同じです。

(6)李明博政権の2008年9月公式発表
  未払い賃金などは、請求権協定の無償3億ドルに含まれると公式発表しました。

(7)2012年大法院徴用工 差戻判決

(8)2018年大法院徴用工判決

Ⅷ.植民地支配の責任と謝罪 

 1965年には日本政府が植民地支配に対する責任を認めようとしなかったが、次の「村山談話」「河野談話」「パートナーシップ宣言」によって、「韓国国民に対し植民支配」により多大の損害と苦痛を与えたという歴史的事実を認め、「痛切な反省心からのお詫び」を述べました。しかし、日本政府は、その後も「韓国併合」そのものについては「当時は合法」だと主張し「植民地支配は法的に有効」であったという立場を維持することによって、植民地支配の不法・無効性について、認めたことはありません。形式的な「遺憾や謝罪」は行っても、真の謝罪と法的責任や賠償を拒否し続け、政府が表明してきた過去の誤りへの反省の立場を、学校の教科書等に正確に反映させることもありません。歴代の首相などによる談話・宣言の一覧は、こちらをクリックしてください

<主な談話・宣言>
1.
河野談話1993年8月—-全文はこちらをクリックしてください
 宮沢内閣の河野洋平官房長官が慰安婦問題に旧日本軍が関わっていたことを認めてお詫びしました。

2.村山談話1995年8月—-全文はこちらをクリックしてください
 日本の「終戦50周年」、村山富市総理大臣談話を通じて、日本政府は「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与え」たという「疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め」「痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明」しました。

3.金大中・小渕恵三共同宣言(日韓共同宣言、パートナーシップ)1998年10月—–全文はこちらをクリックしてください
 1965年から33年後の1998年10月8日の金大中・小渕恵三日韓共同宣言(パートナーシップ)を通じて、「過去の一時期韓国国民に対し植民地支配により多大の損害と苦痛を与えたという歴史的事実を謙虚に受け止め、これに対し、痛切な反省心からのお詫び」を述べました。
 日本が、歴史認識としてお詫びを表明したことは、幾度とありましたが、特定の国に対して、文書の形でお詫びしたのは初めてです。

4.菅直人談話 2010年8月—-全文はこちらをクリックしてください
 民主党政権菅直人首相談話は、併合条約についての法的立場を変更する一歩手前まで歴史認識を深化させました。

5.安倍談話 2015年8月—-全文はこちらをクリックしてください。
 戦後70年の「安倍談話」で、韓国の植民地化を進めた日露戦争を美化し、「子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と述べています。安倍晋三首相は右傾化する世論や嫌韓の流れに乗って、「謝罪と反省」打ち止め宣言を行い、逆戻りさせてしまいました。

Ⅸ.徴用工問題の解決に向けて

 1965年の日韓協定締結から56年経とうとしていますが、これまできてきたとおり、日韓協定に対する日韓両国の立場には依然大きな隔たりがあり、歩み寄りは容易ではありません。問題の根底にあるのは、36年にも及ぶ日本による植民地支配です。これを解決しなければ、抜本的な解決は困難かと思います。
 近年の日本と韓国の歴史は、Ⅰの韓国の歴史で見てきた通り、日本による韓国への侵略と植民地支配の歴史です。
 日本は朝鮮半島に暮らす人々の生命と財産を脅かし、平穏な生活とその家族を奪い、苦役を強い、民族の文化と宗教と誇りを奪い、差別や弾圧など、人道的にみても不当な植民地支配を行ってきました。
 日本は植民地支配を当時は『合法』だったなどと主張せず、Ⅲ.8で説明した『自然法』の下にその非を認めるべきです。
 日本はこの歴史を直視し、過ちを率直に認めて、真摯に謝罪し、賠償に応じる必要があります。ここに示す提案は、日本には大きな痛みを伴うことでしょうが、朝鮮の方々には、長い期間にわたってそれ以上を痛みと苦しみを与えてきたことを忘れてはならないと思います。
  Ⅶで韓国側の主張の変化を書きましたが、2007年の廬武鉉政権による民官共同委員会による公式見解にも曖昧さが残ります。1965年の日韓協約は締結後半世紀も経過しており、今更覆すことは困難です。日韓協約の位置づけを明確にした上で、両国が日韓協約を正式に認め、完全に終止符を打ったらどうでしょうか。その上で大法院判決にあるとおり、締結時に様々な制約から扱うことができず、「日韓協約の枠外」になった植民地支配による精神的な慰謝料請求について、新らたな「新日韓協約」締結のための交渉を始めることとします。したがって、本来は個人の賠償権については政府が条約では解消できませんが、A.の財産上の債権債務については、無償3億ドルの中に含まれていたとして韓国政府が肩代わりして負担します。
 これは韓国側の譲歩となりますが、過去韓国政府が認めていたことでもあります。また韓国の被害にあった元徴用工の方々も必ずしも日本からの『賠償金』だけが目当てではないかと思います。
 ごく最近、韓国政府から徴用工問題解決のための提案がされましたが、日韓の話し合いの糸口としては評価できますが、根本的な解決には難しいだろうということは、ご理解いただけるかと思います。
 日本では韓国の植民地支配に対して政府の謝罪は行っていますが、法的な賠償には応じていません。また残念ながら日本社会全体のコンセンサスになっていないのも事実です。日本にはアジア、韓国への潜在的な優越感が存在しており、それには学校教育も責任の一端があります。
 日韓関係の改善には日本政府および日本企業が過去の加害行為と誠実に向き合い、謝罪と反省の意思を明確に伝え、慰謝料などの賠償に応じることが必要です。
 それでは、具体的な提案を箇条書きにします。

【日韓和解の具体的な提案】
      1965年の日韓協定を日韓両国とも、完全に解決したことを改めて承認します。

  1. 日韓協定締結の際は、様々な制約があったことを確認します。
    ①日韓の国交樹立が緊急の課題であり締結を急いだ。
    ②日韓協約の元になるサンフランシスコ条約では、植民地支配の問題を棚上げにされた。
    ③当時ソ連との東西冷戦が始まり、ベトナム戦争も起こり、日韓協約の締結を急ぐ米国の圧力が大きかった。
    ④韓国は軍事政権にあり民主的な市民の声が反映されない状況だった。
    ⑤日韓協定は、サンフランシスコ条約で、『財産上の債権債務』を解決するために定められていたために植民地支配の慰謝料は、日韓協定の範囲外であり、今後新たに『新日韓協定』締結のために日韓で交渉を行い、精神的な慰謝料に関しての賠償責任の金額を定めます。(2018年の大法院判決を尊重する)
  2. 1965年の日韓協定で、財産上の債権債務は、3億ドルの「見舞金」に含まれていたと判断し、韓国政府が元徴用工に対し、支払う。個人の持つ日本に対する賠償金請求権は、韓国政府が肩代わりして支払うので消滅させます。
  3. 韓国政府は、再度調査の上、A.財産上の債権債務を元徴用工に支払う。*過去正式表明し、一部支払いが終わっています。
  4. 日韓協定の範囲外であり日韓協定では交渉できなかった植民地支配の慰謝料を検討する「新日韓協定」締結のために日韓で交渉には、政府や政治家だけに任せず、日韓ともに市民の代表者の参加を必須とします。場合によっては国際機関の参加を要請します。
  5. 日韓協定では15年の歳月が掛かりましたが、「新日韓協定」では短期間での解決とします。
  6. 日本も参加した2001年のダーバン会議で採択された宣言から22年経ちます。宣言では、奴隷制を人道に対する罪と断罪し、植民地主義についても「非難」し、「繰り返されてはならない」と規定されました。『自然法』に基づいたダーバン宣言の精神に立って、日本政府は朝鮮半島の徴用工の被害者たちに対して公式謝罪を行い、賠償金を支払うことを約束すべきでしょう。その後も国際的な人権規範は発展してきています。
  7. 「新日韓協定」では多額の賠償金が予想されますが、植民地支配はそれ程酷い被害を及ぼしたことを深く受け止める必要があります。現在韓国には、23万人の元徴用工がいると言われていますが、大法院判決の一人当たり1千万として2兆3千万円ですが、今の日本にとって担うことができない金額とは言えません。(勿論、他に中国や北朝鮮の徴用工や従軍慰安婦などへの対応も必要です。)
    それに全額を日本政府が負担する訳ではなく、被告の企業なども応分の負担をします。既に政府には、企業から企業供託金がプールされています。日本の2023年度予算は114兆円超で、その内防衛費予算は2023年からの5年間で43兆円です。防衛費予算の一部を充てれば済む話です。一括での支出が困難であれば、基金の設立なども検討する必要があります。
    (2000年8月12日に設立されたドイツ「記憶・責任・未来」基金の設立過程を参照してください。基金は単に補償だけを目的とせず、過去を直視し迫害の記憶と責任を未来に引き継ぐ目的から「記憶・責任・未来」と命名、ドイツ政府と約6000社のドイツ企業が参加し、予算を支援しました。)

<参考> ドイツにおける「記憶の文化」から日本が学ぶこと
      (ドイツ・ジョゼフ・デュモント職業訓練校の教師)

 もしこの提案が受け入れられ、日本と韓国が和解し、信頼関係が回復したら、日韓両国共に大きなメリットがあります。これも箇条書きにします。

【日韓和解のメリット】

  1. 日本と韓国の間に信頼関係が回復することにより、両国間の貿易が飛躍的に増加し、お互いに大きな経済発展が見込まれます。*今日韓国は世界10番目の経済大国に成長し、日本は2021年の名目GDPでは3位ですが、国家の平均的な豊かさを表す一人当たり名目GDPでは、韓国は27位で30位の日本を抜いています。(2020年)
  2. 韓国からの訪日客、日本からの訪韓客がともに増え、人と人との交流・市民と地域間の交流も盛んになり相互理解が深まります
  3. お互いに憎しみあった国が和解し、手を合わせていくことにより、こんな素晴らしい未来を築くことができるという見本を示すことが、アジアのみならず、平和な世界の構築に寄与することができ、世界における日本の評価が高まります。
  4. 軍慰安婦問題の解決と北朝鮮との交渉に繋がります。                                                          以上